馬鹿だ。私は、とんでもない愚か者だ。

得体の知れない声に気を取られて、とうとうあの子を死なせてしまった。

「死んでるわ!」

彼の身体を確認したナルシッサが叫んだ。死んでいる    とうとう彼は、死んでしまった。私が死なせた。その場に居合わせながら、私には何もできなかった。馬鹿な。私は一体、今まで何のためにこんな。
高笑いをあげ、帝王はハリーの死体をハグリッドに城まで運ばせた。初めからそのつもりで彼を捕らえていたのだろう。あまりにも残酷だ。彼は大粒の涙を零し、しゃくりあげながらハリーを抱き上げた。城の周りを回っている吸魂鬼の冷気が刺すように彼らを包み込んだ。

「ハリー・ポッターは死んだ。自分だけがこそこそと逃げ出そうとしたのだ。我々は諸君の英雄が去ったことを証明するためにその死体を運んできた」

城の前までたどり着くと、帝王は再び声に魔法をかけて拡張した。

「我々が勝利したのだ。諸君は半数もの尊い命を失った。数は我らが死喰い人たちが勝り、生き残った男の子は死んだ。これ以上の戦いはあってはならない。抵抗を続ける者は、誰であれ虐殺する。城から出てきて私の前に跪け。さすれば諸君の家族はすべて生きることができる。赦される。我々の創り上げる新たな社会に参加するのだ」

静寂が続き、帝王はさらに城の門へと近づいていった。泣きじゃくるハグリッドに指示し、もまたそのすぐ後ろに続く。ハリーは死んでしまった。もう希望は残されていない。生き残った私が、この手で始末をつけるしかない。

城から出てきた人々はあまりの事態に騒然としていた。中でも一際甲高い声をあげて叫んだのは、蒼白のマクゴナガルだった。そんな!と声をあげて、ハグリッドに抱えられたハリーの死体を見つめる。その後ろから飛び出してきたウィーズリーやグレンジャーたちも、真っ青になって口々に彼の名を呼んだ。

「まさか!」
「ハリー!ハリー!」

それを引き金に、生き残った者たちの声が矢のように飛び交った。死喰い人への、思いつく限りの罵声。もちろんその中にはに対するものもあった。だがそれも、帝王の恫喝で一瞬にして静かになった。

「黙れ!終わったのだ!奴を下ろせ、ハグリッド。俺の足元に。奴がどんな姿になったのか!」

彼は嗚咽を漏らしながらハリーをそっと地面に横たえた。その姿を呆然と見据え、ホグワーツの人々は息を呑む。死んだ。ハリー・ポッターが、本当に死んでしまった。

「分かったろう?ハリー・ポッターは死んだ!お前たちは惑わされていたのだ。奴はただ他人に頼りきってその犠牲に縋る単なる一人の少年に過ぎん!」
「でもハリーは何度もお前を挫いた!」

涙に頬を濡らしてウィーズリーが叫ぶ。そうだそうだと再び声があがり、帝王は杖先から大きな爆竹を鳴らしてそれを掻き消した。

「奴はこそこそと逃げ出そうとしていたところをこの俺に殺されたのだ!自分だけが助かろうとして    

するとその時、バンと破裂するような音が響き、人混みの中から帝王目がけて一筋の光線が飛び出してきた。は瞬時に判断し、杖を突き出してその呪文を逸らす。こちらに杖を向けていたのは、屈辱に頬を染めたネビルだった。あの子が一体、いつの間にこんな呪いを……。

「あれは誰だ?」

蛇のようなシューという音を漏らしながら、帝王が柔らかく囁いた。その手には既に、ネビルから取り上げた杖が握られている。

「抵抗を続けるとどうなるか、その見本を見せてくれようとしているあの青年は?」
「ネビル・ロングボトムです、我が君!」

ベラトリクスが嬉々として答えた。

「カロウを随分と手こずらせた坊やですよ!覚えていらっしゃいますか?あの闇祓い夫婦の息子です!」
「ああ、もちろん。覚えているぞ」

武装解除されて自衛する手段のないネビルを見据えて、帝王が冷ややかに笑んだ。

「確かお前は、純血だったな?え?愛しき勇敢な青年よ」
「だったら何だっていうんだ」
「お前は類稀なる勇気を示してくれた。高潔な存在だ。きっと価値ある死喰い人になろう。我々はお前のような人間を欲しているのだ、ネビル・ロングボトムよ」

