信じられなかった。彼女が、変装までしてスネイプと一緒にいただなんて。

「…うまく化けておったが、アルバス、あの娘に間違いない。男と一緒だった。名は…ポッター、何と言ったか?」

「…スネイプ、です。セブルス・スネイプ。僕たちの同期で…スリザリンでした」

 僕たち、という枠の中に彼女を入れることすら今はもう躊躇われる。どうして。、どうしてなんだ。

 三本の箒の2階に借りた小さな一室。ムーディ、ジェームズからの報告を受けたダンブルドアは珍しく目元から笑みを消して豊かな顎鬚に手を添えた。

「…そうか、セブルスと…」

「服従の呪文をかけられた様子も、脅されていた様子もなかった。あの娘は自らの意思でヴォルデモートの下へ入ったと考えて間違いないだろう」

 ずきんと胸が痛む。まさか、そんなはずは。彼女は闇祓いになるんだとあんなに努力していたのに。リリーは彼女とのコッツウォルズ旅行を心待ちにしていた。シリウスは彼女が日本から戻ってくるのを楽しみにしていたのに。

 僕たちを裏切るようなことを、彼女がするはずがない。

 バタンと勢いよく部屋の扉を開けて飛び込んできたのはシリウスだった。彼はそのままムーディに掴みかかる。

「まさか!あいつがそんなことするはずがありません!何かの間違いだ     

「シリウス、落ち着け!」

 眉根を寄せてジェームズが声を荒げると、シリウスは血走った目を彼に移して怒鳴った。

「間違いだって言えよ!お前も一緒だったんだろう?スネイプを見たんだろう!?一緒にいたのがあいつだったなんて     

「僕には、何とも言えない」

 軽く瞼を伏せ、ジェームズは囁くように告げた。

「…僕は、気付けなかったから。でも、言われてみると確かに…の、匂いがしたような気もする…第一、彼女がでないなら…あの二人が逃げる理由なんてないはずだ」

 雷にでも打たれたかのような顔でシリウスが硬直する。そんな彼の肩にそっと手を置いて、ダンブルドアは静かに言った。

     確認はせねばなるまいが…アラスターの言う可能性も視野に入れて動くべきじゃろう。はここにはおらん。わしらはわしらにできる最善の行動を取らねばなるまい。これ以上の犠牲を出さんためにも」

 唇を引き結んだシリウスはダンブルドアの手を無造作に払い除けて部屋を飛び出していった。

 シリウスはどうしようもないくらい、真っ直ぐな男だ。ただそれを表現できないだけで、彼女だってそんなことは分かりきっていたはずなのに。

 どうしてなんだ     
the PROPHECY
 居間で簡単な夕食を突いていたとセブルスは、分厚いカーテンに覆われた窓が外側からカツカツと叩かれるのを聞いてびくりと身を強張らせた。杖を握り、セブルスがじりじりと窓際に近付いていく。

 もまたいつでも彼の援護ができるようにと杖を構えながら、彼がそっとカーテンを押し開けるのを見つめていた。

「…手紙が、来た」

 呟いてセブルスがにも見えるようにカーテンを捲りあげると、窓ガラスの向こうにはよく見知ったふくろうが一羽、手紙を脚に括りつけて羽をバタバタさせていた。アッと声をあげ、弾けたように立ち上がる。

!?」

 窓際に駆け寄り慌てて窓を開けると、ほぼ1年ぶりの再会とあって森ふくろうは嬉しそうに彼女の肩に乗りの頬を優しく突いた。

「な、何で…一体誰から」

 かつての主人を余程探したのか、は少し疲れているようにも見える。は彼女の脚から羊皮紙を取り上げ、恐る恐る中を開いた。そこに書かれた文字を見て、どきりと心臓が跳ね上がるのを感じる。



