あれ以来、は一度もダンブルドアから特別授業の誘いを受けなかった。行われていないわけではないのだろう。確かに彼は、ハリーにスラッグホーンの記憶という宿題を課したのだから。だがきっと彼女と顔を合わせるのはあまりにも苦々しいに違いない。もまた、そのことを深く追及することはなかった。そもそもダンブルドアはよく城を留守にしており、なかなか出会う機会もなかったわけだが。

自分の血筋を巡る醜い記憶を目の当たりにした。忘れてはならない。あの姿もまた、私の家系の『真実』の一つなのだ……。

とセブルスは、それぞれ別々にドラコの監視を続けていた。三月にはスラッグホーンがホグズミードから入手した蜂蜜酒を飲んでロナルド・ウィーズリーが死に掛けるという大事件が起こったのだ。運よく傍にベゾアール石があったために彼は一命は取り留めた。
本当にドラコが……ベルのネックレス事件も今回の蜂蜜酒も、どちらも人間の生死に関わる大事でありながらあまりにも計画が杜撰だ。ドラコは日に日に追い詰められるように切羽詰った様子で、ますますやつれ果てていった。一度セブルスと同じように彼と話をしようと呼び出してみたが、やはりすっぽかされてしまった。

同時に、は再び熱心な図書館通いを始めた。どうしても受け入れられなかった。ダンブルドアが死ぬか、セブルスが死ぬか……そんなの、どちらも耐えられるはずがないじゃないか。避けられる方法があるのならば、もしかしたら    
『破れぬ誓い』……魔法の契約を解除する方法……契約そのものを欺く方法……。

だが、一度交わした『破れぬ誓い』は、当人同士の了承がなければ絶対に解消できない    どの文献を見ても同じ一文の繰り返しで、はいい加減うんざりしていた。何かないのか    セブルスがダンブルドアを殺さずに済む方法は!もう嫌だ、誰かが死ぬと分かっているのに黙ってそれを見ているのは。何の手掛かりも見つけられない今、は安易に『破れぬ誓い』などを結んだセブルスに激しい憤りを感じていた。

(こんなことは……予測しておくべきよ!それを、こんな風に……)

だが、苛立っていても仕方がない。時間は巻き戻せない。これからのことを、考えなければ。

悩んだ末、はスラッグホーンのオフィスを訪ねた。ダンブルドアほどではないにせよ、彼もまた年輪を重ねた偉大なる魔法使いの一人だ。もしかしたら    何か古い魔法を知っているかもしれない。呪文にも、流行り廃れがあるものだ。彼がダンブルドアの知らない魔法を知っているとは思わなかったが、ダンブルドアはその方法を隠している可能性もあると思った。たとえ『破れぬ誓い』を解消する方法があったとしても、そうしてしまえばナルシッサやベラトリクスの不信を買ってしまう。それを避けるために、敢えて    
だが、はそんな方法があるのならたとえ彼が闇の陣営にいられなくなったとしても、そうすべきだと思った。どちらも死なせたくない    そんなことには、耐えられない。

喜んで彼女を部屋に迎え入れたスラッグホーンは彼女の問い掛けに訝しげな顔をしたが、騎士団に関わることだと気付いたのだろう。知らないなと言ったきり、不自然なほど素早く他の話題に切り替えた。

、いやあ実に驚いているよ!ハリー!ハリー・ポッターだ!父親にそっくりで    あの眼は、リリーそのもの!」
「……私は五年も前から彼のことを知っています。その台詞だけで耳にたこができますよ」
「そうだろう!そうだろうね、だが言わせておくれ。彼は魔法薬調合における直感力も実に優れているね!まさにリリーの息子だ、素晴らしい。私は感動してしまったよ」

はあからさまに顔を顰めてみせた。そんなはずはない。少なくとも自分の知る限りでは、彼はまともな精神状態で調合すればそこそこのものは作れたが、いわゆるリリーの『直感力』はまったく引き継いでいなかった。そんなものは後から身に着くものではなかろうに。

「おかしいですね……そのような記憶はまったくありませんが?」
「セブルスも同じことを言っていたな。だが『陶酔薬』にハッカを入れるなど、普通の生徒ならば思いつかんだろう?」

ハッカ、か。確かに陶酔薬に通常ハッカは使用しない。だがその副作用を和らげるためにハッカの葉を加えるのはアイディアとしてはなかなかのものだった。

「そうですね……それが本当に彼のアイディアならば、確かに直感力は優れているといえますね」
「そればかりではないんだよ!とにかく次々と素晴らしいアイディアを見せてくれるので私も毎回とても楽しみでね」

