三度目の特別授業は、ホグワーツで自分の出生の秘密を突き止めたトム・リドルがゴーント家の親戚を探しに出かけ、モーフィンと出会うところから始まった。リドルは自分を棄てた父親とその家族に復讐し、その罪を伯父であるモーフィンに着せて何食わぬ顔でホグワーツへと戻った……。
二つ目の記憶は、若き日のスラッグホーンのものだった。トム・リドルを含む何人かのスリザリン生と、部屋でティータイムを楽しんでいる。はそれが自分の知る死喰い人たちの血縁であろうことに気付いた。あの口元の笑い方、切れ長の瞳はレストレンジのものだ
。
「『君は悪の道に嵌まるだろう。いいかね、私の言葉を覚えておきなさい』」
改ざんされた記憶
やはりそうだ。帝王はホークラックスのことを知っていた。
ダンブルドアはハリーに、改ざんされる前のスラッグホーンの記憶の入手という宿題を課した。はハリーが立ち上がり、部屋を出て行こうとした後も、じっと椅子に座ったままダンブルドアを見ていた。今夜は、この『特別授業』を目的としてやって来たわけではなかった。
が動かないのを見て怪訝そうに眉を顰めたハリーに、ダンブルドアはもう一度「おやすみ」と退室を促した。
二人だけが残された校長室はしんとした静寂に包まれた。ダンブルドアはペンシーブをそっと棚に置いて、自分の机に戻った。
それからも、二人はしばらく一言も口を利かずに互いを見据えていた。はダンブルドアがこのことを予測していたことを知った。
ようやく絞り出した彼女の声は、発声を忘れた無意味な吐息のような音を出した。
「……どうして、ですか」
自分はそのためにここへ来た。この数ヶ月、用件も告げずに城を空けることの多かったダンブルドアに確実に会うには特別授業の招集に従うしかなかった。
何のことかね、とダンブルドアは聞かなかった。やはり彼は
そのことに気付いている。
構わず、は続けた。
「どうして……どうして、何も言ってくださらなかったんですか」
責め立てるような口調になるのを抑えることはできなかった。ダンブルドアは身じろぎ一つしない。
「どうしてですか?私とセブルスは……同じです。私たちは、同じものを負ってきたんです。それなのに、どうして私には何も話してくださらなかったんですか?どうして私には……それを負わせてくださらないんですか!」
声が掠れた。溢れ出た涙を零さないようにと瞬きを堪え、きつくダンブルドアを睨み付ける。
「俺はあの男を
殺さなければ、ならん」
あの日セブルスは、そう言って静かにワインを口に含んだ。はグラスを掴んだまま、立ち尽くすセブルスを見上げる。
「……誰?」
問いながらも、はその答えを既に知っているような気がした。だがしかし、まさかという思いが首をもたげてくる。そんな、まさか。ねえ、違うと言って。
セブルスはグラスの中のワインを一息に飲み干し、空になったそれを机の上に置くためにこちらに背を向けた。
「
アルバス・ダンブルドアだ」
声をあげてしまうことはなかったが、は目を見開いて呆然と彼の背中を見上げた。殺す。ダンブルドアを。殺さなければならない
?
乾いた喉に何とか唾を流し込み、はようやく口を開いた。
「……説明して。どういうこと?ダンブルドアを殺せと、あなたがその命を受けたということ?ナルシッサと交わした『破れぬ誓い』って何なの?ドラコは何をしようとしているの?」
彼はボトルに手を伸ばし、先ほど空けたグラスにまたワインを注いだ。
「……神秘部で指揮を命じられていたはずのルシウスがしくじって、予言は失う、レストレンジらが拘束される……散々な結果を招いたな」
「ええ……そうね。それで帝王がお怒りになったことを私はあなたから聞いていた」
セブルスは珍しく自棄を起こしたように、に背中を向けたままなみなみと注いだワインをすぐに飲み干した。
「帝王はその失態への罰として、奴の息子であるドラコに『あること』をご命令になった」
「……それが、ダンブルドアの抹殺だというの?」
「ナルシッサはそのことで俺に助けを求めてきた。上手くいくはずがないと。帝王はルシウスを罰するためだけにドラコにそれをご命令になったに過ぎん。だがその時、俺はその計画を知らなかった……だから俺は、それを探るために、『破れぬ誓い』を結んでほしいというナルシッサの求めに応じた……ベラトリクスが一緒だった。受け入れることの方がより賢明だと思った」
「それじゃあ……そのドラコを護るようにと、そういう『誓い』を交わしたのね?だけどどうして、それが
あなたがダンブルドアを殺さなければならないということになるの?あなたは上手く立ち回って、ドラコを諭しつつその計画を挫こうとすべきよ。そうでしょう?」
セブルスはまた新たにワインを注いで荒々しくそれを飲んだ。そして決して彼女の顔を見なかった。
「