 がホグワーツに戻っているとハグリッドから聞いたので、きっと君を見つけてくれると思いこうして手紙を書きました。

 あの冬の日、ダイアゴン横丁で出会ったのが本当に君だったのか、今でも僕は確信を持てずにいる。でも僕と一緒にいた闇祓いのムーディは、学生時代の君を見ていて、あの老婆はまず間違いなく君だったと言うんだ。彼の magical eye は望めば物を透過して見せることができ、あの老婆、そしてスネイプの左腕には闇の印があったと。もしもあの老婆が本当に君だったのなら、君は死喰い人になったということ。僕はとても信じられない。リリーは君との卒業旅行を楽しみにしていたし、シリウスも君が戻ってくると信じていた。もしも何か理由があって君が僕たちのところへ戻ってこられないというのなら、せめて理由を聞かせて欲しい。君がヴォルデモートの下から逃れられないというのなら、何があっても僕たちが迎えに行く。お願いだ、リリーやシリウスを裏切るようなことだけはしないで欲しい。もしも忘れているのならもう一度言う。誰の血を引いていたって、君は君だ。僕たちの大切な友達なんだよ。

 この夏に、僕とリリーは結婚するんだ。ささやかな式だけを開くつもりでいる。是非君にも来て欲しい。君の元気な姿を見せて僕たちを安心させて欲しいんだ。日時と場所は     

 ぐしゃ、と手中の羊皮紙を握り潰す。は目をパチクリさせ、「どうしてジェームズからの手紙なのにそんなことするの」と悲しそうな顔でを見た。

「どうした」

 窓を閉め、カーテンを引き直したセブルスがテーブルに戻ってきてまたフォークを動かし始める。は杖を掲げ「インセンディオ」と短く唱えた。一瞬でかつての親友からの手紙が灰と化す。

 顔を顰め、セブルスが言った。

「家の中で焼くな。部屋が汚れる」

     ジェームズとリリーが…結婚するんだって」

 の言葉に、セブルスの表情が固まる。だが彼はすぐに小さく首を振り、軽く焼いたベーコンにフォークの先を突き刺した。

「それがどうした」

「それがどうした、じゃないでしょう!」

 声を荒げ、勢いよく立ち上がる。森ふくろうは彼女の肩からコロコロと転げ落ち、ソファの上でびっくりしたように何度も瞬きした。

 セブルスも僅かに目を見開き、視線を上げてを見る。

「セブルスって何でそうやっていっつも平気な顔ばっかりしてるわけ!?私といる時くらい泣いたり笑ったり怒ったりすればいいでしょう!」

「何の話だ」

「リリーのことよ!ジェームズと結婚するって…何でそれで平然としてられるのよ!あなただって人間じゃないの!」

 セブルスは今度こそ目を丸くしてを呆然と見上げた。

「知らないとでも思ってたわけ!?ええ、気付きもしなかったわよ、でもあなたの記憶の断片を見たわ      あなただってあんなに幸せそうだったのに!二人の仲を邪魔しろなんて言わないわよ、でも好きな人が結婚するっていうのに平気な顔してるなんておかしいわ!任務の時はそりゃあ心を閉じなきゃいけないわよ、でもこの家にいる時くらい心を開かないと、いつかあなたはダメになる!」

「やめろ」

 彼は瞼を伏せ、静かにそう言った。

     感情を剥き出しにしたからどうなるというわけでもあるまい。第一、もう過去の話だ」

「じゃああなたが夢の中でまでリリーの記憶に苛まれているというのはとても滑稽なことね」

 真夜中に目が覚めて水を飲みに外に出た時、ソファで眠り込むセブルスがエヴァンス、と囁くのを聞いたことがある。までどうしようもなく悲しくなった。ジェームズとリリーが結ばれたことは素直に嬉しいと思った。でも、陰でこうして仲間が苦しむのも目の当たりにしては。複雑な思いだった。

 気まずそうに咳払いしたセブルスはギロリとを睨み付けた。

「お前がブラックを思って泣くのと同じように俺にも泣けと言いたいのか」

 吐きかけていた次の言葉を、息とともにグッと飲み込む。胃が捩れそうだった。彼の温もりを全身が思い出す。     嫌だ。

「…シリウスは、関係ない…」

「それならエヴァンスのことも俺には一切無関係のはずだ」

「…でもリリーは…結婚するんだよ?なのに平気な顔してるなんて信じられない…」

 本当だ。セブルスが誰を思おうと私には関係ない。ジェームズとリリーが結婚しようと私には関係ない。歩む道を違えると決めたのだから。それなのに、私はセブルスに向かって何を言ってるんだ。

