「どういうことなの、ダンブルドア!!」
ばん、と勢いよく目の前のテーブルを叩きつけて中年の魔女が声を荒げる。彼女の向かいに腰掛けた老人は軽く瞼を伏せた。
「私たちはあなたを信用してあの娘の管理を任せていたのよ!それなのに行方が分からないなんて…どうするつもりなの!もしもあの娘が例のあの人の手に渡っていたら…!」
「 まだ…あの期限≠ワでは時間があります、バグノルド」
ダンブルドアの傍らに無言のまま座っていたマクゴナガルが、ようやく徐に口を開く。バグノルド、と呼ばれた魔女はキッと目付きを鋭くして言葉を続けた。
「いずれにしても一旦あちらの陣営に渡ればこちらに取り戻すのは至難の業でしょう!もしもあの期限≠ワでに娘を取り戻せなければ…この国はお仕舞いよ!あなたにもどうすることも出来ない、そうでしょう!!」
「 まだ、があやつの手に渡ったと…決まったわけではない、ミリセントや」
「そうでないとも言い切れないでしょう!」
凄まじい剣幕で怒鳴るバグノルドに、あくまでダンブルドアは静かに告げる。
「…あの子は、自分があやつの孫だと知っても…それでもなお闇祓いの道を選ぼうとした、意志の強い子じゃ。わしはあの子があやつのもとへ赴いたとは、どうしても考えられん」
「そんな悠長なことを言っている場合じゃないでしょう!拷問されたかもしれない、拉致されたのかもしれない、監禁されているかもしれない…あの娘を手に入れる方法なんて例のあの人ならいくらでも持っているでしょうよ!とにかくこちらからは闇祓いも警察部隊もほとんど動かせないわ、イギリス中で死喰い人の起こしている事件が後を絶たないの!いいこと?何としてでもあの期限≠ワでに娘の身柄を確保してちょうだい!これはあなたの落ち度、落とし前もそちらでつけてもらうわ!」
ぴしゃりと言い捨ててそのまま部屋を出て行ったバグノルドを見やり、マクゴナガルが憤然と鼻を鳴らす。仕方あるまいと囁くように言ったダンブルドアは、ゆっくりと腰を上げて椅子を丁寧に定位置に戻した。
「魔法省も事件の処理で手一杯なのじゃ。こちらでどうにかするしかあるまい」
マクゴナガルは短く「そうですね」と頷いたが、とても納得している顔には見えない。
魔法をかけた窓の外には、沈みかけた夕陽が燦々と瞬いていた。
My Departure TO new World
7年生の時、無事に姿現しの試験に合格しただったが、セブルスは全く人気のない狭い路地で「僕の腕に掴まれ」と言って彼女の前に右腕を差し出した。
「…どこに行くの」
「ルシウスとの約束の場所がある。今からそこに姿現しする」
ルシウス。あの深いグレイの瞳を思い出す。シリウスのものとは違って、冷ややかな、貫くようなあの瞳を。
一瞬躊躇したが、はセブルスの腕をそっと掴んだ。それはとても頼りがいがあるとは言えない、細い腕。シリウスのがっしりした身体を思い出してしまい、ずきんと胸が痛んだ。
忘れなきゃ。シリウスのことは、忘れるんだ。自分でその道を選んだんじゃないか。
一番大切な人と生きることよりも、母の敵を討つ道を選んだ。
いくぞ、というセブルスの声で、あの姿現しに特有の吐き気がするような不快な感触が全身を駆け巡る。爽やかな解放感にパッと目を開くと、そこは広く薄暗い廃屋の中のようだった。気味が悪い。唯一の窓は高い天井につけられた小さなもので、昼間だというのに仄かな明かりしか入ってきていない。
セブルスの腕にしがみついたままで辺りを見回すと、ちょうど向こうの扉の一つからランプを手にした誰かが姿を現したところだった。
「 セブルス、時間通りだな」
ひんやりした、満足げな低い声。全身にぞくりと寒気が走った。
カツ、カツと冷たい靴音を鳴らしながら、ルシウス・マルフォイが近付いてくる。マルフォイは二人の目の前でピタリと足を止め、手元のランプでそっとの顔を照らした。彼の顔に、これまで以上にニヤリと笑みが広がる。
「…久し振りだな、ミス・。元気そうで何より」
『 いずれまた、会うことになるだろう。それまで、身体には十分気を付けて』
ああ、きっと彼は、こうなることを予測していたんだ。軽く瞼を伏せ、「お久し振りです、ミスター・マルフォイ」と返す。
マルフォイは恍惚とした表情でランプを下ろし、今度はセブルスに顔を向けた。
「セブルス、あのお方は既にお前を高く評価していらっしゃる。さあ、荷物を置いてついて来るといい。闇の帝王がお待ちだ」
マルフォイの言葉に、はぎくりと身体が強張るのを感じた。『闇の帝王がお待ちだ』 まさか、これから会いに行くとでもいうのか?
