「スネイプ先生!先生!」

空気の澄んだ、美しい星空の夜だった。は少し前に天文台の塔に上がって、遠い昔にシニストラが語って聞かせた、夜に纏わる物語を思い出しながらその夜空を見上げていた。だが夏の熱気に噎せ、すぐに地下室へと戻った。

その日はたまたま、遅くまでセブルスと研究室に残っていた。翌日の七年生の授業用の課題がまだ完成していなかったのだ。は二人分のコーヒーを淹れ、二人はそれぞれ自分の席に着いて黙々と割り当てられたプリントを作っていた。

そこへ飛び込んできたのは、大慌てのフリットウィックだった。

「スネイプ先生!先生!大変です、お二人とも一緒に来てください!う、上で……上に、『例のあの人』の
    し、死喰い人が!」

は思わず手にしていたマグカップを引っ繰り返してしまい、課題の上に大きな黒い染みを作った。だがそんなものには構わず、すぐさまセブルスを見る。鋭い眼差しでこちらを一瞥したセブルスは、あっという間に取り出した杖でなぜかフリットウィックを狙った。

フリットウィックがはっと目を見開いた時には、赤い光線を浴びた彼はどさりと床に転倒した。

「……セブルス!何を    
「フリットウィックをみすみす死なせるつもりか」

低く唸ったセブルスは、続け様にへと杖を向けた。だがもその時までには懐から取り出した杖をセブルスに構えていた。ついにこの時が    やって来た。でも死喰い人が、一体どうやって。いや、今はそんなことは関係ない。行かなければ    ドラコのところへ。そして、あのお方の許へ。

「お前は行かせん」
「あなたに阻止できる?」

二人はしばらく杖を突きつけ合ったまま対峙していたが、苛々と舌打ちしたセブルスが呻いた。

「ダンブルドアの言葉を忘れたか」
「忘れてなんかいない。でも私はこの道を選ぶ    そしてあの男は最後には私の意思を尊重した」

だがなかなか動かないセブルスを睨み、は抑えつけた声で怒鳴った。

「あの男はこの夜が明ける前にはいなくなる……もう、私たちを    私を護ってくれるものは何もない。今度は私の……私たちの番なの。今度こそ、私たちがみんなを護らなければならない。だから私は行く    あなたと一緒に、私も行くわ」

息もつかずに、二人はまだ睨み合っていた。だがやがて杖を脇に下ろしたセブルスは、椅子に掛けたマントを片手だけで羽織って呟いた。

「俺はもう……何も、知らんぞ」

彼が最後に一口だけ飲んだコーヒーを置いて足を踏み出してから、は自分に言い聞かせるように小さく頷いた。もう、私はあの男のこの城から飛び立つことを決めた。そしてもう戻らない    すべてを、終わらせるために。
部屋を出る前、ちらりと自分の寝室のドアを見やった。だが振り払うように目を逸らし、はセブルスに続いて地下室を出た。

部屋の前にはなぜか、杖を握って恐怖に固まっているグレンジャーとレイブンクローのラブグッドが立っていた。どうしてこんな時間に、こんなところに    

「諸君」

セブルスも意表を突かれた様子だったが、二人を順に指差してから研究室のドアを示した。

「禁止事項である夜間外出についての処分は免除してやろう。中に倒れているフリットウィック先生を介抱したまえ。ショックで気絶なさった。動かすのは危険であるからして、我輩の私物を使用しても良い。ミス・グレンジャー、君の知識があればそれらを用いて彼を手当てできよう」

フリットウィックの寮生であるラブグッドは仰天してすぐさま研究室に飛び込んだ。なぜかこんなところで間接的に褒められて驚愕したグレンジャーもそれに続いて部屋の中に入るのを確認してから、とセブルスは玄関ホールに急いだ。なるほど、どうしてあんなところにいたかは知らないが、あの二人を想定される戦闘から遠ざけるには上手い口実だった。

地上へと続く階段を駆け上がると、頭上から激しい戦闘音が聞こえてきた。動悸がするのも、きっと加速しているせいだけではあるまい。ホグワーツは長らく平和だった。いや、私がこの城の存在を知ってからは、永久的に平穏だと思い込んでいた。それなのに、ここは子供たちの学び舎であるべきだというのに。

