闇の帝王は不老の薬というものを服用し、あの若々しい容姿を保っているのだとルシウスから聞いた。
初めは正直、冷酷な目をした恐ろしい人だ、と思った。支持者である死喰い人を使い、時には自らその手を紅に染める。
けれど。
強い野望を感じさせるその紅い瞳を、私は美しいと思うようになった。
「 クラッブのミスを魔法省が嗅ぎ付けたらしい…セブルス、、二人でブロードローへ偵察に行ってくれ…尻尾を掴まれるようなものがあれば魔法省が到着する前に一つ残らず回収してくるのだ…」
「畏まりました」
二人は揃って軽く一礼し、敬忠の意を示すためにそっと胸元に手を添えた。
「…イゴールを連れて行け」
後方に下がろうとしていたセブルスを、帝王の短い言葉が遮る。僅かに眉を顰め、そっと顔を上げたセブルスとは部屋の隅から恐る恐る進み出てきた人影にちらりと視線を走らせた。
「イゴールだ…北の地理には詳しい。少しはお前たちの助けになろう」
セブルスは顔色一つ変えなかったが、彼から直接閉心術を学んだはセブルスが胸中で悪態をついていることに気付いて少しだけ口元を緩ませた。
「畏まりました。早速向かいます」
「頼んだぞ」
三人揃ってその薄暗い空間を抜け出したその時、ようやくセブルスが小さく舌打ちした。
DEATH EATER Life
はセブルスがマグルの町外れに見つけた小さな廃屋に、彼と二人でひっそりと住み着いていた。の面倒を看て欲しい、なんていうお節介とも言うべき帝王の言葉を忠実に守るセブルスは、時折ひどく頑固な父親のように鬱陶しかったが、同時に闇の世界で生きることを決めた彼女にとってとても心強い存在となっていた。
「見ろ。お前のことが載っている」
彼は生活費を得るためといって時折ふらりとマグルの町へ出て行っては日が暮れた頃に戻ってきたが、何の仕事をしているのかは教えてくれなかった。きっと危ないことに手を出しているのだろう。それにしては子供のお小遣い程度のポンドしか持って帰ってこないのは如何なものかとも思う。働いていない身でそんなことを言えば罵られるのがオチなので口にはしないけれど。
彼がの目の前に突き出してきたのは水を吸ってほとんどふやけたマグルの新聞で、魔法で乾かしてからやっとその文字を読むことができた。ぴくりとも動かない写真が今では不思議な紙切れに見える。
セブルスがぶっきらぼうに指差したのは開いたページの隅にある小さな欄で、『尋ね人』と書かれた隣に確かにの名前が印刷されていた。依頼人は 日本からやって来た、父。
『一度連絡して下さい。父さんより』
手中の新聞を、ぎゅっときつく握る。
ごめんね、お父さん。もう帰らないって、決めたの。
お父さんも騙されてるんだよ。お母さんは本当は、あの人の良さそうな魔法使いに殺されたのに。
でも父に連絡を取る気は、さらさらなかった。こんな闇の世界にマグルの父を巻き込むつもりなんかない。どうか、私のことなんて忘れて、日本で平穏な生活を送って下さい。
「ダンブルドアもお前を血眼で捜していることだろうな」
嘲るように笑い、セブルスが手にしていたナイロン袋から食パンの袋とミルク、そしてリンゴを一つ取り出した。それを見て、ホグワーツの朝食の席で、シリウスが何も塗らずにトーストを食べているのをぼんやりと思い出す。
閉心術とは便利なもので、どうやら訓練すればするほど自分の心まで誤魔化せるようになるらしい。は都合よくホグワーツのことを忘れた。歩み寄りと別れを繰り返した友人たちのことも、そう、初恋の相手との思い出までも。
だがふとした瞬間にそれは記憶の隅からひょっこりと顔を出し、こうしてを苦しめるのだった。
「心を閉じろ」
何も言わずとも、そんな彼女を見るとセブルスはすぐにそう言った。
「忘れろとは言わん。だが封じろ。お前はダンブルドアに復讐するんだろう」
そうだ。こんなことで躓いていてはいけないのだ。
既に1,2度闇の帝王から直々に閉心術と開心術を教わったセブルスとはあっという間に彼のお気に入りとなり、死喰い人の印を左腕に受けてからまだ日が浅いというのに何度か任務を任されるほどだった。それはマグルや、帝王に逆らった魔法使いたちの殺害、または拷問に失敗した死喰い人たちの尻拭いといったものがほとんどではあったが、そのどれも完璧にこなしてしまう二人に帝王は益々機嫌を良くした。
『あなたも十分に、スリザリンの性質を兼ね備えていると思うけど』
ナルシッサの言葉は、きっと正しかったのだろうと思う。私は目的を達成するために闇の帝王の下で動くことを決めた。まさに、スリザリンの特性。
ナルシッサは表立って死喰い人としての活動はしていないが、夫であるルシウスを支え、時にはその頭脳を十分に帝王のために生かしていると聞く。誰もが私の正体を知っていて、そして私だけが何も知らなかったのだ。本当に、笑える。