「ちょ…待って下さい!」
トランクから手を放し、マルフォイについて歩き出そうとしたセブルスの後ろ姿には声を張り上げた。不可解な顔で、二人が振り向く。
「…今から闇の帝王に…?それは、私もですか…?」
ニヤリと笑い、マルフォイ。
「その通り。闇の帝王は長年君を探していらっしゃった。君が立派に成長したことをとてもお喜びになるだろう」
心臓が、どくどくと激しく鳴り響いている。まさかそんなこと、考えてもいなかった。ずっと憎んできた、けれど今はダンブルドアへの憎悪の方が大きい。私の、祖父 でも、今すぐ会うなんて。心の準備が、できていない。
「恐れることはない」
柔らかな言葉とは裏腹に、マルフォイの声音は変わらず冷ややかだ。
「闇の帝王は君が帰ってくることを心から待ち望んでこられた。さあ」
紳士的な物腰で、マルフォイがの手を取る。初めて触れた彼の皮膚はひどく冷たくて、は背筋が凍る思いがした。
マルフォイはその部屋を横切り、長い廊下を静かに歩いた。彼に手を引かれたと、その傍らを進むセブルスも一言も喋らない。最初の部屋と同じようにほとんど光の入らないその建物が一体どれほどの総面積なのかを考えているうちに、ようやくマルフォイはとある古惚けた扉の前で立ち止まった。
の手を放したマルフォイが、その中に向かって厳かに口を開く。
「The Dark Lord... セブルスです」
「 入れ…」
声が。溜め息雑じりのような、それでいて心臓をいきなり鷲掴みにされたかのような、今までに聞いたことのない、ひんやりとした力強い何かを感じさせる声。
マルフォイが、そっとドアを押し開けた。
中はほとんど暗闇といってもいいほど薄暗かった。まるで外からの光がそこに差し込むのを拒んでいるかのように、ひっそりとしている。事実マルフォイは手にしていたランプの火を吹き消してしまったし、の目には誰の人影も見つけられなかった。
けれど確かにそこには一人の魔法使いがいて、彼は変わらず低い声音で扉の外に立ち尽くす彼らを呼んだ。
「ルシウス、セブルス そして娘よ…躊躇うな、こちらに来い」
落ち着け…落ち着くんだ。私はダンブルドアを憎んでいる。祖父と、手を組めるはずだ。セブルスを信じろ。
マルフォイ、セブルスの後に続いてそっと部屋の中に入ると、背後の扉が独りでにバタンと閉まった。びくりと身を強張らせる。この暗闇の中で辺りの様子が見えているのか、闇の帝王はくつくつと笑った。
「ルシウス、御苦労だった。さあ、セブルス…話はルシウスやベラから聞いている。お前は随分と闇の魔術に精通しているようだな…いずれ俺様から直接最高の闇の魔術を伝授してやろう…」
「 身に余るお言葉です」
セブルスが恭しく答え、小さく頭を下げるのが暗闇に慣れた目で窺える。
そしてその時、はようやく目の前に煌く二つの紅い瞳を見た。一瞬でぞくりと背筋が凍る。蛇のように冷酷な、熱のない瞳。その両目がを捉え、闇の帝王はニヤリと笑った。
「そしてセブルス…お前には礼を言わねばなるまい…親愛なる俺様の孫娘を、こうしてここに連れてきてくれた…」
「私はあなた様がこの世界を浄化する手助けになるのならば何でも致します」
セブルスの言葉に、闇の帝王は満足げに目を細める。そして彼は、やっとに向けてその口を開いた。段々…目が慣れてきた…。
「さあ…、といったな、娘」
氷で首筋でも撫でられているようだ。でも、抑えろ。これが自分の選んだ道なんだ 恐ろしいなら、心を閉じろ。
「はい、The Dark Lord」
闇の帝王が軽く杖を振ると、その先に仄かな明かりが点った。闇の帝王の顔が、ぼんやりと照らし出される。それは、老人の顔ではない 若い成人の、綺麗に整った顔。