帝王は、ドラコが失敗すればその時はマルフォイの一家を始末するつもりだ。ドラコは決して『それ』を放棄したりしないだろう。たとえしくじることが明白であったとしても」
「……そんな。それじゃあ一体どうすればいいの
」
死ねとは言えなかった。それならばあなたたちが死ねばいいのだと。あの日の彼の叫びがまるで昨日のことのように思い出された。
『それなら死ねば良かったんだ!友を裏切るくらいなら死ぬべきだった!俺たちもお前のためにそうしたろう!』
口をつけていない自分のグラスをじっと見下ろしてが黙り込んでいると、セブルスは四杯目のワインを持ってようやく振り向いた。その眼はいつもと変わらない暗い光をたたえていた。
「それに俺は、ドラコが失敗すれば代わりに俺が『それ』を成し遂げると
そう、ナルシッサと『誓』ったんだ。俺が殺すか
俺が、死ぬかだ」
「そんな……!」
間髪容れず声をあげ、はソファから立ち上がった。
「どうして?その『計画』が何なのかも分からずに『破れぬ誓い』を結ぶなんて……あなたらしくないわね。向こう見ずも甚だしいわ!あなたはまだ
まだ、死ぬべきじゃないでしょう!」
セブルスは何も言わなかった。グラスの端に唇をつけたまま、何も言わずに傍の壁を見つめていた。そのことが無性に腹立たしかった。
「ねえ
ダンブルドアに相談しましょう。何か策があるはずだわ。『破れぬ誓い』を無効にする……もしくは上手くすり抜ける方法が!あなたには死んでほしくないと、ダンブルドアだってそう願ってるはず」
「『破れぬ誓い』は絶対的な契約だ。それを無効にする方法など、『忠誠の魔法』を打ち破る方法を模索するのと同じくらい馬鹿げている。それにダンブルドアは、他の誰が死ぬことも望んではいまい」
セブルスはそこで初めて声に苛立ちを含ませた。それを誤魔化すようにして、すぐさまワインを喉に流し込む。
その様子を見て、はそのことに気付いた。言い知れぬほどの激しい動揺が心を掻き乱していく。
まさか
まさか、そんな。自分の頭を過ぎった考えに、は愕然とした。
「……ダンブルドアは、知ってるのね?」
再び机上のボトルに伸ばそうとしたセブルスの手を無理やり掴んで引き寄せて、押し殺した声で囁く。
「……それで、ダンブルドアは何て?」
彼は冷ややかな眼差しでのことを見下ろすばかりだったが、やがて彼女の手を振り払って吐き棄てるように言った。
「
自分を、殺せと」
ああ……と息を吐いて、は再び倒れるようにしてソファの上に崩れ落ちた。そうだったのか。空いた左手で顔面を覆い、押し寄せる絶望感に打ちのめされる。殺せと。ダンブルドアが、自分を殺せと。
「……どうして?ねえ、どうしてそんな重大なことを何も話してくれなかったの?私にとっては……ダンブルドアも、あなただって」
「勘違いするな。俺はあのことを忘れてはいない」
セブルスはそう言って乱暴にグラスへとワインを注いだ。苛立ちをはっきりと含ませ、息もつかずにそれを飲み干す。彼の眼が少しだけ潤んだが、それはきっとアルコールのせいだ。
「俺はお前が深く関わった連中のことを決して忘れることはない。こうしてお前と共にいるのも、ひとまずそれを脇に置いてと契りを交わしたからだ。俺はダンブルドアに忠誠を誓った。すべてを報告する義務がある。だがお前に何もかもを話す義理はないといい加減に気付いてもいい頃だ」
「セブルス」
忘れていたわけではない。だが確かに、私はそれを当たり前のことだと思い込んでいたのかもしれない。は素直にそれを認め、ごめんなさいと呟いた。
「でも……私たちの目的は、同じのはずよ。彼らのことを認めてとは言わない。あなたが彼らとはきっと永遠に反目し合うであろうことも分かってる。だけど、私たち、護りたいものは同じのはずよ。だからお願い、私を信じて。信じて何でも話してほしいの。ダンブルドアの存在は、私たちにとっては同じくらい重大なはずよ……一緒に探しましょう。避けられるはずよ。いいえ、そんなことは避けなければいけないわ。そのための方法を」
彼は黙っての眼を見据えたが、すぐに視線を逸らして毒づいた。
「そんな方法はないと、何度も言わせるな」
「だったらどうするのよ!まさか、あなた本当にダンブルドアのことを
」
「もう話はない。明日の講義の準備を済ませておけ」
ぴしゃりと言葉を切り、セブルスはさっさと自分の寝室に引っ込んでいった。慌てて追いかけたが、鍵をかけられたらしい。杖先でドアノブを叩いても、それはぴくりと動かなかった。
それからセブルスは、一度もダンブルドアやドラコのことを口にしなかった。だが注意深く見ていれば、彼がしばしばドラコの行動を密かに監視していることには気付いた。彼の詳細な計画を探ろうとしているのか、それとも本当に。
は椅子の上に座ったまま、震える声で繰り返した。