するとネビルは表情を険しくして、挑むように言いやった。

「僕がお前たちの側につくとしたら、それはこの世が終わった時だ。僕が属するのはダンブルドア軍団だ!」

いつの間に、あの子はこんなにも。込み上げてきた涙が溢れ出しそうになった。だが今は、そんなことを言っている場合ではない。このままでは、ネビルまで    

「そうか」

ネビルの言葉に励まされるようにして沸き立った子供たちが口々に叫んでも、帝王のその呟きは十分に彼女の耳に入ってきた。

「それがお前の答えだというのなら、ロングボトム。当初の計画に立ち返ろう」

言って帝王が杖を振ると、城の壊れた窓の中から歪んだ鳥のようなものが飛び出してきて彼の手の中に収まった。彼が杖先でそれを軽く突くと、中から出てきたのは    ぼろぼろの、組み分け帽子。

「もうホグワーツに組み分けなど必要ない。寮制度など不要だ。紋章は我らがサラザール・スリザリンのものとなる。そうだろう、ネビル・ロングボトム?」

帝王は杖をネビルに向け、ふわりと浮かせた組み分け帽子を無理やり彼の頭に被らせた。

「ネビルがここで見本となってくれよう。私に歯向かえばどうなるかと」

そして『古の杖』を一振りする。すると組み分け帽子は一瞬にして燃え上がり、ネビルは悲鳴をあげてその場で転倒した。
もうこれ以上、我慢ならなかった。

帝王の脇から前方へと飛び出したは大きく杖を振って組み分け帽子の火を吹き消した。突然の事態に唖然としたのは死喰い人たちばかりではなく、ホグワーツの人間たちも事情が飲み込めずにポカンと口を開けている。当たり前だ。死喰い人に寝返ってこの一年、数え切れない殺戮と拷問を繰り返してきた女が、一人の青年を救うためだけに飛び出した。
ごめん、ごめんなさい、セブルス。でも私、もうこれ以上は耐えられなかったの。あの二人の子供を死なせた。私には何もできなかった。だからせめて、私が止められなかった拷問に苦しめられて自分を見失ってしまった、あの二人の息子を。ロングボトム。あなたたちの息子は、とても、とても大きな男に成長しましたよ。私は恥ずかしい。父が、母が誇れるような娘になれなかったことが    とてつもなく、恥ずかしい。

だがその瞬間に動き出したのはだけではなかった。どこからか何百という人々が押し寄せてくるかのような不思議な音がして、同時に城の向こうから小柄な巨人が現れた。マクネアが連れてきたそれではない    明らかに身体が小さい。さらに死喰い人たちの頭上に、どこからか放たれた矢が雨のように降り注いできた。誰もが再び動き出し、戦闘が再開される。は焼けかけた組み分け帽子の中から、ネビルが一振りの剣を取り出すのを見た。そして彼は、何を思ったかそのグリフィンドールの剣を迫り来るナギニに突き刺した。

帝王の怒り狂った叫び声が響き渡る。その激しい剣幕を見て、彼女は理解した    ナギニもまた、分霊箱の一つだったのだ。

は帝王がネビルに向けて放った死の呪文を強力な盾の呪いで防いだ。通常死の呪いをブロックする呪文などない。取り分け帝王ほどその魔法に精通した魔法使いの放つ『アバダ ケダブラ』など、防げるはずがないのだ。サラザール・スリザリン、そして闇の帝王の血を引く、彼女のような者でなければ。

、貴様、結局はそちら側につくのだな    

はネビルを後方に突き飛ばしてから、帝王との距離を広げつつ声を張り上げた。

「申し訳ありません、我が君。ですが私は、どうしてもこの道を棄てられなかったのです」
「馬鹿な真似はよせ。お前が過去に生きる連中を棄てられずにいるということには気付いていた。それでも俺は、お前を生かしたのだ。そんな薄れゆくだけの記憶が一体何になる?今なら赦そう。俺はお前に自由をくれてやった。ダンブルドアの許にいる時、お前は気ままな外出すら儘ならなかったろう。それを俺は、お前の好きにさせてやったのだ。忘れたか?」