驚くに、闇の帝王は静かに告げる。
「 …お前は、母を死なせたあのアルバス・ダンブルドアが…憎いか?」
帝王の杖先の明かりが、の心を反映するかのように突然揺れ動く。は震える拳をきつく握り締めながら、もちろんですと頷いた。
闇の帝王がニヤリと口角を上げる。
「20年ほど前に俺様に為された予言のことを聞いているか?」
「…あ」
が不安げにセブルスに視線を走らせると、彼は半分ほど伏せた瞼の下で小さく頷いた。慌てて帝王に視線を戻す。
「はい、セブルスから聞いています…」
「それならば話が早い」
闇の帝王が頷くと、そこへ静かにマルフォイが口を挟んだ。
「The Dark Lord 、セブルスには…あの期限≠フことは、まだ伝えていません」
ぴくりと眉を上げた帝王が、そうかと言ってに向き直る。あの期限=c?
「、俺様の支持者の中には予見の能力を持つ者がいた。そいつが20年ほど前に俺様に語った予言によると…俺様が、自分の血を継ぐ者から得た血を取り入れたその瞬間…俺様は無敵の存在となる 」
「…血を取り入れる…!?」
ギョッとして、思わず声をあげてしまった。セブルス、それって言ってたことと違うんじゃない?確か、私と帝王が手を組めばって…。
「どうした」
僅かに眉を顰め、帝王が言葉を切る。は小さくかぶりを振った。けれど、心を読まれたのかもしれない。鼻で笑いながら、闇の帝王は言った。
「案ずるな。お前の血を全て抜くと言っているわけではない。少量で良いのだ…聞くところによると、お前は既に開心術士、そして閉心術士としての才能があるらしいな…鍛錬さえすれば強力な闇の魔術も扱えるようになろう…ちょうどいい、セブルスと共に俺様が直接伝授してやる」
「あ、ありがとうございます…」
慌てて頭を下げる。闇の帝王はゆったりと腰を下ろした大振りの椅子の上で足を組み直した。
「…さて、先ほどの予言の話だが…但し、条件があるのだ…」
「条件…ですか」
「予言の通りなら、俺様は、、お前の血を取り込めばもうあの忌まわしいダンブルドアを恐れる必要もなくなる…だがそれは、俺様が60歳を過ぎてからのことだ…」
「 60歳…?」
眉根を寄せるに、帝王はさらに続ける。
「そうだ、60歳だ。まだ8年も待たねばならない…腹立たしいことだ…だが、仕方あるまい。それまで、お前にもセブルスにも…存分に働いてもらおう…そして俺様が60歳を迎え、無敵の存在となった暁には…、共にあの憎きダンブルドアの息の根を止めようじゃないか…」
胸の底ではぞくりと気味の悪いものが這い回っていたが、きっとうまく誤魔化せたのだろう。セブルスに閉心術の訓練をしてもらっていて、良かった。尤も、闇の帝王は端から彼女の心を覗こうななどと考えてはいなかったのだが。
ニヤリと笑った帝王は、セブルスに顔を向けてローブの下に置いていた右手を彼の方へと軽く伸ばした。
「 セブルス、お前を我々の家族として認めよう…腕を出せ」
何をするのか、見当もつかない。けれどほんの一瞬だけセブルスの表情が強張ったのを見て、は嫌な予感がした。
セブルスのシャツの袖を捲り上げた闇の帝王が、彼のか細い左腕に明かりの点ったままの杖先を押し当てる。帝王が何やら呪文を唱えると、セブルスは顔色を変えまいとしていたが、その口元がきつく真一文字に結ばれた。
ジュッと焼けるような音がして、焦げ臭い臭いが鼻をつく。闇の帝王がセブルスの腕から杖を離すと、そこに真っ黒い髑髏とその口から吐き出された蛇の印がくっきりと浮かび上がっていた。
アッと息を呑むに、闇の帝王は口角を上げる。
「死喰い人の印だ…招集をかける際にはこの印を活用する。この印が焼ければ死喰い人は誰もが俺様のもとへと姿現しで集う…」