玄関ホールには誰もいなかった。だが大理石の階段を上がったその上階で何やら戦闘があったらしい。まだ舞い散る粉塵が二人のいるホールまで降ってきた。とセブルスはすぐさま階段を駆け上がり、音の出所を求めて廊下を駆け抜けた。ますます呼吸が荒くなっていくが、止まるわけにはいかない。

何段もの階段を上がってようやく見つけ出した時、その戦闘は熾烈を極めていた。幾筋もの光線が飛び交い、舞い上がる粉塵が戦っている魔法使いたちのシルエットをぼやかしてしまっている。はようやくその中にリーマスの姿を認め、無意識のうちに声を張り上げた。

「リーマス!」

よくよく目を凝らすと、そこで戦っているのはほとんどが騎士団の人間や一年前神秘部で戦いを繰り広げた子供たちだった。なりふり構わず呪詛を飛ばしている死喰い人はたったの一人だ。だがその呪文があまりに所構わず放たれるので、マクゴナガルやトンクスたちも確実にかわすことに神経を尖らせているようだった。
こちらを向いたリーマスが、驚いた顔をして叫ぶ。

!何をやってるんだ!君は戻るんだ    早く    

だがセブルスが再びそちら目がけて駆け出したので、も躊躇うことなくそれに続いた。誰もが目を見開いて一瞬戦闘のことを忘れ、唯一その場にいた死喰い人のバイゴットもの存在に気付くとようやくその手を止めた。

    お前!」
「ドラコはどこ!」
「お前、いってー今までずっと    
「そんなことは後よ!ドラコはどこ!」

バイゴットは節くれ立った手で天文台の塔へ続く階段を示し、とセブルスは振り向きもせずに騎士団員たちの脇を通り抜けて疾走した。階段の途中で何らかの魔法の障壁を感じたが、二人はそれを難なく通り抜けた。

「ドラコ、殺るんだよ。さもなきゃお退き。代わりに誰かが    

扉の向こうから、甲高い女の声が聞こえる。一足先にそこにたどり着いたセブルスが、天文台のドアを開けて飛び込んだ。

そこには複数の人影があった。黒いローブを着た四人と、杖を握り締めたまま硬直しきっているドラコ、その杖先が示す防壁に背中を預けた    ダンブルドア。は自分の心臓がひどく脈打つのを感じたが、死喰い人の誰かが自分の名を呼ぶのを聞いてそちらに視線を移した。彼らの立つ塔の上には、あの緑色の髑髏が渦巻いていた。

「お前    だな。今頃のこのこと出てきて、何様のつもりなんだ?え?」
「黙れ、アレクト。闇の帝王はをご所望だ。お前が口を挟むことではない」

セブルスが冷ややかに言い放ち、グレイバックは喉の奥でけたけたと不快な音を立てて笑う。アレクトはあからさまに舌打ちしたが、それ以上は何も言わなかった。
構えた杖でダンブルドアを示したまま、フードを脱ぎ捨てたアミカスが呟く。

「ああ、そうだ。そんなことはどうだっていい。それよりスネイプ、困ったことになった」

アミカスはくいっと僅かに顎を動かしてドラコを示した。

「この坊主にはできそうにない    

は蒼白になりがくがくと震えるドラコを一瞥し、そしてセブルスの背中を見上げた。
その時、どこからかひっそりと彼の名を呼ぶ声がした。

「セブルス……」

は、まさかそれがダンブルドアの発しているものだとは思わなかった。あまりにも微かで、あまりにも儚く。

はほんの少し前、その男が同じようにして自分の名前を呼んだのを思い出して怒りに肺までもが震えた。

こんな    こんな、末期のその瞬間までも    

その声に応じるようにして、セブルスは荒々しくドラコを押し退け前へと進み出た。その張り詰めた空気に、アレクトたちは怯えた様子で後ずさり、グレイバックまでもが心持ち後退した。は後れを取らないようにと彼と一緒に進み出る。ついに    ついに、この瞬間がやって来てしまった    

杖を持たないダンブルドアは、ほとんど防壁に倒れ掛かるようにしてじっとこちらを見ていた。

「セブルス……頼む……」

その瞬間、の中に溢れんばかりの憎悪と憤怒が噴き出した。
だが彼女が杖を掲げて呪文を叫ぶよりも、セブルスがそれを唱え終わる方がはっきりとより先んじていた。

アバダ ケダブラ!

