は二度目のウィゼンガモット裁判ですべてを告白し、アズカバンに懲役三年という判決を下された。だがその監獄は、これまでのものとはまったく趣を異にする。長年看守を務めた吸魂鬼は完全にアズカバンを離れ、囚人たちはそのすぐ傍に設けられた小屋で刑務作業を課せられることとなった。
如何なる事情があったとしても、彼女がこの一年で拷問、殺害した人々の数は優に数十にも上る。にも関わらずこの程度の刑罰で済んだのは、あの英雄ハリー・ポッターと、そして魔法大臣キングズリー・シャックボルトに魔法法執行部部長のジェーン・ベンサムによる弁護が大きい。
「最後に何か、言っておきたいことは?」
裁判官席の中央に腰掛けたベンサムがきびきびと問い掛け、顔を上げたは自分の両手首を縛る重々しい鎖がじゃらりと音を立てるのを聞いた。
「一つだけ。一つだけ、お願いがあります」
法廷は静まり返り、誰もが息を潜めて彼女の言葉を待った。噛み締めるように、告げる。
「この戦いで命を落としたすべての人たちに
安らげる場所を、用意していただきたいのです。たとえ闇の印に魂を捧げた人間でも、それが誰であっても」
何人かの傍聴者は「不謹慎な!」と声を荒げたが、ベンサムが鋭い視線でそれを遮った。再び法廷が落ち着きを取り戻してから、続ける。
「人は誰しも生まれたその瞬間から罪を負っているわけではありません。誰と交わるか、どんな世界に触れるか……人間は、弱い生き物です。ほんの些細なことで、いとも簡単に闇に堕ちることだってあります。それを認めなければ、何も変えられない。彼らが闇に染まったまま死んでいったのなら……それを引き戻せなかった私たちにも、責任はあります」
だから彼らは、私をスリザリンから引き離そうとした。それなのに結局は交わってしまったのもまた
運命だったに違いない。それならば私は、彼らに関わってしまった人間として、それができる場所にいたはずだ。
「
皆さんにお伝えしたい。忘れないでください。関係のない人間なんて、誰一人としていません。誰だって、『そう』なる可能性はあった。『そう』ならなかったのはたまたま幸運だっただけかもしれないのです。だから私たちは、考えるのを止めてはなりません。生き残った者の責務として、彼らのことを忘れてはいけないのです」
そう。墓なんて、所詮は生き残った者たちへの慰めでしかない。そして私たちは『それ』を
忘れてはならない。そのために、彼らの生きた形を残さねばならない。
もう二度と、同じ過ちを繰り返さないように。
傍聴席で顔を真っ赤にして立ち上がった一人の老魔法使いが、握った拳を振りかざして叫んだ。
「無礼な!それを自らが闇に堕ちたことへの弁解にするつもりか!我々は貴様のような人間とは、違う!」
「発言を許可した覚えはない、チャーチル」
冷ややかに言い切ったベンサムは、物憂げに首を回してチャーチルを見た。
「あなたが『そう』ならなかったという確信でもあるの?誰もが心の内に闇を抱えているわ。それは私にも理解できる。ほんの少し、それを後押しする何かがあれば
私も、ひょっとしたらあなたも、『あちら側』にいたのかもしれないわね?」
「な……私は、決してそのようなことは……!」
「何ならあなたが二十年前にアズカバンの世話になりかけたときのことを今ここで公表しましょうか?」
法廷中が密やかにざわつき、チャーチルは苦虫を噛み潰したような顔できつく口を噤んで俯いた。発言のある者は挙手、というベンサムの一声で、再び法廷には静寂が訪れた。
「検討するわ。他に何か、言い残したことはある?」
いいえ、と言いかけたは、はっとして顔を上げた。声には出さずに、何、とベンサムが視線だけで問い掛ける。彼女は思わず前方へと身を乗り出して、それを口にした。
「彼らを
どうか、マルフォイを。彼らはそうせざるを得なかったのです。家族のために、あの方に従うしかなかったのです。だからどうか……マルフォイたちに、恩赦を」
再び傍聴席からは不機嫌そうに鼻を鳴らす音が聞こえてきたが、ベンサムはあっさりとそれを無視した。
「
検討しておくわ。では、本日はこれまで」
はアズカバンへ収監される前、一時的に自宅へ戻ることを許された。自宅、といってもこの二十年、ほとんどすべての時間をホグワーツで過ごしていた彼女は、私物の整理をするために一度、セブルスと暮らした小屋へと足を運んだ。スピナーズ・エンド。とあるマグルの住宅地の近く。そこは彼の、生まれ故郷だった。聞いたところによると、リリーの実家もすぐ傍にあるという。彼らはホグワーツに入学する以前から、出逢っていたのかもしれない。