肌を焼く。焼き鏝のようなものだろうか。そんな痛い儀式があるなんて聞いてない。はセブルスと同様に腕を差し出すように言われ、大人しく左腕を闇の帝王の前へと突き出した。
文字通りにそれは焼け付くような痛みで、は思わず声を漏らしてしまった。彼女の腕を放しながら、帝王は喉の奥でくつくつと笑う。
「この程度の痛みには耐えてもらわねばなるまい…まあ、直に慣れるだろう。セブルス、、これからはお前たちも我々の家族だ…時として共に任務についてもらうこともあろう。だが、今日はもう休め」
、セブルス、マルフォイが揃って軽く一礼したところで、思い出したように闇の帝王が口を開いた。
「そうだ…セブルス。お前に頼みがある」
僅かに目を見開き、セブルスが一歩前に出る。
「お前にの面倒を看てやって欲しい。何しろ、俺様の血を分けたたった一人の大切な孫だからな…」
満足げに細められた帝王の紅い瞳が、愉快そうにを見つめる。セブルスは「そのつもりです」と言って再び一礼した。そのつもりって、ちょっと。
その部屋を出て元来た道を引き返す途中、は平然とした顔のセブルスに詰め寄った。
「私の面倒看るつもりって、一体どうするつもり!?まさか私の保護者にでもなるつもりじゃないでしょうね!」
「そんな面倒臭いものは御免だが、僕以外に誰がお前の面倒を看るというんだ」
「放っといてくれたらいいでしょう!自分のことくらい自分で…」
「ほう。家もない、金もない、職もないお前がどうやって生活していくつもりだ。路上で生活していれば恵みが与えられるとでも思っているのなら大間違いだぞ」
「そ、それは…」
確かに、セブルスの言う通りだ。でも、それはセブルスだって同じことじゃないか。
二人の脇を歩くマルフォイが隠しもせずに失笑した。
「経済的な心配はしなくてもいい。私がいくらでも援助できる」
目を丸くするを、「バカかお前は」とセブルスが睨み付ける。
「ルシウス、それは悪いがお断りだ」
「ほう。収入の当てがあるとでも言うのか?」
「なくはない。住居はもう決めている。一方的に借りは作りたくないんだ」
「相変わらず律儀な男だな、お前は」
「何とでも言え」
「 まあ、苦しくなればいつでも声をかけろ」
マルフォイが軽い調子でそう言った時、ちょうど彼らが姿現しした最初の部屋へと戻ってきた。セブルスが自分のトランクのもとへ歩み寄り、その取っ手を無造作に掴む。
「」
セブルスと同じように自分のトランクを持ったの後ろ姿にマルフォイが声をかけた。どきりと心臓が跳ね上がる。
彼のグレイの瞳は相変わらず温かみがあるとは言えなかったが、それでもそこには先ほどまでとは違う色が浮かんでいるようにも思えた。気持ちの問題なのかもしれない。
「在学中はあまり交流の機会が持てなかったが…今後は仲良くしよう。我々はこの印の下、互いに家族≠ネのだから」
そう言ったマルフォイが、そっとローブの袖を捲くり、左腕に焼き付けられた死喰い人の印を見せる。なぜかも同じことをしなければという思いに駆られ、シャツの下から髑髏の印を覗かせた。それにさらに、セブルスの焼印が押し付けられる。
口にすべき言葉は、自然と頭の中に浮かんでいた。三人で声を揃え、呟く。
「The Dark Lord」
ニヤリと満足げに笑んだマルフォイ もとい、ルシウスがさっと袖を下ろし、一瞬のうちに姿くらましした。の胸の中には不思議な一体感が生まれていた。奇妙な心地良さがあった。
ひょっとして私は、こうなる運命だったのかもしれない。
死喰い人の印をシャツの下に戻したセブルスがぶっきらぼうに言った。
「僕と来るのか、来ないのか」
そしてその答えも、自ずと決まっていた。
こうして、私はセブルス・スネイプと共に闇の世界に身をやつした。