闇の帝王は訓練の最中に、ホグワーツ時代のの記憶の断片を見た。親友たちのこと、先生たちのこと、そして不気味なこの力のこと。けれど彼は満足そうに笑い、「それでもダンブルドアに復讐すると決めて俺様のもとへやって来たことは高く評価する」と言った。
セブルスと共に暮らす、というのは最初はもちろん抵抗があった。セブルスを信頼していないわけではないし、そういった心配≠ヘ不要だと思う。だがシリウスとのことが頭を過ぎり、どうしても罪悪感が消せなかった。
『イギリスに戻ってきたら、そのまま俺の家に来て欲しい』
私は彼を裏切った。それをさらに、こんな形で踏み躙るなんて。
だがそんなことを気にしても仕方ないと思った。シリウスの心をズタズタに傷つけたのはきっと紛れもない事実だ。今更セブルスと一つ屋根の下で住もうがどうしようがそれが変わるわけではない。
寝室とも呼べる部屋は、一つしかなかった。何しろ打ち棄てられていた廃屋だ。文句は言えまい。どちらがどこに寝るかという問題はしばらく議論されたが、最終的に寝室のベッドと居間のソファを一夜ずつ交互に使おうということであっさりと決着した。セブルスにレディファースト精神など期待していない。
は大雑把な性格だったが、反面セブルスは几帳面な男だった。ボロボロの屋内を「住めればそれでいい」と言い放ち食事を摂るスペースだけ確保しようとしたに対し、彼は「こんなのは人間の住むところじゃない」と言って丁寧に掃除した。だからといって廃屋が美しい一軒家に生まれ変わるはずもなく、そこはまるで薄暗い精神病棟を思わせるような陰気な雰囲気を醸し出していた。
は任務の際ほとんど常にセブルスと行動を共にしたが、時折彼以外の死喰い人とも組まされることがあった。けれどそれ以外では他のメンバーと顔を合わせることすらない。裏切り者の告発による全滅を防ぐためとルシウスは言っていたか。
「The Dark Lord... 大丈夫なのですか?セブルスはともかく…こんな小娘に任せて」
不信感というよりはむしろ嘲りの表情を浮かべてベラトリクスが言った。そう言うな、と闇の帝王は微かに笑う。
「ベラ、お前は知らんのだ…は俺様の力を多く受け継いでいる…むしろ役不足と言えるほどかもしれん」
帝王の言葉に、ベラトリクスは意地悪くニヤリと目を細めた。
セブルスと共に部屋を出たを呼び止めたベラトリクスが、ニヤニヤと笑いながら囁くように告げる。
「あなたがどれほど闇の帝王の力を継いでいるのか知らないけど、所詮はマグル育ち あのお方が最も信頼を置いているのはこの私よ。あのお方は私にとても重要な任務をお与えになるわ…あなたはどうせ単なる尻拭い。それを忘れないで欲しいわね」
「それはあのお方に直接伝えればいいんじゃないかしら」
がニコリと笑うと、初めてベラトリクスの頬が怒りで赤らんだ。間髪を容れずに続ける。
「私の目的はアルバス・ダンブルドアの息の根を止めることだけ。そのためにこうして闇の帝王の下で機会を待ってるの…そうさせてもらえるのなら私はあのお方の命令を何でも聞く。それだけよ。あなたみたいに純粋な忠誠心からじゃない」
「何ですって!」
瞬時に懐から杖を取り出したベラトリクスがの喉元にその先を突きつける。呆れたように息をつくセブルスの傍らでは身じろぎ一つせずに言った。
「あのお方はご存知よ。私が忠誠心からではなく目的遂行のためにこうして死喰い人になったんだということは。あのお方は今の私の働きに十分満足されてるわ…どうしてあなたがそんな下らないことを気にするのか理解に苦しむわね」
カッと目を見開いたベラトリクスが杖を掲げて口を開く。だが素早く反応したセブルスの武装解除呪文で、ポンと音を立てて彼女の杖は虚空に弧を描きセブルスの手中に収まった。
「いい加減にしろ、ベラトリクス。にそんなことを言っても何も始まらんだろう」
「でも…あの予言さえなければ、あのお方は決してこんな女を手元に置いたりしないでしょうに…!!」
苛々と歯噛みして、ベラトリクス。
「あの予言が、あのお方が60歳以上という限定付きでなければ…血だけ採られてどうせあんたなんかさっさと始末されてる運命よ!それをよくも…」
「生憎だったわね、ベラトリクス。私はあと7年は確実に生かされる運命なの」
はあくまで落ち着いた調子で言葉を続けた。セブルスが溜め息雑じりに呟く。
「ベラトリクス、闇の帝王はを評価していらっしゃるんだ。お前が身につけられなかった閉心術にも長けているし、動物もどきの能力もある、蛇語も話せる…血を採った後でもあのお方がこいつを棄てるとは思えんな」
は少なからず驚いてセブルスを凝視した。彼が私を褒めてくれたことなんてほとんどない。一方のベラトリクスは噴火でもしそうなほど憤りで顔面を真っ赤に染めてセブルスの手から自分の杖をもぎ取ると、を物凄い形相で睨み付けてからさっさと行ってしまった。
