「ハリー・ポッターは必ず、ホグワーツに来る。全員で事に当たれ。必ず
奴を、仕留めるのだ」
これまでにないほど憤慨した闇の帝王は、ホグワーツに勤めるあの三人以外のすべての死喰い人を集め、張り詰めた空気の中で重々しく、告げた。
「我が君……全員で、というのは、まさかこれから全員でホグワーツへ向かえと?他の警備が手薄になります。少なくとも魔法省を
」
「トラバーズ、つまらんことを言わせるな。終わらせるのだ、今宵こそ。他のことなどその後で考えれば良い。奴は必ずホグワーツに現れる。これ以上、奴が野放しになっているなど我慢ならん」
壮絶な眼差しで睨み付けられ、トラバーズは蛇に睨まれた蛙そのものの様子で口を閉ざした。帝王はポッターの意識を読み取った。ポッターもまた帝王の意識を読み取った。それならば帝王は必ずホグワーツへ向かうし、ポッターもまたホグワーツに現れる。それが定められた運命だった。
「文句がある者は残りなさい。そんな半端な人間は要らない」
杖を軽く掲げてが警告したが、誰も手を挙げる者はいなかった。
「帝王は今夜、すべてを終わらせるつもりでいらっしゃる。命を懸けられない者は要らない。もしも逃げ出す者を見つけたら私が殺す。それでも全員、戦えるのね?」
震え上がる人間も少なくなかったが、口を開く者はいない。は震えながら椅子の上で縮こまっているドラコをちらりと見て、掲げていた杖を下ろして帝王の前に跪いた。
「我々全員が、貴方様のために命を懸けて戦うことを誓います」
はマルフォイ家の一室で、出立前の帝王の身体を丁寧にマッサージしていた。一刻も早くホグワーツへ発つのだと言い張った帝王に、あなたには休息が必要だし、死喰い人たちも心や身の回りの準備をするのに少し時間がかかるだろうといって無理をいって彼を部屋に連れ込んだのだ。正直、ここまで自分の言うことを聞いてくれるようになるとは思わなかった。
ふくらはぎに肘を押し付けて筋肉を解すと、彼が小さく呻き声をあげる。その様を、は素直に愛おしいとすら思った。
「我慢してください。ここのところずっと動き通しだったじゃありませんか。肉体を持つというのは、こういうことです」
何気なく言っただけだったが、ベッドにうつ伏せになったまま帝王はぽつりと、呟いた。
「……死にたいと、そう思ったことがあるか?」
は一瞬だけその手を止めたが、すぐに何事もなかったかのようにマッサージを再開した。
「
まさか」
このまま。永遠に、時が止まってしまえばいいのに。そうすればもうこれ以上、誰も傷付かずに済む。
吹き抜けていた風が止んだ。まるでこの全世界がこれから始まる決戦のことを知り、息を潜めているかのようだった。だがそれでも、闇の帝王は止まらない。この人は決して、己のその歩みを止められない。
たちは敷地の外からしばらくホグワーツの様子を観察していたが、城は嘘のように静かだった。ほんの一年前まで、ホグワーツは私の故郷だった。そう、初めて『家』と呼べるものに気付かせてくれたのはこの学校だった。もしもあのとき入学許可書を受け取っていなければ、私は生きていることのありがたさや、家族というものの尊さに決して気付けなかったろう。あのまま日本に留まれば父や友を失うこともなく、誰も殺めずに済んだかもしれない。だが決して真の友人を持つこともできず、私は何の生き甲斐も見出せないままに退屈な日々を過ごしていただろう。
私はこの城で多くを学び、たくさんのものを得た。学び舎とは本来、そうあるべきなのだ。ダンブルドアは私たちに、健やかな七年間を与えてくれた。それなのに私は、私たちは。教師なんて肩書きばかりで、それすらも護れなくなってしまった。今夜、この城は生々しい血の流れる決戦の場となる。
