あれだけの死喰い人を動員しておきながら、得られたものは何もない。マッド-アイ・ムーディが死んだ。これまで散々我々の邪魔をしてきたあの闇祓いを始末できたことは確かに一つの収穫には違いなかったが、最大の目標はあくまでハリー・ポッターを殺すことだった。
兄弟杖を使用したわけでもないのに帝王の杖は割れ、ハリー・ポッターを取り逃した。闇の帝王の怒りは、尋常でない。オリバンダーは帝王手ずから磔の呪いで拷問されたが、本当に杖に作用するあの金色の魔法については告白した以上のことは分からないらしく、必要最小限の食事だけを与えられ再び地下牢に閉じ込められた。

このままではいつまで経ってもハリー・ポッターに止めを刺すことができない。ある日、は帝王が死喰い人のほとんどにも知らせていない人里離れた隠れ家へと内密に呼び出された。

「お呼びでしょうか、我が君」

帝王の傍らには、すっかり寛いだ様子の大蛇が横たわり、をちらりと見て見下すように舌をちらつかせた。構わず、椅子にゆったりと腰掛けた帝王を見据える。
帝王は不機嫌そうに顔を顰めたまま、傍に寄るようにと軽く顎を動かした。丁寧に一礼し、は彼の真正面まで移動していつものように跪く。闇の帝王は彼女の手首を掴んで無造作に引き寄せ、黒いローブ越しにその細い背を抱いた。はそっと目を閉じ、主人の首筋に少しだけ頭を凭せ掛ける。その距離は心得ていた。

    。俺はこれから、スカンジナビアへ向かう。お前も一緒に来い」
「……スカンジナビア?何か、あるのですか?」

臆することなく訊ねたの顎を掴んで上向かせ、帝王が間近で彼女の眼を覗き込む。ナギニが傍らでシャーシャーと喧しく鳴いたが、二人は気にしなかった。

「グレゴロヴィッチ    北の杖職人を探しに行く。まだその辺りにいるはずだ」
「ああ……例の、金色の炎のことですか?その杖職人がオリバンダー以上に何かを知っていると?」

今度は、帝王は何も答えなかった。だが帝王が自ら赴くということは、それなりに重要な人物なのだろう。は他の死喰い人たちとの任務の外、帝王自身と行動を共にすることが少なくなかった。だが外国へ出るというのは今回が初めてだ。スクリムジョーアが死に、魔法省が我々の手中に落ちた今、死喰い人たちは以前にも増して随分と動きやすくなっていた。
魔法法執行部部長で服従の呪文にかかっていたシックネッセがスクリムジョーアの後任として魔法大臣になり、ヤクスリーはその後釜に座ったが、実質的にはもう十年以上魔法法執行部にいたプライアがその実権を握っていた。省内にはマグル出身者の登録委員会が誕生し、これまでは任意だったホグワーツへの入学は義務化された。巷では副校長であったミネルバ・マクゴナガルがダンブルドアの後任となるかと囁かれていたが、魔法省の圧力によりスネイプが新たなホグワーツの校長になることが決定し、カロウ兄弟は教師としてホグワーツに戻ることになった。風向きは    確実に、こちら側へと変わってきている。

「お前もホグワーツへ戻りたいか?」

帝王が腰を据えた椅子に片膝をついて彼の上へと倒れ掛かっていたは、そっと身体を起こして帝王の紅い瞳を見下ろした。彼は目を細め、愉快そうに笑んでいる。
は彼の青白い頬に手のひらを這わせ、少しだけ拗ねた顔付きをしてみせた。

「あまり意地の悪いことを聞かないでくださいません?」

帝王はますます口角を上げ、彼女の唇を滑らかに指先でなぞった。

「プライアにもそのようなことをお聞きになられるんですか?」
「どうした。嫉妬か?」
「そうさせているのでしょう、あなたが」

言って彼女は相手の首に腕を回して再び重心をそちらに傾けた。

「私は十何年もずっとあの城に縛られてきました。もうあんなところは    たくさんです」

そして帝王の左腕を取り、その髑髏に口付ける。帝王が蛇語でナギニに話しかけると、大蛇は不満げにぼそぼそと呟きながらもスルスルと床を這って部屋からいなくなった。

「だからそんなことはもう、忘れさせてください」
ダンブルドア殺害の指名手配犯として魔法省は総出でハリー・ポッターの行方を捜索していたが、その所在は依然として不明だった。ウィーズリー家、グリモールド・プレイス、ゴドリックの谷……死喰い人たちは考え得るポッターの立ち寄りそうな場所をすべて絶えず巡回していたが、手掛かりは得られない。帝王は彼の名前を口に出せばその人物の居所がたちどころに分かるという特殊な魔法をこの国全土にかけ、何度かその効果でポッターたちを発見することはできたが、また上手く逃げられてその行方は分からなくなった。ポッターを含むあのグリフィンドール三人組を取り逃がした上、記憶まで操作されたローレとドロホフは磔の呪いで拷問を受けた。