「…学生時代からああなの?」
「まあ、似たようなものだ」
うんざりした様子でセブルスがまた息をつく。綺麗なドレスでも着て口を噤んでいれば、ベラトリクスは確実にどこぞのお姫様顔負けの美女となるだろう。それほどに彼女の顔立ちは美しい。けれど半ば狂ったように目を輝かせて闇の帝王に自分がどれほど忠実かを見せ付けるからこそ彼女はベラトリクス・レストレンジなのだということもこの半年で嫌というほど分かった。
暗くなってから姿現しで小さな町の河川敷に下り立ち、頭に被せたフードを後ろに払いながら振り返る。
「セブルス、明日は一緒に出かけない?」
「出かける?お前がか。珍しいな」
「仕事は入ってるの?」
「いや。明日は何もない」
彼は家に戻るまで、外では絶対にフードを脱がない。目を合わせて話した方が閉心術の訓練になる、と提案したことがあるが、それでも律儀な彼は顔を目撃されることがないようにとたとえ夜でも常に細心の注意を払っていた。
「出かけると言っても、どこへ行くつもりだ」
「ダイアゴン横丁」
あっさりと答えたに、セブルスは大袈裟なまでに吹き出した。
「ダイアゴン横丁?冗談も休み休み言え。買い物なら近くのマグルの町でもノクターン横丁でも済ませられるだろう」
「でもグリンゴッツにお金預けてるんだよね。マグルの町っていったってセブルスの稼いでくるポンドじゃまともなもの買えてないのが現状じゃない」
「文句を言うな」
あからさまに不機嫌な声でセブルスが毒づく。だが家までの道のりを早足で進みながら、彼はようやく溜め息雑じりに言った。
「…確かに今の稼ぎでは限界があるな。俺もグリンゴッツに多くはないがガリオンを預けてあるし…」
セブルスはこの半年のうちに死喰い人としての一人称とセブルス・スネイプとしての一人称を使い分けるようになり、後者の場合は躊躇いもなく『俺』と口にするようになっていた。初めのうちはその度にゲラゲラと笑ってやっていたが、今では『僕』と言われた方が気味が悪い。
とセブルスは魔法使いの多く集う場所には決して足を運ばないようにしていた。まだ魔法省に面が割れていないセブルスはともかく、ほぼ間違いなくは捜索対象にされているだろうからだ。魔法省が動いているかは分からないが、娘が戻ってこない父親がホグワーツに問い合わせないはずはないし、全く連絡の取れない親友たちが彼女を捜さないはずもない。勘が良ければダンブルドアは私がなぜ消えたかにも気付いただろうし。
だが差し迫って金銭的に苦しくなってきた二人は、ルシウスに頼るという選択肢をプライドの高さから消去し(セブルスは頑なに「一方的に借りを作りたくない」と言って聞かなかったし、もルシウスはともかくナルシッサに頭を下げるということはしたくなかった)グリンゴッツへガリオンを受け取りに行くという決意を固めた。だが何度もダイアゴン横丁に足を運ぶという危険を冒さずに済むよう、ありたっけの金貨を持って帰ろうという条件付きで。
「それで強盗に入られるとか、この家が闇祓いに見つかるとかになったら本当に私たち無一文よね」
「笑えないな」
「ええ、笑えないわ」
セブルスとの、ははは、と乾いた笑いが部屋に空しく響く。
やはり、たとえこの家が危険に晒されたとしても後々困らない程度の金だけを持ち帰る計画に変更した。
「俺はいいが、お前は変装して行け」
「分かってるわよ」
「下手な仮装パーティみたいな真似事はするんじゃないぞ」
「分かってるってば、うるさいな。私はこれでもNEWT変身術でOだったんだからね」
ほら、やっぱりセブルスはうるさい。
でもその鬱陶しさが今の私には本当に嬉しくて、彼はぽっかりと開いた心の隙間をたくさん埋めてくれていた。
彼がいなければきっと私は既に破滅していたと思う。
コートを被ってソファで眠り込んだは、翌朝セブルスの拳で苛々と身を起こした。彼女の目の下には物凄いクマができていたらしく、「それだけ凄ければ変装も必要ないかもな」などと失礼なことを言ってのけた彼の顎に容赦なく尖った拳を叩き込む。
家のすぐ横にある苔生した井戸から汲み上げた氷のような水でサッと顔を洗うと、はどんよりと曇った鉛色の空を見上げた。
「、早くしろ」
家の中から投げやりな声が聞こえてくる。
「すぐ行くわよ。あなたも顔くらい洗いなさい」
几帳面なくせに洗顔も怠るセブルスのために、は毎朝汲み上げた水を小さなバケツに移して部屋の中へ持って行く。彼は学生時代に見た通りパンツもろくに洗わない。彼の下着を洗ってやるようになったのはつい先日からだ。
情けないやら、呆れるやら。それでも、私は。
一人じゃない。
みんながいなくても。
私はただ目的を成し遂げるために。
こうしてセブルスと、生きていく。