セブルスの杖先から迸った緑の光線が真っ直ぐとダンブルドアの胸を直撃し、の放った光線はその一瞬前までそこにダンブルドアがいたはずの防壁に衝突してそれを粉々に吹き飛ばした。ダンブルドアの身体は虚空へと飛ばされ、ほんの僅かの間、光る髑髏の下に浮いているようにも見えた。それからゆっくり、崩れた防壁の向こう側へと落下していった。

「やった!やったぞ!」

アレクトの興奮した叫び声が聞こえた。だがはほんの一瞬空になった感情をすぐに取り戻すと、ちょうど杖を下ろしたところのセブルスの胸倉を掴み上げた。

「何てことしてくれたのよ!私が殺すと言ったでしょう!それを    あんたって人は    どうしていつもそうやって勝手なことばかり!私がどれだけこの瞬間を待ち焦がれてたと思ってるの!二十年    ええ、二十年よ!それを、あんたは……!」

カロウ兄妹やクレイグたちはの剣幕に呆気にとられたようだったが、セブルスは苛立たしげに彼女の手を払い除けて吐き棄てた。その黒い瞳には、燃え盛る嫌悪と憎悪とがありありと浮かび上がっていた。

「下らん。お前の復讐劇に付き合っていたつもりはない。早くここから出るんだ、早く!」

言ってセブルスはまだ動けないでいるドラコの襟首を掴んで真っ先にドアから押し出した。グレイバックとカロウ兄妹がそれに続き、はその後から大股で天文台を出た。一緒に殺すと言ったのに    あなたは、いつだってそう。何もかも、勝手に独りで終わらせようとする。今は、セブルスとダンブルドアへの憤怒で、は破裂してしまいそうだった。
どうして、どうしてこんなことをしなければならないの。ダンブルドアは死んだ。セブルスが死なせた。ダンブルドアが殺せと言った。セブルスがナルシッサと『破れぬ誓い』を結んだ    。どこに答えを求めればいいのか分からない。いや、そんなこと自体がまったくもって不毛だ……。

アミカスの背中を追って螺旋階段を下りると、薄暗い廊下にはもうもうと埃が舞い上がっていた。天井の半分は落ち、の目の前では新たな戦いが繰り広げられている。アレクトとアミカスが誰かの呪文を受けて戦闘態勢に入ったので、は彼らを置いてセブルスとドラコの背中を探した。いた    向こうの角を今まさに曲がって姿を消そうとしている。

「終わった!行くぞ!」

振り向いたセブルスが叫び、は急いで二人を追いかけた。マクゴナガルやリーマスたちは、当然私を味方だと思って攻撃してはこなかった    さよなら、マクゴナガル先生。さよなら、リーマス……さよなら、さよなら……。

大理石の階段を飛び下り、はようやく二人との距離を縮めた。彼らの後ろにはバイゴットらしき人影も走っている。玄関ホールを飛ぶように横切り、は暗い校庭に出て三人の後を走り続けた。冷たい夜気が肺に流れ込む……今夜は美しい空だ……とうとう、長年暮らしたこの城を去る時が来た……。

その時、明かりのついていたハグリッドの小屋から突然飛び出してきた彼がバイゴットに掴みかかった。バイゴットは大慌てで失神光線を放ち何とかハグリッドを引き離したが、巨人の血を引く彼には上手く効かないようだった。
彼らの脇を通り抜け、はあくまでセブルスたちを追う。ようやく二人に直前まで追いついた時、後方から失神光線が飛んできてはすんでのところでそれをかわした。もっとも、自分はもともと失神光線など効かない身体だが。走りながら振り向くと、追ってきたのはハリーだった。