「ナギニの餌にしてやろうか、え?ローレ」

既に三度も磔の呪文を食らったローレは床の上で仰向けになり、息も絶え絶えに首を振った。帝王はセルウィンから取り上げた杖を軽く上げ、今度は傍らで震えるドラコへと命じる。

「ドラコ、お前もやれ。しくじるとどうなるか    この男の身体に刻み込んでやるんだ」

杖を掴んで目を見開いたままドラコが硬直しきっているので、は自分の杖ではなく彼のものを奪い取ってローレに突きつけた。

「ドラコ、この程度のことは覚えておいた方が良いわよ。磔の呪文はね    こう使うのよ」

床の上でまだもがいているローレが何かを叫ぶよりも先に、は磔の呪文を唱えた。再度人のものとは思えない奇声をあげて、ローレがカーペットをむしり取らんと爪を立ててもがき苦しむ。ドラコは今にも泣き出しそうな顔をして後ずさり、は彼の手に無造作に杖を返した。

「次こそはあなたがやるのよ。もっとも、誰もこれ以上しくじらないことを願うばかりだけれど。我が君、今日はもうこの辺りで良いでしょう。彼らにも十分分かったはずです。次はきっとやってくれますよ」
、お前は少しばかり優しすぎるぞ」

帝王の声は言葉の割にはさして不快そうでもなかった。むしろ愉しむようなその口振りに、もまた口元に小さく笑みを浮かべる。

「ええ、あなたに似て」

帝王は声をあげて笑ったが、その二人以外は、その場に集まった誰も、決して笑いはしなかった。
吹き付ける潮風が冷たい。夏の名残も間もなく完全に過ぎ去ろうとしていた。

「この辺りですか?」

が問うと、箒に乗った彼女のすぐ前方を飛んでいた帝王は僅かに振り向いて言った。その首には大事そうにナギニを巻きつけている。は彼がどうしてこんなにもこの蛇に愛着を抱くのか理解できなかった。まさか、外国にまで連れてくるとは……こんな、憎まれ口ばかりの可愛げのない蛇を。いや、言うなればにとって、ナギニは自分そのものともいえた。

「もう少し行ったところにアンマールという山がある。噂ではその奥に隠遁していると」

二人はさらに北へと突き進み、目標の山を見つけると密やかに地上へと下りた。既に日は落ち、月明かりも背の高い木々に遮られて視界はほとんど暗闇と同じだ。だが、帝王には灯りなどまったく必要ないらしい。躊躇うことなく歩き出した帝王を追いかけながら、は杖先に仄かな明かりを点した。放置された野生の草が邪魔をして足場はかなり悪いが、少しの灯りさえあれば十分だ。

「……帝王は、この辺りに来られたことが?」

帝王は立ち止まることも振り返ることもなく足を進めたので、答える気はないのだろうと思い始めた頃に彼はようやく口を開いた。

「遠い、昔にな。その頃はまだこの辺りの山も多少は手入れされていた」
    それでは、そのグレゴロヴィッチという杖職人にも会われたのですか?」

彼は再び黙り込んだ。はっとして、声を震わせる。

「……申し訳ありません。立ち入ったことを」
「いや」

帝王は軽くセルウィンの杖を振り、行く手を遮る背の高い草を薙いだ。後方に首をもたげたナギニが、を見て「遅いぞ」と嘲笑う。

「俺がホグワーツを去った後、世界中を旅して回っていたことは知っているな」
「……はい。その間に、様々な魔法を学んで戻られたと」
「そうだ。俺はグレゴロヴィッチの噂も聞き知っていた。有能な    とりわけ、闇の魔術に長けた杖を作るというあの杖職人を。だが当時グレゴロヴィッチはまだ現役で、ここではない    奴はベラルーシにいた」

はルーモス呪文で照らした足元を確認することに専念したが、それでも帝王の言葉を聞き漏らさないように気を配った。

「では彼は引退後、この山奥に移ってきたということですか?」
「そう聞いている。ベラルーシのゴメリという町であの男を見つけた時、俺は奴に自分の持つ杖を見立ててもらった」
    あのハリー・ポッターの……兄弟杖、ですか?」
「そうだ」

山の傾斜が次第に急になっていく。だが帝王の進む速度はまったく変わらなかった。

「……彼は、何と?」
「闇の魔術に適した    最もこの俺に相応しい、無二の杖だと」

もしかしたらそのグレゴロヴィッチという杖職人は。帝王が将来、偉大なる闇の魔法使いになることを予測していたのかもしれない。がさり気なく視線を落とした時、前方を突き進む帝王が何の前触れもなく突然足を止めた。彼の見つめるその先に、暗闇に紛れるようにして    だがカーテンの隙間から仄かに漏れ出る明かりが確かにその存在を示している、あまりにも粗末な一軒の山小屋があった。

「杖は仕舞っておけ」

予想外の言葉に、は眉を顰めて帝王の後ろ姿を眺める。ゆっくりと振り向いた闇の帝王は、風に揺れる木々の間から零れてきた微かな月明かりをその眼に受けて、一度だけ瞬いた。