「邪魔をする人間は構わず殺せ。ハリー・ポッターを見つけ出した者は、生け捕りにして連れてくるのだ
俺がこの手で、殺す」
帝王の言葉に死喰い人たちは一斉に動き出し、城を目指して突き進んでいく。も彼らのあとに続いて踏み出そうとしたところへ、帝王の声が追いかけてきた。
「
お前は俺と、ここへ残れ」
何人かの死喰い人が目を見開いて振り向いたが、彼らは何も言わずに城への歩みを再開した。は足を止め、眉を顰めて帝王の方を向く。
「どうしてですか?ハリー・ポッターは必ずホグワーツへ現れるのでしょう。だったら私も、あの子供を
」
「それは他の連中に任せておけばいい。気になることがある。お前はここに残って、俺の援助をしろ」
はしばらく無言のまま鋭く帝王の眼を見据えていたが、やがて目線を落として小さく息をついた。
「……気になることというのは?」
帝王は少なからず、打ち明けることを躊躇っているようだった。だが諦めたように瞼を伏せると、肩に載せたナギニの腹を撫でながら重苦しく言った。
「お前は、『必要の部屋』を知っているか?」
「
はい。何度か、使用したこともあります。それが何か?」
「……あの部屋の存在には、どうやって気付いた?」
「私がそれを知ったのは、確か四年生の時でした。友人が見つけてきたのです。彼らは不思議と何でも見出すのが特技のようでした。ですから、私には……」
「ジェームズ・ポッターや、シリウス・ブラックのことか?」
は外していた視線を帝王へと戻したが、特に表情を変えることもなく平然と答えた。
「
その通りです」
「なるほど」
彼は少しだけその瞳に愉しげな色を浮かべたが、すぐさまそれを打ち消して続けた。
「つまりその血を受け継ぐハリー・ポッターが『必要の部屋』を見出す可能性も十分にあるということだな?」
城の方から爆竹のような音が鳴り響き、空高くに緑色の光が打ち上がった。始まった。とうとう、最後の戦いが。
「申し上げずともお気付きでしょうが、ハリー・ポッターは既にあの部屋を利用したことがあります。そのことが何か、気になられますか?」
瞼を閉じた帝王は、二度ほど深く呼吸を繰り返し、ゆっくりとその目を開いた。彼の紅い瞳には、あまりにも暗い影が差していた。
「探せ」
「……我が君?一体、何を
」
「王冠だ。レイブンクローの。俺は『必要の部屋』に置いてきた
もうこれ以上、奪わせるものか」
吼えるように捲くし立てた帝王は、の腕を掴んで引き寄せた。血走ったその目を大きく見開き、
「探してくるんだ、ハリー・ポッターよりも先に!レイブンクローの王冠だ!必ず見つけ出して来い、そうだ、必ず!」
「帝王!どういうことですか?レイブンクローの王冠?私たちは、ハリー・ポッターを始末しにここへ来たはずです!ポッターを探すことの方が
」
「黙れ、口答えをするな!あの王冠は俺の命だ!これ以上あの小僧に奪わせてたまるものか!」
「我が君、お答えください!レイブンクローの王冠とは
」
だがその時、彼女の脳裏に突然ぱっと閃いたものがあった。俺の命。もうこれ以上、奪わせるものか。
彼女がそれを悟ったことに、気付いたのだろう。乱れた呼吸を整えながら、帝王は暗い地面に唾を吐いた。
「……分かったら、早く行け。ハリー・ポッターはそのことに気付いている。これまで俺が作ってきた分霊箱を、奴は次々と破壊してきた。もうこれ以上、奪わせるわけにはいかない」
「………」
「行けと言ったろう!聞こえなかったか!」
開いた口をきつく引き結び、は城に向けて駆け出した。ホークラックス。やはりそうだったのか