はほんの一瞬だけ怯んだが、すぐに杖を構えなおして溢れ出す涙をこらえた。

「忘れてなどいません。きっと一生、忘れることはありません。でも同じように、私には忘れられないものが他にもたくさんあるのです」

不快そうに唇を歪め、帝王は唾を吐いた。

「命を粗末にするな、。もう一度だけ言う。馬鹿な真似はよせ。俺のところへ戻ってくるんだ」

は口を噤み、数秒ほどの沈黙を挟んだ後、呟いた。

    申し訳ありません、我が君」

彼の瞳に、言い知れぬほどの深い色が広がった。だがそれも一瞬のことで、杖を振りかざした帝王は躊躇うことなく緑色の光線を放った。

「それがお前の答えなら    、望み通りにお前をご両親のところへ送ってやろう!愛しいスネイプも一緒だ!さぞやご満悦だろうな!」

死の呪いをかわしながら素早く杖を振ると、どこからかヤクスリーの鋭い声が響いた。

「我が君!ポッターが    ポッターの姿がありません!」

はっとしてハリーが横たわっていたはずの地面を見やると、確かに彼の遺体は消えてなくなっていた。そんな、どこに
    一体何が、起こったのか。彼は確かに、死んだのに。それとも、もしかして。

、お前の始末は後だ」

吐き棄てるように言って、帝王は駆け出した。だめだ、いけない。ハリーは生きていた    今度こそ、必ず!

「行かせません!あなたを    あの子のところへは!」

だが帝王ととの間に、立ち塞がったベラトリクスが不気味にほくそ笑んで杖を構えた。

「行かせないのはあんたの方だ。こんなことだろうと思ったよ……所詮お前は、グリフィンドールだ。血を乱すあのシリウス・ブラックやジェームズ・ポッターに交わった    
「黙れ!彼らは偉大な魔法使いだった!下らないことに固執するあんたなんかより、ずっとね!」
「何だって!私には信じるものがある、貫くものがある    お前のように仮面ばかりを被って生きてきた人間に、私のこの気持ちが分かるものか!」

怒鳴りつけたベラトリクスが鞭打つように杖を振る。だがは予測していたその攻撃を逸らし、すぐさま紅い光線を相手に叩き付けた。後ろの壁に身体を打ちつけたベラトリクスは唾を吐き棄てて床に倒れこんだまま死の呪いを放つ。がそれをかわしたところへ、ロドルファスの声が降ってきた。

「帝王が御自身で手を下すと仰っている。ベラトリクス、を死なせるな」
「冗談じゃない!この女は散々我々のことを愚弄してきた    私はずっと、あの方の許可さえあればこいつを殺したいと願ってきた!」
「許可は下りていない。ベラトリクス、は帝王の物だ。いたぶるなら死なせない程度にしておけ。あの方は先にハリー・ポッターを仕留める」

ハリー。ジェームズとリリーの息子。最愛の二人の、命よりも大切な……。

帝王の消えた先へと駆け出そうとしたの背中に、再びベラトリクスの呪いが飛んできた。すんでのところで避け、杖を振って迎え撃つ。

「行かせないよ。あの方の邪魔をする者は、私が命を懸けても食い止める」
「純血であることを誇るなとは言わないわ、ベラトリクス。でもあなたには分からないんでしょうね。尊い命が血筋なんかよりもずっと大切だということを。あなたは知らないのでしょうね」

すると既に立ち上がって杖を構えていたベラトリクスは、あまりにも残忍な顔で嘲笑った。

「言えた義理か?お前のその手で何人もの人間を殺しておきながら、笑わせるな!綺麗事ばかり並べ立てるところは、あの老い耄れにそっくりだな!」

再びベラトリクスが杖を上げたので、もまた失神光線を放とうと杖を振ると、突然後ろから飛んできた呪文に背中を当てられた。全身を一気に電流が駆け巡るような感覚に襲われ、そのままの勢いで転倒する。ベラトリクスの甲高い笑い声が響き、何とか顔だけを上げたは杖を持ったヤクスリーが満足げな顔をしてそこに立っているのを見た。しまった……ベラトリクスばかりに気を取られて……情けない。こんなところで、私は。