 結局のところ、過去にしがみつきたいのは自分なんだ…。

「…ごめん、セブルス…ごめん…」

「勝手に怒って勝手に泣くな。俺にどうしろと言う」

 うんざりした様子でセブルスが息をつく。はソファにどさりと倒れ込み、止め処なく流れ出してくる涙を抑えようと両手で顔を覆った。

 そのまま左腕を伸ばしてきたセブルスが、ぐいと彼女の身体を抱き寄せる。

「…セブルス?」

「お前は好きに喋らせるとうるさい。黙って泣け」

「…何、それ」

 は小さく吹き出した。ああ、やっぱり彼は優しい。大人しくセブルスの腕の中に収まった。

 不思議そうに「ほー」と鳴く森ふくろうの隣で、セブルスはポツリと呟いた。

     今日だけは…俺も、泣く」

「え」

「見るな」

 反射的に顔を上げようとしたの頭を、慌てた様子でセブルスが押さえ込んだ。

「だが俺は…明日からはもう二度と、泣かん」

 その言葉に、うんと頷く。彼は、心の芯が強い。二度と泣かないと言えば、もう涙を流すことはないだろう。

 彼に倣おう。彼に学ぼう。彼と過ごさせてくれる帝王に感謝しよう。

『忘れろとは言わん。だが封じろ』

 あれは自分自身にも言い聞かせていたんだ。

「師匠に倣います」

「誰がお前の師匠だ」

 頭の上から降ってきた涙が彼女の頬を濡らす。

 もう私は、振り返らない。母の敵を討つために、セブルスに、そして闇の帝王についていく。

 初めて見たセブルスの涙は、ひどく儚く、悲しいものだった。

 さよなら、ジェームズ。さよなら、リリー。幸せになってねなんて、私には言えない。ひょっとして私は、あなたたちを傷つけるかもしれないから。帝王の命とあれば、私はそれを躊躇いなく実行する。だから。

 幸せになってねとは言わない。でも      結婚、本当におめでとう。

 さよなら。







 アルバス・ダンブルドアが創立した秘密結社は『不死鳥の騎士団』。有能な魔法使いも多く在籍しているが、マグルやスクイブもいてまだ体制が整っていないらしい。変装を何度も変えて潜入したホグズミードやダイアゴン横丁でとセブルスが仕入れてきた情報により、死喰い人はこれまでに数人の騎士団員を消し去ることができた。

「でも…もう限界じゃない?」

 フードの下からちらりと視線を覗かせてグラスを口に運ぶ。傍らで息をついたセブルスは小さく肩をすくめてみせた。

「お前にしては妥当な意見だ」

「いつも一言多いわね」

 ホグズミードの裏通りでひっそりと営まれているパブ、ホッグズ・ヘッド。いつも怪しげな恰好をした訳有りの魔法使いたちの溜まり場のような場所なので、任務の合間に一息つきたい時にはこうしてセブルスと頻繁に訪れている。今夜は冷たい雨だ。もうしばらくゆっくりしていこう。

 フードを深く被り直し、はまたバタービールを喉に通した。

 この1年ほどの調査で、騎士団のメンバーは半数以上把握できている。内数人は既に仲間の死喰い人が始末した。フェンウィック、マクキノン、プレウェット夫妻。どれもとセブルスの命懸けの情報収集の賜物だ。闇の帝王は二人に偵察任務に専念するようにと言ったが、一方で禁じられた呪文の伝授も忘れなかった。

 けれど騎士団員の中にかなり力のある魔法使いがいるのは事実で、ジェームズ・ポッターや闇祓いのフランク・ロングボトムは何度か死喰い人の手を逃れている。アラスター・ムーディにいたっては誰も手が出せないのが現状だった。外部からの詮索ではいくら何でも限界がある。それはとセブルスの共通の見解だった。

 虎穴にいらずんば虎子を得ず。口には出さずに視線で示し合い、セブルスと揃ってカウンターを立ち上がろうとしたその時。

 ギシ、と音を立ててパブの入り口の扉が開いた。は身体中を覆う黒いマントを引いて素早く椅子の上に腰を戻す。セブルスもまったく同じ行動を取った。

 ダンブルドアだった。ボロボロの傘をにこやかに畳み、隅の傘立てに差している。その後ろにはひょろりと痩せた女性がくっついていて、は彼女をキラキラした昆虫だと思った。大きな眼鏡をかけて、スパンコールで飾った透き通るショールをゆったりとまとっている。とセブルスは無言のままフードの下で静かに目配せした。