そこには彼以外の人間が暮らした痕跡が残っていた。本棚の裏の、隠し部屋。彼女はすぐに、そこに一時期ピーターが住んでいたことを知った。セブルスは何も言わなかった。まったく、最後まで彼らしい。本当に。
彼女が何年も昔に仕舞い込んでいた学生時代の思い出の品は、捨てられることなくそこにあった。写真、手紙。彼らが悪戯書きを残した、学用品の数々。傍らのベッドに腰掛け、小さく微笑んでそれらを一つずつ眺めていく。そういえば昔はよく、このベッドをセブルスと二人で交互に使っていたっけ。
写真の束を見ているときに、はふと気付いた。ない。足りない。確かにこれらの写真と一緒に、仕舞っておいたはずなのに。だがその理由は、すぐに知れた。セブルスだ。彼が抜き取っていったに違いない。
リリーと二人だけで撮った写真ばかりが、消えていたから。
「……なによ。自分だってずっと、忘れられなかったくせに」
そのことには気付いていた。だって彼の守護霊はずっと、鹿だったのだから。それは今でも彼が、リリーを想い続けていたということの証。リリーの守護霊もまた鹿だった。その所以を、恐らくセブルスは知らずにいたのだろうが。気付いていたすれば、あまりにも残酷すぎる。知らぬが仏という日本の諺を、彼女は覚えていた。
はそれらの品を持って、ひっそりと小屋を後にした。もう二度と、ここへは戻ってこないだろうと独りごちて。
はホグワーツで最後の夜を過ごした。マクゴナガルたちは地上の階に彼女の部屋を用意しようとしたが、は敢えて住み慣れた地下室を選んだ。やはりこの部屋こそが、私の故郷なのだと。
寝室は一年前、彼女が逃走した頃のまま放置されていた。誰も、恐らくセブルスでさえも片付ける気にはなれなかったのだろう。
すっかり綺麗になった研究室、そしてセブルスの部屋を見てから、自分に宛われていたはずの部屋を軽く整理する。もう私は、決してここへは戻ってこない。立ち去る前に、すべてを片付けてしまわなければ。整理がつけばホグワーツはまた、その役割を果たすべく始められるだろう。きっと誰もが、そのことを望んでいるはずだ。そのときここに私などの残骸があれば、人々は思い出さなくともよいものまで思い出してしまう。
二度と開くことはないだろうと仕舞い込んだ箱を、再びそっと手に取る。その中から取り出した指輪を静かに薬指に嵌めた。ねえ、これくらいのことはいいでしょう?だってこれは、あなたが私にくれたもの。たとえこの世で添い遂げることができなくても、それをどうしようと私の勝手じゃない。
ベッドに腰掛けてぼんやりとその指輪を眺めていると、控えめにドアをノックされた。はっとして、思わず右手を隠して立ち上がる。
「……どうぞ」
そっとドアを開けて姿を見せたのは、ハリーだった。その後ろ手に何かを隠し、こちらを窺うように顔を覗かせている。
「あの……今、宜しいですか」
「ええ、どうぞ」
は部屋の隅に置いてあった小さなスツールを一つ引きずって、彼の前へと運んだ。ありがとうございます、といってハリーがそれに腰掛けるのを確認してから、自分は再びベッドの縁に身体を戻す。
彼は膝の上に置いたアルバムに何度か視線を落としながら、言った。
「あなたさえ良ければ……出発前に少し、あなたたちの昔話を伺いたいと思って。ええと……その……」
「
」
もごもごと口の中で呻いているハリーに向けて短く告げると、彼は虚を衝かれたように顔を上げて瞬きした。ああ、本当に。この子は、ジェームズにそっくり。けれども違う。彼はもう、私たちの永遠に手の届かないところへ。
「『』で構わないわ。あなたが呼びづらくなければ、だけど」
「あ……はい……でも」
「あなたはもう、子供じゃないものね。そして私はもはや教師ですらない。私はこれから、一人の人間として、あなたと向き合っていきたいと思ってる」
言って彼女はゆっくりと立ち上がり、目を丸くして唖然としているハリーの許へと歩み寄っていった。溢れ出す涙を、止めることができない。
「……ごめんなさい。ずっと……何も、言ってあげられなくて。ただあなたを見るのがつらかった。あなたに真実を知られるのが怖かった。だから、私は……」
あなたに疎まれることで。そこから遠ざかろうとした。逃げたのだ。結局、私の人生はいつだって。
すると腰を上げたハリーは、何度か首を振っての腕を掴んだ。彼は随分と背が伸びて、そう、ジェームズよりも少し、見上げなければならないほどだった。
「いいんです。あなたが打ち明けてくれていてもきっと僕は
昔の僕ならばきっと、やはりあなたを憎んでいたと思いますから」