「どうして……どうしてなんですか。何かないんですか……『破れぬ誓い』を、無効にする方法は。あなたを……まさか、そ、そんなことは……」
「そうか。聞いてしもうたか」
彼はまるで天気の話でもするかのように気楽に言ってのけた。どうして、どうしてそうやって平然としていられるのか。そのことはとてももどかしかった。
「、『破れぬ誓い』は、君も知っておろうが絶対的な拘束力を持つ。どうすることもできんのじゃ。あの子には『それ』はできぬ。セブルスが生き抜くには、彼が『それ』を成すしかない」
「でも!騎士団にはあなたが必要です!あなたが……あなたがいなくなるなんて、考えられません。お願いです、探してください。あなたも……セブルスも共に助かる方法を。お願いです。騎士団には、あなたたちが必要なんです」
声を震わせて懇願したが、やはりダンブルドアは静かに微笑んだだけだった。
「騎士団を設立したのはわしじゃ。我々にとって何が必要で、また何がそうでないかは弁えておるつもりでおる」
「どうした、アルバス。またどちらかへお出かけか?」
突然声が聞こえたので振り向くと、歴代校長の一人が寝惚け眼を擦って二人を見下ろしていた。
「エバラード、ご心配には及ばぬ」
言ってダンブルドアは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「少し散歩にでも出かけようかのう、」
はダンブルドアと二人で校長室を出て、禁じられた森へと向かった。確かに誰にも
それこそ、肖像画やゴーストにさえも聞かれずに話をするには城内では不十分だった。
「、もう一度はっきりと言うておく。わしは騎士団にとって、何がより有益で何がより役立つかを常に考えておるつもりじゃ」
「……つまりあなたは、自分が死なずに済む方法を模索するより潔く殺されることの方が騎士団にとって有益だと仰るのですか」
振り向いたダンブルドアは、頭上を覆う木々の隙間から時折零れ落ちる月の光を受けてその眼をきらりと光らせた。そしてそっと、右の袖を捲り上げて黒焦げになった右腕を表す。
「どのみちわしの命はもう長くない。この老い耄れは十分に生き過ぎた
できることは、限られておるのじゃ」
「そんな……先生、話してください。その腕はどうなさったのですか。あなたが着けておられた指輪には強力な闇の魔術がかけられていたとセブルスから聞きました。それはオグデンの記憶で見たあのマールヴォロの指輪に関係するのですか?帝王はその指輪にどのような魔法を?」
「
いずれ、知ることになるやもしれぬ。だが、今はそのことは関係ない。わしはそれを、あの子に託すことを決めたのじゃ」
「……ハリーのことですか?一体何を。先生、我々には話せないことですか?どうして
私たちが信用できないと?」
「、信用できぬ者に、わしが不在の間この城を任せられるとでも思うのかね?そのようなことはあまり言って欲しくはない」
「だったら!どうして!」
ダンブルドアも、セブルスも。誰も何も、語ってくれやしない。
思わず声を荒げたに、ダンブルドアは悲しそうに瞼を伏せた。
「。君たちを信じておるからこそ、わしは迫り来る己の死を心穏やかに受け入れることができるのじゃ。死は決して恐れるべき対象ではない。君もそのことを知るべきじゃ」
の脳裏に、ぱっとシリウスの死に顔が思い浮かんだ。実際にそれを目にしたわけではない。けれどそれの様は、なぜかはっきりと彼女の瞼の裏に焼きついているかのようだった。無意識のうちに、声を張り上げる。
「どうして……死んでしまえば、何もできないでしょう!シリウスはもう、あの子を抱き締めることもできない!ジェームズとリリーは、成長したあの子の姿を見ることができなかった!詭弁です
生きていなければ、誰も帝王に止めを刺すことなんてできない!あの方は生きているから!死んでしまったら何もできないじゃないですか!」
怒りに興奮した身体は必要以上に熱を発し、は火照った顔を冷えた手のひらで押さえつけた。ダンブルドアは顔色ひとつ変えずに、そっと右手の袖を下ろした。
「君にもいずれ、分かる日が来る。だが、そうじゃ、生き残ったことが罪だと感じておるうちは、確かにそのことには気付けぬじゃろう」
「
私は……!」
知った様なことを。だがそんなことは何も言えず、は口を噤んできつく目を閉じた。一瞬吹き抜けたひんやりとした風が、後ろ髪をさらって微かに頬を撫でる。
「私は……私にとって、あなたはすべてなんです。あなたがいなければ私は……私は今、ここにこうして立ってはいられなかったでしょう。疾うの昔に命を落としていたかもしれません。今の私があるのは、すべてあなたのお陰です。あなたが私の罪を赦してくれたから……だから私は、今日まで生きてこられたのに。セブルスだって同じです。あなたは、私たちにとってのすべてです。それを……自分のこの手で、失わせろと仰るのですか?