スラッグホーンが生徒の魔法薬調合に関してこんなにも嬉しそうにしているのをは学生時代にもあまり見たことがなかった。それこそ私の知る限り、彼をこんなに喜ばせていたのはリリーだけだった。セブルスは先天的な直感力というよりは、並々ならぬ努力を重ねて手に入れた知識の宝庫といえた。

散々スラッグホーンの自慢話に付き合わされたというのに、結局は何も得られなかった。肩を落とし、とぼとぼと地下室に戻る。セブルスは自分の机で黙って本を読んでいたので、は彼の正面に立って静かに呼びかけた。

「ねえ、セブルス」

彼はしばらく彼女の声が聞こえなかったかのように視線を紙面に張り付けたままだったが、やがて物憂げに顔を上げて読んでいたページに栞を挟んだ。

「何だ」
「……例の話だけど。本当に、方法はないの?あなたが……あの人を、殺してしまう以外に」
    お前とそのことを話し合うつもりはない。俺はダンブルドアの命を受けた」
「自分を殺せっていう、そういう命令を?あなたはそれを    本当に実行する気?」
「お前と議論するつもりはないと言ったろう。何度も言わせるな。俺にはあの男の命令を拒むという選択肢などない」
「でも……今までのどんな命令とも違うのよ!ダンブルドアを殺す?そんなこと……あの人がいなければ、私たちはこれからどうすればいいのよ!」
    選択肢などない。道は、一つしかない」

セブルスははっきりとそう言った。彼の黒い瞳には、もはや迷いなど微塵もない。
彼は覚悟を決めたのだ。常に私たちの『絶対』であり続けたダンブルドアを、セブルスはその手で殺めることを決めた。

しばらく、は口が利けなかった。だが目を逸らさずにじっと彼の視線を捉え、やっとのことでこう切り出した。

「分かった    でも、あなた一人ではさせられない。私も一緒にやる」

予測の範疇だったのだろう。セブルスは眉一つ動かずに、ただ深々と溜め息を吐いた。

「下らん。命を受けたのは俺だ。『破れぬ誓い』を結んだのは俺だ。俺がこの手で始末をつけなければならん」
「セブルス!私たちはずっと一緒だった    あなただけにそんな重い罪を負わせるなんてできない!私も一緒にやるわ!同時に呪文を唱えれば、あなたの『誓い』だって果たせるはず    

セブルスは唇の端だけで冷ややかに笑い、閉じた本を机上に置いた。

「ずっと一緒だったと思っているのは、生憎だがお前だけだ。俺はお前をそんな風に考えたことはない」

ぴしゃりと切り捨てられ、は思わず息を呑んだ。冷たく目を細め、セブルスがあとを続ける。

「俺はお前がホグワーツに留まるようになってからもずっと帝王の許へ足を運び続けた。その間に向こうで俺がどんな任務を負ってきたか分かるか。騎士団に忠誠を誓いながら、一方で帝王には真の忠誠心は自分にあると思わせるために、あのお方を満足させるために一体俺がどれほど汚い役を負ってきたかお前に分かるのか。時には騎士団の人間の命を危険に晒すような情報を帝王の許へ持ち帰らなければならん。魔法省の人間も騎士団の人間も、この一年で何人もが死んだ。この俺のもたらした情報でだ。毎日そんな記事を新聞で読まされる俺の気持ちがお前に分かるものか!」

興奮して声を昂ぶらせながら、セブルスは一気にそう捲くし立てた。今や彼の形相は憤怒に満ちている。
驚いた    同時に、は途方もないショックを受けた。そうだったのか。そんな風に、思われていたのか。ずっと、私と彼とは一蓮托生だと思い込んでいた。だが、そうだ    私にそれが、分かるはずがない。この城でずっとダンブルドアに護られ続けてきた、この自分に。

「……そうね。ごめんなさい。私、あなたのこと何にも分かってなかった」

彼は気持ちを落ち着かせようと深く息を吸い込み    こんなことを言うつもりではなかったのだろう    ばつの悪い顔をして椅子の上に座りなおした。だが、は続けた。

「でも、だからこそ、ね。私も償いたいと思っている。帝王を倒したい。私にも    手伝わせて。ダンブルドアは、私たちの救いだわ。彼を殺さなければならないのなら……私もこの手で、終わらせてあげたい」