ダンブルドアがあの子に託したものというのは、帝王の分霊箱を破壊することだった!彼の口振りでは、帝王はいくつもの分霊箱を作り上げたようだった。そのうちの一つ
『必要の部屋』に隠された、レイブンクローの王冠。待てよ……この間、グリンゴッツのベラトリクスの金庫にハリー・ポッターが侵入したはずだ。まさかそこにも、隠された分霊箱が。そうか、だから帝王はあんなにも怒り狂って
。
城の中は混乱を極めていた。目も眩むほどの粉塵が舞い上がり、様々な色の光線が飛び交っている。は戦闘を避けるために蛇の姿に変身しようかとも思ったが、それでは八階の『必要の部屋』にたどり着くまでに余計な時間を食ってしまう。緑色の光線だけには気を配りながら、彼女はできるだけホグワーツの人間や騎士団員たちを避けて階段を上がった。
「……!」
何階かは戦闘をうまく擦り抜けて駆け上がり、さらに足を踏み出した階段の上に立ち塞がったのは、激しい感情を瞳に宿したルーピンだった。その杖を真っ直ぐにこちらへと向け
どうやら、ずっと走ってきたらしい。荒い息を肩で整えながら、言ってくる。
「戻ってきたんだな。どうだい、ダンブルドアを殺したこの城へ戻ってきた感想は」
「感傷に浸っている暇はないの。そこを退きなさい、ルーピン。私には命じられた仕事がある」
「ハリーを殺すのか?生憎だが彼はここにはいない」
「あなたの情報など必要ない。ハリー・ポッターは必ずこの城にやって来る」
言いながら杖を振りは紅い光線を放ったが、ルーピンは妨害の呪文を唱えてそれをかわした。皮肉めいた笑みを浮かべ、ルーピンが口を開く。
「殺せばいいだろう。そんな呪文では私を倒せない」
「それはどうかしら」
言って彼女はまた失神光線を投げ付けたが、ルーピンはすぐに逸らして新たな術を放ってきた。も杖を振ってそれをいなし、階段を挟んで何度か魔法の応酬を繰り返す。闇の魔術に対する防衛術の教授を任されるだけあって彼の切り返しはなかなかのものだった。だが今は、そんなことを言っていられない。一刻も早く、『必要の部屋』へ行かなければ。
「そういえば、聞いたわよ。息子ができたそうじゃないの」
次の呪文を放とうとしていたらしいルーピンは、明らかに動揺して杖を握るその手を止めた。
「ど、どうしてそれを……」
「あなたたちが思っている以上に、そちら側の情報は我々のところへも入ってくるのよ。息子のためにも、死にたくはないわよね?」
「………」
「どう?私たちの許へ来ない?あなたほどの魔法使いが手を貸してくれるのならば、私から直接、あなたの家族のことだけは帝王にお願いしてあげる」
だがその瞬間、ルーピンの顔には言い知れぬほどの嫌悪が広がった。
「言うことはそれだけか?見損なったよ……ひょっとしたら、何か事情があったのかもしれない。そう
信じて、いたのに」
「それはあなたの勝手な思い込みだわ。知っているのでしょう?私が、ダンブルドアを殺そうとしたこと。それで、私たちのところへ、来るの?来ないの?」
憤怒にかっと頬を染めて杖を振りかぶったルーピンは、呪文を唱える前に掠れた声で叫んだ。
「馬鹿にしないでくれ!私はそこまで落ちぶれることはない
ダンブルドアを裏切るくらいなら、私は喜んで自ら死を選ぶ!」
「そう
残念だわ」
言って彼女は、腰を低く落として滅多に使わない角度へと杖を振った。それは、スネイプの呪文。
「デオサス・レヴェロ」
すると杖を掲げたルーピンの足が見えない何かに掬い上げられたように突然宙に浮き、階段の手摺りを乗り越えて階下へと落下した。だが彼が床に頭を打ち付ける直前に、口の中で新たな呪文を唱える。
「お粗末だったわね、ルーピン!」
叫んで、彼女は邪魔者の消えた階段を一気に駆け上がった。