あなたがいたから私たちは戻ってこられたのに。そのあなたを、殺せと?あなたは私たちから
残された数少ないものを、奪っていこうとなさるのですか?私たちには……あなたしか、いないのに」
「
。君には、見えておらぬものがあまりに多すぎる」
それは非難でも警告でもなかった。ただそれだけの、些細な一言に過ぎない。
「過去の罪に囚われるあまり、あまりにも多くのものを見逃しておる。忘れろは言わぬ。忘れてはならぬ。じゃが君は、もっと目を開くべきじゃ。シリウスを失ったあの日、君はそのことに気付かなかったのかね?」
頬を止め処なく伝う涙を抑えることはできなかった。ダンブルドアは左のその手で、そっと彼女の頬を撫でた。
それはあまりにも、儚い指先だった。
「そしてどうやら、混同しておるようじゃが」
彼女から手を離したダンブルドアは、その長身を僅かに屈めて言葉を続けた。
「君とセブルスは、確かに長きに渡って同じ苦難を共にし、同じものを見つめてきた。だが、忘れてはならぬ。セブルスにはセブルスの生き方がある。そしてもちろん
君には、君の。君はあくまで・であって、セブルス・スネイプではない」
「……私は!そんなことを混同するほど愚かではありません!」
「それならば良いのじゃが。時折君は、まるで彼の心を代弁するかのようにつぶさにそれを語ることがある。自分と彼とは、同じだという言い方をする」
「ええ、その通りです。私と彼とは同じ道を歩んできました。彼の感じることを自分の心で感じることもあります。それがいけないことですか」
「時には、もちろん、そのように感じられることもあるじゃろう。だが、忘れてはならんぞ。君とセブルスとが別の人間である以上、それが必ずしも真であるとは限らぬと」
言葉遊びだ。唇を引き結んで沈黙したにまた微笑みかけて、ダンブルドアはさっとローブの裾を翻した。
「さあ、もう遅い。明日に備えて、休むとするかのう」
「校長!まだ話は
」
言いかけた彼女の言葉を遮り、振り向いたダンブルドアが口を開いた。
「案ずるでない。わしにはまだやるべきことがある。それまでは、死ねぬよ」
私たちには、あなたしかいないのに、か。机の上をぼんやりと照らす明かりを見つめながら、アルバスは指先を擦り合わせる独特の仕草をして嘆息した。
「私はもう……こんなことはしたくありません!あなたは何もかもを当然のことのように考えていらっしゃるようですが、もうこれ以上……私は……」
彼は涙こそ流さなかったが、その時彼の瞳には深い葛藤の色がありありと浮かんでいた。
だがアルバスは、それを頑として撥ねつけた。
「どんなことでもすると、君のあの言葉は嘘だったのか」
彼は息を呑み、歯痒そうに唇を歪めて下を向いた。分かっている。残酷なことを言っているのは紛れもなく自分だと。彼はもう、十分にその咎を負ってきた。自分はそのことを知っている。けれど。
「わしはあの時、全力を尽くした。それなのに君は、こんな中途半端なところでそれを放棄しようと、そういうことかね?」
「それは……私は……」
分かっている。自分こそが、本当の卑怯者なのだ。彼が苦しむのは当然だ。そしてその苦しみは、彼が紛れもなく全うな人間であることの証だというのに。
「君は最後まで全力を尽くすべきじゃ。それまで、決して振り返ってはならぬ」
彼の瞳に激しい感情が燃え上がるのを真っ直ぐに見据え、アルバスは言い切った。
「もう一度言う。わしはあの時、全力を尽くした。結果がどうあれ、君はそれに応えるべきではないかね?それまでは、決して振り返ってはならぬ。立ち止まってはならぬ。すべてを終える、その日まで」
荒々しく森を立ち去った彼の後ろ姿は、やはり彼女のものとはまったく異なっていた。
同じであるはずがないのだ。同じであってはならない。
(そう思うわしは、やはりどこまでも卑怯な臆病者でしかない)
自分もまた城への道のりを辿りながら、アルバスは頭上に瞬く数え切れない星々を見上げた。
。
わしは最期のその日まで、たとえもう一方の手を失うことになったとしても。
あの子を必ず、護ってみせる。