すると視界に映ったベラトリクスが、突然上空から降ってきた光線に不意を衝かれてぐらついた。ヤクスリーはどこからか現れた複数の誰かと戦闘を開始する。何度か瞬きしてようやくベラトリクスと杖を交える人物を捉えると、それは怒りに髪を真っ赤に染めたニンファドーラ・トンクスだった。

「へえ、嬉しいねえ。お前の方から仕掛けてきてくれるなんざ……嬉しすぎて涙が出るよ。お坊ちゃんは元気かい?」
「黙れ!よくも……よくも、パパを!シリウスを!」

トンクスの放った光線を上手くかわして後方に移動しながら、ベラトリクスが唇を舐める。

「泣かせるね。身内の仇か?やれるものならやってみな」

あまりの憤怒と憎悪に易々と挑発されたトンクスは大理石の階段から飛び下り、ベラトリクスに杖を向けた。だがその時には既にベラトリクスの構えは完成し、放たれた緑色の光線が真っ直ぐにトンクスを狙った。
だめだ    トンクスが、死ぬ。

床にうつ伏せに倒れたまま瞬時に杖を掲げ、は有りっ丈の力を込めて盾の呪文を唱えた。膨大な光が収束し、ベラトリクスの呪いを打ち砕いていく。その余波で玄関ホールの向こう端の壁は見事に崩れ、ベラトリクスは崩れ落ちた瓦礫に押し潰されて見えなくなった。

しばらく呆然とその瓦礫の山を見つめていたトンクスは、ようやく顔を上げてを見る。彼女はまだ少しだけ痺れの残る身体を起こし、口腔に溜まった血を床に吐いた。ヤクスリーの失神光線は、なかなか強烈だった……。



震える声で呟いて、トンクスはの許へと駆け寄ってきた。

「今までずっと何をしてたの?ねえ、これはどういうこと?あなたは死喰い人なんじゃなかったの?どうして助けてくれたの?どうして、ベラトリクスを    

そこで気まずそうに口を噤んだ彼女につられるようにして、は静かに自分が崩した壁の瓦礫を見た。あれだけの重量を食らえば、それを吹き飛ばして出てこないということは、ベラトリクスはもう、生きてはいまい……。

「……あなたを」
「え、何?一体、何なの?」
「……あなたを、死なせたくなかった」

トンクスの顔を見ることはできなかった。がっくりと床に両手をつき、涙混じりに囁く。

「やっと……やっと、リーマスが幸せを掴めると思っていたのに。あなたがいなくなったら……あなたがいないと、リーマスは……決して……」

トンクスは愕然としたようだった。の傍らにしゃがみ込んだまま、しばらく言葉を失って呆然としている。だがやがて、弱々しい声の中にも厳しさを滲ませて怒鳴りつけた。

「何なのよ……それ!わけ分かんないわよ!あなたはダンブルドアを死なせたのに……この一年、ずっと『あの人』のために動いてたんでしょう?それを……今更何のつもりなの?リーマスは……リーマスは……」

そしてとうとう顔面を手のひらで覆って泣き出した。はこうして誰かに子供のように泣かれるのは久しぶりだったので、どう対応していいものか戸惑った。だがトンクスはすぐに赤く腫れた目を拭って続けた。

「リーマスは……この一年、ずっと苦しんでた。ダンブルドアが死んで……あなたが、彼を殺そうとしたこと。あなたが悲しい運命を背負って生きてきたことをリーマスは知ってた。でも、どうしても。ダンブルドアは自分のすべてだったからって。ダンブルドアを死なせたあなたのことで、ずっと苦しんできた!」

今度はが涙を零す番だった。ああ、ごめんね。ごめんなさい、リーマス。苦しめたよね、辛い思いをさせたよね。でも私には、こうするより他に道がなかったの。私は、セブルスと共に闇の帝王に立ち向かうことを決めた。誰にも話せなかった。打ち明けられなかった。そんなことをしたら、すべての計画が駄目になる。

「……ごめんなさい。こんなことを言う資格がないことなんて分かってる。でも、約束して。必ず、彼を    リーマスを、幸せにすると」

溢れ出す涙で頬を濡らしたトンクスは、ばか、と呟いて、掴んだの肩をがむしゃらに揺らした。はきっと、この子と一緒ならば大丈夫だと。そして一刻も早くこの戦いを終わらせようと、心に決めた。