だからこれで。結果的にはこれで、良かったんです。そう言ったハリーの腕の中で、は声を潜めて泣いた。ありがとう。ありがとう
あなたは本当に、とても。きっと誰もが望んでいた以上に、ずっと。大きな人間に。
その後、はハリーの持ってきたアルバムを二人で覗きながら、その時々の思い出話をいくつも聞かせてやった。一年生のときに、ハグリッドが彼にプレゼントしたもの。
二年生でシーカーに選抜されたジェームズが臨んだ初試合。チームメートたちに囲まれて大歓声を浴び、誇らしげに笑うジェームズ。その夜、寮をあげての宴会で友人たちと揃って撮った写真。恐らく、送ったのはスーザンだろう。この頃はまだ、リリーはジェームズのことをひどく毛嫌いしていた。写真にはもちろん、彼女の姿はない。
三年生のとき。許可されたホグズミード週末。はリリーと二人で出掛けた。そして三本の箒で遭遇したロリーナが、みんなで乾杯だといってバタービールでいっぱいのテーブルを写真に納めた。
それから少し後だった。ジェームズとリリーが付き合うようになったのは。あまりに速い展開に当時は驚いたが、今ならば分かる。リリーはそれより以前から、認めたくはなかったに違いないが、ジェームズのことを気にかけていたのだろう。
五年生。暴れ柳事件以前。談話室で二人、睦ましげにくつろいでいるところを彼らはよく撮られていた。六人でホグズミードに出掛けたときの写真もある。送ったのはきっと、リーマスだ。
二人の結婚式の写真もあった。本当に、身内だけの。小さな小さな、ウェディング。私は行くことができなかった。大切な、彼らの新しい門出を。私は素直に祈ることすらも。
「
逃亡した死喰い人たちは、見つかったんですか?」
朝を迎え、ジェーンと、そして魔法法執行部の何人かの役人たちに連れられて、はホグワーツを去った。誰もが涙を流して見送ってくれた。ハリー。マクゴナガル、ハグリッド。リーマス、そしてニンファドーラ。モリー。失意に打ちひしがれた、スラッグホーンもいた。
ジェーンは小さく嘆息し、徐に瞼を伏せる。
「……まあ、それなりには。でもあなたが提供してくれた情報をすべて活かしきれたとは言えないわね。まだ足取りすら掴めない連中も」
「そうですか」
彼女らはひっそりと、ロンドンの外れを歩いていた。他の役人たちは少し離れたところに待機している。マグルたちの住む町並みを見下ろす小高い丘の上で、二人は足を止めた。
「プライアは、見つかったんですか?」
「
ええ。それはもう、あっさりとね」
そこにはの両親が眠っていた。いや、今の私には分かっている。ここに、彼らはいない。彼らは既に、この世界で新しい人生を歩んでいるはずだ。いつかまた、出逢える日がくると信じて。
今ではその隣に、もう一つ、新しい墓石が並んでいた。『あなたの悲しい記憶を忘れない
トム・マールヴォロ・リドルへ』。
「……彼女は、どうして死喰い人に?前回から既に、あの人の許で働いていたんですか?」
「いいえ」
言ってジェーンは、母の墓石に小さく十字を切った。
「でも、興味はあったみたいね。従弟のバーティミウス・クラウチが死喰い人として投獄されてから、彼がどうやって『あの人』に近付いたのかと疑問に思ったそうよ。そして『あの人』が蘇ったとダンブルドアが宣言してから、前回死喰い人だとの疑いを持たれていたルシウス・マルフォイに接近した」
「
何でも良かったの。誰だって良かった。ただ、面白いものが見られそうだと思ったから。私はたまたま純血だったし、『あの人』はダンブルドアやファッジに替わって、これから新たにこの国を支配する人物だと思った。だから」
気だるげに椅子に腰掛けたアイビスを見下ろしながら、彼女は失意の色を滲ませて声を荒げた。
「……それだけのことで?それだけのことでパイアスを『あの人』につきだして、省を乗っ取ろうとした?あんなにも多くの犠牲を出して。それでもあなた、省に二十年も仕えてきた魔法法執行部の人間なの?」
そして震える声を肺の奥に留め、やっとのことで続けた。
「……恥ずかしいわ。あなたも、そんなあなたの本性にずっと気付けなかった自分も。あなたが私たちと同じ……グリフィンドールだったなんて」
するとそこで、初めてアイビスは反応らしい反応を見せた。目つきを鋭く尖らせ、挑むように言ってくる。
「私は勇敢に戦ってきた。獅子の申し子として。私はグリフィンドール寮であったことを恥じてなどいないし、これまで私がとってきた行動をも決して恥じてはいない」