「俺の『尊敬する』魔法使いの一人だ    失礼があってはならない」

そして一歩、また一歩と踏み締めるように歩き出す。だがは確かに、その彼の姿にはち切れんばかりの欲望を見たように思った。
帝王はハリー・ポッターとの杖の繋がり、そしてあの金色の炎について問い質すためにこんなところにまで足を運んだのだと思っていた。だがグレゴロヴィッチの小屋に踏み込んだ彼は玄関口に現れたその老人にいきなり杖を突きつけ、興奮した様子で捲くし立てた。

あの杖はどこにある」
「な、何の話だ    
「分かっているはずだ。お前の大切な、あの杖のことだ」

わけが分からず、戸口に立ち尽くしたままはその様子を見つめる。帝王はグレゴロヴィッチをそのまま後ろの壁に押し倒し、その喉元に杖先を突きつけて低く唸った。

「『古の杖』だ」

その言葉に鋭く反応したらしい老人は、瞬時に表情を強張らせて帝王から目を逸らした。グレゴロヴィッチにより顔を近付けて帝王がその瞳を見開く。

「俺の眼を見て答えろ。『古の杖』はどこにある。分かっているんだ    お前がそれを受け継いだということは」
「し、知らな    

もがくように言ったその男を突き飛ばし、帝王は杖を構えたまま唾を吐いた。

    是が非でも吐かせてやれ。俺はそのためにここへ来た。ハリー・ポッターを始末するための、最後の綱だ。あの忌々しい魔法を克服する、最後の」
「帝王、一体どういう    

だが問い掛ける暇はなかった。グレゴロヴィッチが床に尻餅をついたまま懐から杖を出そうとしていたので、は瞬時に自分の杖を取り出して叫んだ。

「エクスペリアームス!武器よ去れ!」

老人の杖がポンと音を立てて彼女の手中に飛び込んでくると、帝王はすぐさま身を乗り出してそれを見たが、不可解な顔をして目を細めた。

「『古の杖』……では、ないな、これは。どこにある    あらかじめ言っておこう。私は決して、あなたを死なせたいわけではない」
「な……わしは、知ら    
クルーシオ

あくまで知らぬ存ぜぬを通そうとしたグレゴロヴィッチに、は磔の呪文を唱えた。事情はよく飲み込めないが、とにかく帝王は『古の杖』というものを欲しており、グレゴロヴィッチはその在り処を知っている。それならば、例の如く吐かせれば良い。そのために、私はここへ連れてこられた。

「おとなしく吐いてしまった方が楽よ。帝王は杖職人としてのあなたの能力を買っておられる。みすみす死なせたくはないのだと。言いなさい。『古の杖』はどこにあるの」

床の上で激痛に身悶えるグレゴロヴィッチは荒々しい呼吸を繰り返して首を振った。

「知ら……本当にわしは、知らないんだ。あれは……あの杖は!もう何十年も昔に……盗まれて……」
「なるほど    確かにそれは、存在するんだな?」

帝王の唇が、にやりと弓形の笑みを浮かべる。『確かにそれは、存在するんだな』?何なんだ    そんなにも希少なものなのか。その、『古の杖』というのは。
はっとした様子でグレゴロヴィッチは口を噤み、慌てて視線を逸らす。だが不敵に笑んだ帝王はナギニを肩に載せたまま老人の許へと歩み寄り、その傍らに跪いた。そして怯えるグレゴロヴィッチの首を掴んで上向かせ、レジリメンス呪文を唱えた。
老人の記憶を読み取ったらしい帝王は、複雑な色を浮かべて発狂したグレゴロヴィッチの首根っこを放す。頭を抱えて床の上で暴れ回る彼を忌まわしげに見下ろして、立ち上がった帝王はその杖先を下に向けた。

アバダ ケダブラ

緑色の光が小屋中に溢れ、一瞬にして霧散していく。帝王の許可を得たナギニはすぐさま彼の肩から飛び下り、ぴくりとも動かなくなったグレゴロヴィッチの首に噛み付いた。見ていてあまり、気持ちの良いものではない。はそちらから目を逸らし、何も読み取れない帝王の横顔を見た。

「我が君……差し支えなければ、教えていただけませんか。それは本当にハリー・ポッターを始末する綱となりえるのですか。その杖は、一体どこにあるのですか。彼を死なせてしまっても構わなかったのですか?」
    

こちらを向いた帝王の紅い瞳は、壮絶な影を落として彼女を捉えた。

「俺はお前の血を手に入れて、より強力な魔法を身につけた。だが歯痒いことに、それは決して死を克服するものではない」
「………」
「お前だけに、教えてやろうか」

言っての許へ歩み寄ってきた帝王は、彼女の後頭部に手を回して引き寄せた。低めた声で、互いの唇を重ねて甘く、囁く。

    遂に見出したのだ。死をも克服する、その方法を」