魔法法執行部で副部長を務めるアイビス・プライアの働きかけで魔法省内部に数人の死喰い人が潜り込み、その中の一人、ヤクスリーはアメリア・ボーンズ亡き後、その後任となった魔法法執行部部長のパイアス・シックネッセに服従の呪文をかけることに成功した。

「我が君、不死鳥の騎士団はハリー・ポッターを今より安全な場所に移すつもりです。次の土曜    夕刻です」

スネイプの持ち帰った情報により、ハリー・ポッター襲撃の日取りが正式に決定した。十七歳になるまでは魔法が使えないので彼は七月三十一日まで実家から動かないとヤクスリーは言ったが、それは騎士団が故意に流した偽の情報であり、連中は今週末にポッターを移動させるつもりだというスネイプの言葉に、帝王は心を決めた。
そしてその前夜に    彼女の血を、得るということ。

「待ち焦がれた    この日を。三十年だ……覚えているぞ。本来ならばここにこうして、我々と共に座っているはずの    

言って帝王は、軽く左手を掲げてみせた。誰もがその指先を追って視線を上げる。

    アレクシス・ギールグッド。俺の知る中で、最も優れた予見者だった……そう、こうして俺ととを引き合わせてくれた、偉大なる予見者だ。アレクシスは、闇祓いの前に倒れた。マッド-アイ・ムーディ……前回もそうだ、悉く我々の邪魔を仕出かしてくれる」

帝王が数日前ルシウスから取り上げた杖を軽く振ると、長テーブルに着いた全員の前になみなみとワインの入ったグラスが現れた。まず帝王がそれに右手を伸ばし、掴み取る。

「さあ、みなでアレクシスの為に杯を上げようじゃないか。『その瞬間』が訪れたと知れば、あいつはこの上なく喜んだことだろう」

帝王がグラスに口をつけてから、死喰い人たちもそれぞれのグラスを掴んだ。帝王の両脇に座るとアイビス、そしてスネイプが先にグラスを傾けてから、ようやくほとんど全員がワインを飲む。ドラコは震える手でグラスを小さく掲げただけで、一口も口をつけなかった。

、ここへ来い」

彼女はそっと立ち上がり、示された帝王の正面に移動してその場に跪いた。

    左腕を出せ」
「はい」

俯いたまま、彼女は静かにローブの袖を捲り上げた。現れた髑髏を、そのまま帝王の許へと差し出す。
闇の帝王はにやりと笑って舌なめずりし、その左手首を掴んで引き寄せた。

「待ち侘びた……今この瞬間に、お前たちは歴史の目撃者となるのだ」

そして杖先で、ゆっくりと    だが力を込めて、彼女の髑髏をなぞった。
誰も、いつもの招集の痛みを感じることはなかった。だがなぞられた彼女のラインは明るい緑色を放ち、そしてその光が消える頃にはそこから溢れ出した血が白い肌を伝って零れ落ちた。

ひっ、と小さな悲鳴をあげて、ドラコが椅子の上で身を仰け反らせる。帝王は声を立てて笑い、溢れ出る彼女の血を人差し指で掬い上げて舐めた。唇にますます薄ら笑いを広げ、続いて自分の腕の髑髏をなぞる。
彼女のものと同じように一瞬緑色の光を放った闇の印を見下ろし、帝王はそこに鮮血の零れるの左腕を押し付けた。そして血を介して擦れ合った互いの髑髏に向けて、蛇のような音を出して何かを唱える。瞬間、広間中を眩いばかりの閃光が包み込んだ。

その光が消えてしまっても、薄暗い部屋の中、帝王の身体だけが仄かな光を纏って煌いた。息を呑み、誰もが言葉を失ってその光景を見据える。何人かの死喰い人は呆然と目を見開き、ベラトリクスは感銘を受けたように震えながら、「……美しい」と呟いた。
帝王のその蛇そのものの顔立ちに、まったく変化はなかった。だが彼自身の身体が放つ淡い光は決して消えることはなく、その紅い瞳には欲望に満ちた情熱が迸っていた。彼の正面に跪いたまま、も己の腕の痛みなど忘れたかのように呆然と帝王の姿を見上げる。

帝王は脇に置いたルシウスの杖をそっと持ち上げた。それだけで広間中の空気がそれまでとは比べ物にならないほど張り詰めたものになった。明らかに    何かが、違っている。

「素晴らしい……アレクシスの予言は、誤ってはいなかった!」

帝王の声が興奮に揺らいだ。

「力が漲るのを感じる……、最高だ。口惜しいぞ、もう少し早くこうしていれば、俺のこの手であの男を始末したものを」
    申し訳……ありません。私が非力だったばかりに」
「良い、そんなことはもうどうだっていい」

言って帝王がほんの少し杖を傾けただけで、まるで突風でも吹き抜けたかのように屋敷全体が大きく揺らいだ。何人かの死喰い人は思わずテーブルにしがみ付き、は手のひらを床に添える。帝王は声をあげて笑い、の手を引いて立たせた。そして彼が杖先で軽く彼女の髑髏を撫でると、流れ出ていた血が嘘のように止まった。

「時は熟した」

闇の帝王はの腕を掴んだまま、息巻いて告げた。

    明日は『選ばれし者』、ハリー・ポッターの最後の夜になる」
    どうして、戻ってきた」

は任務のある時以外、本拠地として使用されているマルフォイ家の邸宅に居座っていた。ベラトリクスは決していい顔をしなかったが、今やアイビス・プライア、セブルス・スネイプと共に帝王の右腕となった彼女には何も言えずに無視を決め込んだ。地下室には、一年前から捕らえられている杖職人のオリバンダーが監禁されている。帝王が自分の杖ではなく、ルシウスのものを使っているのも彼のアドバイスからだった。