机上の本に伸ばしかけた手をぴたりと止め、セブルスが視線を上げる。彼の瞳の色は多少和らいでいたが、やはり冷ややかなものを滲ませて嘆息混じりに呟いた。

「……お前には関わらせるなと、命じられている。ダンブルドアを殺したその後で、お前がまだ騎士団にいられるとでも思うのか」
    まさか。ダンブルドアを殺した後は……選択肢は、一つしかないでしょう?」

少しだけ彼の口調を真似て切り返す。瞬時に辺りには沈黙が流れ、はセブルスと無言のまま鋭く見詰め合った。

「……馬鹿な。お前は    何があってもホグワーツを離れるな。これはダンブルドアの命令だ」
「そのダンブルドアは私が説得する。私はあなたと、帝王のところへ戻る」
「ふざけるな!何のための一年だ    何のために、今までお前がこうして護られてきた!すべて台無しにする気か!お前はここに残るんだ!」
「嫌よ!」

声を荒げ、はセブルスの机に両手を叩き付けた。

「誰もが命を懸けてるわ    私だけが延々と子供のように護られているなんて嫌よ!『無敵』の存在だなんて……そんな曖昧なものに縛られて!どのみち帝王の魂の一部は既に死んでるの!それなら何があったってあのお方は不完全だわ    勝機はあるの!私がそれを見つけてみせる!」

セブルスは心底うんざりした様子で溜め息を吐き、苛々と顔を歪めながら立ち上がった。

「お前の相手はできん。勝手にほざいていろ」
「セブルス!」

は呼びかけたが、セブルスはさっさと自分の部屋に引っ込んでしまった。小さく舌打ちし、何とはなしに長年彼と過ごしたオフィスを見回す。薬学の    今は防衛術の、研究室。十五年、か。ここはとっくに、『私たちの部屋』になってしまっていた。
けれど。

心を決めて、そっと瞼を閉じる。そして決然とした面持ちで目を開け、は一人でオフィスを出た。
訪れたセブルスは、青ざめた顔を頬に垂れる黒髪で隠して少しだけ頭を下げた。

「……申し訳ありませんでした。私が、彼女に話をしたばかりに」
    構わぬよ。どのみち、彼女は君の口からそれが語られることを望んだじゃろう。彼女は君と、一蓮托生じゃと思っておる」

彼は僅かに顔を顰め、数秒ほど間を置いて切り返した。

「……私は、決してそのようには」
「分かっておる。君の気持ちも彼女の気持ちも、分かっておる」

噛み締めるようにそう言って、ダンブルドアはふいとこちらに背を向けた。

「わしは彼女を愛おしく思いすぎたのじゃ。いや、それすらも偽善かもしれぬ。わしは……トムにしてやれなかったことを、彼女の母君に、そして彼女に施すことで、自らの咎を誤魔化そうとしておるだけかもしれぬ。あの時わしがもっと彼に歩み寄る努力をしていたならば、ひょっとしたら最悪の事態は避けられたかもしれぬと。彼女を慈しむことで、彼にしてやれなかったことを再現しようとしておるだけかもしれぬ。じゃがそれでもわしは、あの子を愛おしく思う気持ちを抑えることができぬ。もうこれ以上、彼女の手が汚れゆくのを見るのは我慢ならぬのじゃ」

セブルスは答えなかった。この男は、そんなものを求めてはいない。たとえ欲していたのだとしても、そんなものを与える義理などない。くれてやる言葉などあるものか。
自分から今まさにすべてを奪わんとしている、この男には。

もう一度だけ一礼し、立ち去りかけた彼はふと足を止めて老人の背中に呼びかけた。

    校長。一つだけ、言わせていただけるのなら」

ダンブルドアは振り返らなかったが、ほんの少しだけ首を動かすのが見えた。

「たとえあなたがどれだけその手を差し伸べていたとしても、あの方はこの道を選んでいただろうと思います」

男はやはり、こちらを見なかった。しばらく沈黙を挟んだ後、ほとんど独白のような声音で口を開く。

「……果たして、そうじゃろうか」

セブルスは黙ってその老人に背を向けた。

「『もしも』、というのは、意味のある言葉ではありません。ですがどちらにせよ、それは変わらなかったと。私はそのように思います」

そして静かに、部屋を立ち去った。
貴様のその手で変えられたかもしれぬと。
どこまでも傲慢で、どこまでも臆病な男よ    

あんな人間に、すべてを委ねてきたこの自分が。
それをこの手で終わらせろと命ずる、あのような男を。

校長室を去ったセブルス・スネイプの顔には、言い知れぬほどの嫌悪と憎悪とが刻み込まれていた。