先を行く二人も振り返ったが、セブルスはドラコの背を乱暴に押しながら叫んだ。

、ドラコを連れて走れ!」

そして構えた杖を振り、ハリーの呪文を次々とかわしていく。はドラコに追いつき彼の背を押してようやく校門の外に出たが、なかなかセブルスが追ってこないので不安になってドラコに先に姿くらましするように告げた。

「でも    先生は    
「私のことは心配しないで。すぐにセブルスと追いつくわ」

彼を安心させようと微笑んでみせると、ドラコは何とか頷いてバチン!と姿くらましした。は振り向いて、まだ天文台の塔の上に浮かび上がっている髑髏を見てから校庭に戻った。いくつもの光線が飛び交うのが見える。まさかセブルスがハリーに負けるはずはなかろうが    だが心のどこかに、不安があった。結局のところ私はこんなにも、セブルスに依存してしまっているのだろうか。
セブルスのところへ戻る途中、バイゴットやカロウ兄妹たちとすれ違った。既にドラコは姿くらまししたと告げ、セブルスのことを訊ねると、彼はまだポッターと戦っているといった。

「セブルス!遊んでる暇はないでしょう!早く    魔法省が来る前に!」

セブルスの呪文を受けてハリーは苦痛に悶え、地面に伏して喘いでいた。だが彼が杖を振ってその効果を終わらせると、荒い呼吸を繰り返しながらも顔を上げたハリーが激しい怒りを燃やして彼女を睨み付けた。

「あんたもそうだ!臆病者    お前もそうやって、父さんと母さんを死なせて!シリウスを裏切って!ダンブルドアを殺して!そうやっていつだってこそこそと    お前たちは二人とも、とんでもない臆病者だ!この        

臆病者。その言葉に腸が掻きむしられ、抉られるように感じたが、は今度はセブルスが杖を上げるよりも先に突き出した杖を一閃して跳ね上がったハリーの身体を地面に二度叩き付けた。

分かったような口を    利くな!

はあまりに腹の奥底から絞り出したので、声が裏返るのも構わず怒鳴りつけた。

「あんたに何が分かる    あんたに私たちの何が分かるって?思い込みでしか行動できない子供が    でかい口を叩くな!」

その時は何も考えられなかった。ただ感情の任せるままに声を張り上げた。あんたに何が分かる。あんたに私の何が分かる。あんたにセブルスの苦しみが分かってたまるか    あんたを見る度にセブルスがどれだけの苦痛を味わってきたか、ダンブルドアをその手にかけた時、セブルスがどんな気持ちでいたか    それがお前に分かってたまるものか!

もう一度鞭打つように杖腕を振り、はハリーを地面に打ちつけた。

「もういい    、行くぞ」
「逃げるな、戦え    臆病者!」

の背を押して駆け出そうとしたセブルスが、もう一度だけ振り向いて空高くに杖を掲げた。

我々を    

そして彼の腕が空を切った。

    臆病者と呼ぶな!

今度こそ強烈な一打がハリーの身体を襲った。飛び上がった彼のシルエットが激しく地面に叩きつけられる。激昂したセブルスがもう一度杖を上げようとしたところへ、は今度こそ戻ろうと彼を諭した。

「行こう、セブルス    もう十分でしょう」
「……お前に言われる筋合いはない」

ぶつぶつ毒づきながらも、セブルスはと連れ立って校門の外へと疾走した。最後に振り向き、城の上空に蠢く緑の髑髏を見つめる。

    戻るなら今だぞ」

セブルスが囁いたが、はすぐさま鼻で笑ってみせた。

「あの子にあんな真似をした後で、どの面下げて騎士団に戻れって?」

振り返ったセブルスは小さく失笑した。それは久しぶりに見た    皮肉ではない、彼の微笑みだと思った。

彼に目的地を聞いて、姿くらましする直前、はたった一時間ほどの間に自分の身に起きたことを考えた。ダンブルドア、マクゴナガル、リーマス、ドラコ、カロウ兄妹、グレイバック、セブルス、そしてハリー……。

だが視界が捻れた時彼女の頭の中にあったのは、最後にセブルスがハリーに叩き付けたあの言葉だった。
その程度のことしか、咀嚼する余裕がなかったのだろう。
こうして    私たちの最大の庇護者を、失った夜。