「それ、どういう意味?」

振り向いて、ぶっきらぼうに問い掛ける。後ろから追いかけてきたロドルファスは声を低めて囁いた。

「深い意味なんてない。文字通りだ。今頃どうして戻ってきた」
「まるで私がこちら側の人間ではないような言い草ね。なに、あなたまでベラトリクスのように私を疑うというの?」
「違うっていうのか?俺は昔からお前がこちら側の人間だと信じて疑わなかった。お前はたとえ何があってもあの方の血筋だ。決して逃れることなどできない」
「おかしいわね。だったらどうしてそんなことを訊くのよ」

にべもなくそう言うと、ロドルファスは顔を顰めた。

「そう思っていたんだ、ずっと。だがお前は、闇の帝王が戻られてからもずっとホグワーツにいた。そうなんだろう?」
「何度も同じことを言わせないでちょうだい。そのことなら既に帝王も納得されているわ。私はあなたたちをアズカバンから解放した……これ以上、私にどうしろと言うの。私は明日、帝王と    あなたたちと共に、ハリー・ポッターを始末しに行く。これ以上、私に一体何をしろと言うの?」
    本当に、ハリー・ポッターを殺せるか?」

躊躇いがちにそう言ったロドルファスに、は目付きを鋭くして身体ごと彼を振り向いた。

「ハリー・ポッターを殺すのは帝王よ。あの方が御自身で始末されると仰っている。私たちは手を出してはならない。そういう取り決めになったでしょう?」
「……そうだな。だが、もしもという時、お前はその手でポッターを殺せるか?」

はしばらく何も言わずにロドルファスを睨んでいたが、やがて鼻で笑って視線を逸らした。

「馬鹿馬鹿しい。『もしも』、なんて、何の意味があるの?ポッターを殺すのは帝王よ。だったらそんなことは考えるべきじゃないわね」
「言葉遊びをするつもりはない。ハリー・ポッターを殺せるか。俺はお前に、そう訊いている」

は唇から笑みを消し、再び彼の方を向いた。

「それはこちらの台詞ね。私もあなたと言葉遊びをするつもりはない。ポッターを殺すのは帝王。他に言うことなんて何もないわ」

ロドルファスは目を細め、軽く頭を振った。

「……頑固なところは変わらないな。だがいつか、墓穴を掘ることになるぞ」
「何が言いたいの?」
    殺せないんだろう。いくら他の人間は始末できても、ハリー・ポッターだけは殺せないんだろう」

言ってロドルファスはしばらく彼女の反応を待ったが、が何も言わないので仕方なくあとを続けた。

「学生時代からお前に興味を持っていたのはプライアだけじゃない。俺もラバスタンもベラトリクスも、マルフォイもエイブリーもロジエールも、誰もがお前を注視していた。俺たち全員が知っている    お前がハリー・ポッターの両親と、旧知の間柄だったということは」
「だから何?今更そんな昔の情に流されて、私がハリー・ポッターを防護するとでも思う?第一、そんなことに帝王が気付かないとでも思ってるの?」
「それにお前は    シリウス・ブラックと長く付き合っていた」

うんざりと嘆息し、は気だるげに切り返した。

「それが何なの?あなただって学生時代に恋人の一人や二人、いたんでしょう?それだけのことよ。あなたは私よりも先に卒業したから知らないでしょうけど、私はあの男とは別れたの。ブラックのことなんてもう忘れたわ。今更そんなことを蒸し返されたって迷惑なのよ」
    本当に忘れたのか?脱獄した後、あいつは騎士団にいたんだろう。顔を合わせる機会だってあったはずだ。ブラックは死んだ    あの夜、神秘部でベラトリクスが殺した。お前とベラトリクスの間の確執は、以前にも増してひどくなっている」
「勝手に『ストーリー』を作り上げて盛り上がっているところに水をさすようで悪いのだけれど、私はベラトリクスのことなんて何とも思ってない。昔からそうよ。彼女は帝王の血筋である私のことが気に入らないんでしょう。突っかかってくるのはいつだって彼女よ。私は彼女に対して何ら特別な感情を抱いてはいない。そんな下らない妄想で私の邪魔をしないでほしいわね」

一気に捲くし立て、は小さな溜め息を一つ挟んで声の調子を落とした。

「そもそも、そんなことを帝王が考えていないとでも思うの?ええ、そう……シリウス・ブラックを好いていた自分を否定する気はないわ。あの男は……いい男、だった。あなただから言うけど、彼の死に少なからず心を乱されたことも認める。私は彼を    彼らのことを嫌いになったからこちら側に来たわけじゃない。騎士団に護られて、居心地の良い城で過ごすことに慣れてしまっていた。
だけどね、ダンブルドアを殺すと心に決めた時点で覚悟したのよ。私は子供じみた『愛情ごっこ』よりも、帝王の下で理想的な社会を築くことを選んだ。帝王はすべてを知っておられる。それでも……血を採った後も、私を傍に置くことを決められた。今まであなたが散々言ってきたことは、帝王も疾うにご存知よ。それを承知の上で私を受け入れてくださった。だからこそ、私もあの方にすべてを捧げる。あなたたちが何を言おうとね。私への疑念は、帝王への疑念だと思いなさい」

最後の言葉は、もはやかつての仲間へのそれではなく、『命令』だった。ロドルファスは口を噤んでしばらく呆然とを見ていたが、やがてぽつりと、まるで独り言のように言った。

「……変わったな、お前も」

その場を立ち去る寸前、首だけで振り向いた彼女は冷ややかに告げた。
「これが、本当の私よ」