「アバーフォース、上の部屋は空いておるかのう」

 ダンブルドアが不機嫌な顔のバーテンに訊ねる。バーテンは裏の部屋から物憂げに鍵を持ってきて、「7番をどうぞ」とダンブルドアにそれを差し出した。

「それでは行きましょうか」

 顔を隠している客の多いこのパブでは、ダンブルドアも眼鏡の女も明らかに場違いだった。だがダンブルドアはそんなことは一切気にしていない様子で、女を連れて隅の階段を上がっていく。はバタービールをもう一本注文した。

「…どう思う」

 ほとんど独り言のような声音でセブルスが囁く。はまるで恋人のように彼の肩に寄り添いながらその耳元でそっと呟いた。

「気になるわね」

「様子を見てくるか」

 視線を上げると、汚れたボロ布でグラスを拭いているバーテンとほんの一瞬目が合った。バーテンはさり気なくこちらから目を逸らし、黙々と仕事を続けている。

 は新しい瓶の中身を半分ほど飲んでしまうと、さっと周囲を見回してバーテンがこちらに背を向けている間に徐に立ち上がった。

     私が行く」

 セブルスの答えを待たずにマントを翻し、はダンブルドアの上がっていった階段に静かに足を乗せた。気配を押し殺すことにはもう慣れている。7番の部屋    2階に上がると、それは程なく見つかった。

「そうですか…それはそれは」

 中からはダンブルドアの、少し疲れたような声が聞こえてきた。今すぐにでも飛び出してあの男の息の根を止めたい。けれど、それでもしもしくじれば。ここは、抑えるしかない。

「…申し訳ありませんが、あなたは『占い学』の教員には向いていないように思います。他の道をお探しになった方が宜しいかと」

 占い学の教員?まさか      ただの採用面接か。

 ダンブルドアがこんな薄汚れたパブにやって来るなんて、何かあるだろうと思ったのに。がっかりだ。

 だが踵を返しかけたは、突然7号室から掠れた荒々しい声を聞いた。

…闇の帝王を打ち破る力を持った者が近付いている…

 ハッとして振り返る。は部屋の扉に顔を押し当てて耳を澄ませた。

…7つ目の月が死ぬ時、帝王に3度抗った者たちに生まれる…

      何だって。

 が後ろからローブごとグイッと力強く引かれたのはその時だった。厳しい顔をしたバーテンが容赦なくの首根っこを掴んでいる。は咄嗟に取り出した杖を掲げた。

クルーシオ!!

 しわがれた悲鳴があがり、のローブを放したバーテンが後方に倒れ落ちる。はあっという間に2階に飛び上がってきたセブルスの腕を掴んで、7号室のドアが内側から開く前には既に姿くらまししていた。

 草むらに倒れた二人の顔を冷たい雨が叩きつける。全身で荒く呼吸を繰り返すセブルスが苛々と声をあげた。

「何があった!ダンブルドアの懐で正体を現すような真似を…!」

「それどころじゃないわ、セブルス!!」

 身を起こし、は地面に仰向けになったままのセブルスの顔を覗き込んだ。

「あの女、何者か知らないけど予見者みたいだった!ダンブルドアに予言を…闇の帝王を打ち破る力を持った者が、7月の末に生まれるって!!」

 セブルスの表情が、一瞬で固まる。彼はパッと身体を起こしてフードを後ろにかなぐり捨てた。

「それは本当か」

「ええ、確かに聞いたわ。あの声は普通じゃない…本物の予言よ」

 闇の帝王が敗れれば。私の野望も潰える。私は帝王と共にダンブルドアを殺すと決めた。

      邪魔はさせない…。

「闇の帝王を打ち破る力を持った者が、7月の末、帝王に3度抗った者たちに生まれる…」

 帝王に3度抗った者たちの間に。

 誰。一体誰の。

     俺から帝王に話す」

 セブルスは顔に叩きつけるように降る雨を右腕で無造作に拭いながら言った。

「お前が無茶をしたと聞けば帝王はまたお怒りになるだろう…俺が話す。それでいいな?」

「…ええ、ありがとう」

 その子供は、まず間違いなく殺される。

 自分が何故死ななければならなかったのかも知らぬままに、息絶える。それでも。

 目的のためには手段を選ばない。

 私が選んだのは、そういう道だ。

「…さよなら」

 その呟きは、降り頻る雨の中ではセブルスの耳にすら届かない。

 さよなら。