その明瞭な口ぶりに、ジェーンは面食らって思わず身体を後ろに引いた。だが思い直したように、口を開く。
「だったらどうして逃げたの。堂々と立ち向かえば良かったじゃない」
「私は逃げてなどいない。次の自分の居場所を探しに旅立っただけ。もうこんなつまらない組織に未練などなかった」
「
いいえ、あなたは逃げたのよ。あなたが本当に勇敢だったのなら、自分の正義のために最後まで戦い抜いたはず」
アイビスは背もたれに悠然と身体を戻し、鼻先だけで冷ややかに笑ってみせた。
「だからあなたたちは馬鹿なのよ。正義って何?そんなもの、人それぞれの尺度でしかないでしょう。この二十年、執行部に身を置いてそのことがよく分かったの。人間の生み出した法律なんて、所詮は人間を縛れやしない。よほど愚かな、生きることを知らない人間の他には。私はそのことに気付いた。あなた方がそれを教えてくださったのですよ」
嘲笑とともに告げられたその言葉に、一瞬胸を抉られたように思った。けれどもジェーンは、ここで怯んではいけないと思った。少なくとも、この女の前では。
アイビスは自信にも満ちたその眼差しで、あとを続ける。
「私は間違ったことをしていない。ただほんの少し、見立てを誤っただけ。次は決してこんな過ちは犯さない」
「あなたに『次』があるかしらね?」
「生憎だけど、法律は私を永遠には縛れない。あなたはそのことを、よくご存じのはず」
「
法律は変えられる。あなたのような人間を抑えるためならば」
するとアイビスは胸を大きく仰け反らせ、やたらと耳につく甲高い音で高笑いした。
「あなたは
こんな私だけのために、随分とたくさんの法律を変えるおつもりのようね?」
あの老人を真似たその口振りに、ジェーンは腸がのたうつような不快感を覚えて唇を引き結んだ。はっきりと、告げる。
「それはあなたのためだけではないし、
一人の青年をつまらない咎で裁くためのものではない」
ご立派ね、と囁いたアイビスは膝の上で組んだ両手を退屈そうに弄んだ。
「私を裁いたところで、戦争は決してなくならない。歴史は繰り返す。いつかまた『あの人』のような魔法使いが必ずこの国に現れる」
尋問室を立ち去りかけたジェーンは、振り向きもせずに言った。
「だったら、またあなたのような人間が現れるよりも先に、我々の手でそれを食い止めるまでよ。秩序はそのためにある。法律はそれを形成する」
そう、信じるしか。
にやりと冷たい嘲笑をたたえたアイビスを残し、彼女は部屋を後にした。分かるのだ。彼女の言っていることは。法と現実との矛盾。秩序の限界を感じる思いも、責任ある立場に昇れば昇るほど、より一層強くなっていった。けれども、だからといって。
歩こう、探っていこう。どのみち答えがないのならば、我々は一生をかけてもそれを模索していかなければならない。
法律は変えられる。
このあまりにも悲しい戦いを経て、学び取ったことを。次の世代へと活かすために。
やはりまだ、やめられない。
ジェーン・ベンサムはたとえこの国がどんな世界に傾こうとも、この生のある限り、自分の信じる正義を貫くためにこの先もここに身を置こうと。ここに再び、省への忠誠を誓ったのだ。
の名が刻まれた墓石をそっと撫で、彼女は親友の
あの子が命を懸けて護りきった娘へと向き直り、告げた。
「必ず罪を償って
戻ってきなさい。それがあなたにできる、最後の親孝行だと思って、必ず」
はしばらくその大きな目を見開いてじっとこちらを見ていたが、やがて涙混じりに、はい、と頷いた。
ねえ、。
彼女が自分の首から外した十字のネックレスを、そっと母親の墓石の前に置くのを見ながら、独りごちる。
あなたもこれで、ようやく心安らかに眠ることができるわね。
お母さん、お父さん。
ジェームズ、リリー、ピーター、ねえ。シリウス。
生きるから。
すべてを背負って、受け止めて、これからも。
ムーンストーンのシルバーリングと、十字の刻まれた分厚い指輪を嵌めた両手で。そっと、は自分の胸元を撫でた。
愛おしい、掛け替えのない記憶は今もここに在るから。
戻ったら、あの子にまずは何を話してあげよう。
『彼ら』が、どんなに聡明で友達思いの素敵な人たちだったか。
そしてどんなに不器用で、いつでも一生懸命に生きていたか。
どんな風にみんなで喧嘩をして、どうやって固く繋がっていったのか。
語り尽くそう。伝えていこう。
そのために、私はここへやってきた。
だからもう少しだけ、待っていてね。
今度は私が、精一杯の心を込めたプレゼントを持っていくよ。
Puella puero rosas donat
少女は少年にバラを贈る