はその夏、ウィーズリー家に居候することになった。シリウスはその遺書に、財産のすべてを名付け子であるハリーに相続すると書き残していたが、純血の血筋を何よりも誇りにしていたブラック家のことだ。屋敷には純血の一族しか所有できないという魔法がかけられているかもしれない。それを確認するまではグリモールド・プレイスに本部を置いたままでは危険だとダンブルドアが結論付け、一人で城に残ることを再び反対されたは一時的に本部となった『隠れ穴』に移ることになったのだ。
昨年度、アンブリッジに『盛大な』置き土産を残して飛び去った双子はそこにはいなかった。ダイアゴン横丁に店を構え、商売は大繁盛だという。夏季休暇が始まってすぐにやって来たグレンジャーは末のジニー・ウィーズリーの部屋で寝泊りし、は長男との結婚が決まったあのボーバトン出身のフラー・デラクールと共にアーサー・ウィーズリーの『書斎』を借りて生活していた。
「あたし、ビルと結婚するのでーす!それなのに、どうして彼と同じ部屋で寝てはいけないのか、分からないでーす」
彼女にイギリスで生活する際に必要な『常識』について教えてやってほしいというモリーからの頼みで、はよくデラクールと一緒に家事をして過ごした。だがそれは単なる口実に過ぎず、モリーがあまり好意的ではない彼女を体よく自分に押し付けてきたのだということはすぐに分かった。
どうせ他にすることもないのだから、一向に構わないが。はデラクールのことが好きでも嫌いでもなかった。適当に流していれば妙に突っかかってくることもなく、かえって扱いは楽だともいえた。
ホグワーツを去る前、ダンブルドアから話があった。セブルスもちょうど城を離れる直前で、二人は校長室で机を挟んでダンブルドアと向かい合った。
「
時は熟したようじゃ」
ダンブルドアはそう言って、机の上に置いた振り子のようなものを見ていた。
「君たちもよく覚えておろう。スラッグホーン先生を呼び戻すことにした」
は、え、と目を瞬かせ、セブルスもまたぴくりと片眉を上げた。スラッグホーン
どうして、まさか。
「もはや、何事も
誤魔化すことはできまい。子供たちには、真の防衛術が必要じゃ。君たちが……君たちさえ良ければ……もしも、やってくれるのなら」
「私は長年そのことを希望していました。もちろんです」
セブルスは動揺した素振りも見せず、即答した。目を丸くしたまま何も言えないでいるに、そっとダンブルドアの視線が向く。
「やってくれるかね?」
「……でも、どうして、今頃になって。ずっと、私たちは……」
「これまでのことがあって、分かったのじゃ。これ以上は、誤魔化すことはできぬ。子供たちには、真に闇の魔法を知る者の防衛術が必要じゃと。君たちが引き受けてくれるのなら……君たちの防衛術こそが、子供たちの望み得る最高の防衛法なのじゃ」
ずっと、そのことを考えていた。だがそれを突然目の前に提示され、当惑の方が明らかに大きかった。私が
私たちが、闇の魔術に対する防衛術の教員に?
小刻みに肩を震わせるに、セブルスは真っ直ぐ前を向いたままほとんど独白のような声で言った。
「
自分には何もできないと、そう言っていたな。それならば子供たちに『真の防衛術』を教授することこそが、今のお前にできる唯一の仕事ではないのか」
はじっと彼の横顔を見つめ、そしてようやくダンブルドアの青い瞳を見た。
七月の半ば、ハリーがダンブルドアに連れられて『隠れ穴』へやって来た時、彼がシリウスの財産を正式に引き継いでいることがはっきりしたが、はグリモールド・プレイスへの移動を許されなかった。以前は屋敷に常時シリウスがいたため、互いに相手が無茶をしないかの監視を兼ねていたのだが、今は常に本部に身を置く人間がいない。信用されていないわけではなかったろうが、いつでも騎士団の誰かの目が届く範囲にいるべきだとしては夏中をウィーズリー家で過ごす羽目になった。
食事の時間はずらしたが、『隠れ穴』で顔を合わせる時、ハリーはいつも塞ぎ込んでいる様子だった。そしてこちらの存在に気付くと、あっという間に憤怒の形相に変わる。は彼が破裂してしまう前に、さっさとその場を離れた。こんなところで面倒は起こしたくないし
彼の顔を見るのは、私自身、とても辛かった。
夏季休暇が終わり、去年と同じように子供たちよりも早くホグワーツに戻る。とセブルスは今年から二階の闇の魔術に対する防衛術の教室で授業を行う予定だったが、長年暮らしてきた地下の部屋を空けることはなかった。代わりに、いつもは闇の魔術に対する防衛術の教授が使用する部屋にスラッグホーンが入ることになった。
「今学年は新しい先生をお迎えしておる。スラッグホーン先生じゃ」
宴会の終わり、ダンブルドアが紹介するとスラッグホーンは立ち上がって満足げに会釈した。だがは、それよりもダンブルドアの右手の方が気になった。彼はすぐにその死んだような黒い手を袖の下に隠したが、どうしたってそれは子供たちばかりでなく教師陣の気までも引きつけた。間違いない
あの傷は、闇の魔術によるものだ。は横目でセブルスを見たが、彼は眉一つ動かさなかった。
「先生はかつてわしの同輩だった方じゃが、昔教えておられた魔法薬学の教師として復帰なさることにご同意いただいた」
ダンブルドアの言葉に、広間中の生徒たちがざわついた。「魔法薬?」「魔法薬?」「聞き間違いじゃ
」
まだ収まらない不審そうなガヤガヤ声に掻き消されないよう、ダンブルドアが僅かに声を上げた。
「ところでスネイプ先生は、闇の魔術に対する防衛術の後任の教師となられる」
「そんな!」
生徒席から声を張り上げたのはハリーだった。最初は呆気にとられた様子でダンブルドアを見ていたが、やがてその顔は怒りに満ちてみるみるうちに赤くなっていく。ダンブルドアは聞こえなかった振りをして、続いてを示した。
「よって、スネイプ先生の助手を務める先生もまた、闇の魔術に対する防衛術の先生となられた。これからもお二人で同じ科目を担当していただく」
スリザリンの生徒だけがしきりに拍手し、他の寮生たちはポカンと口を開けて呆然としていた。名前を呼ばれてもセブルスが立ち上がらなかったので、もまた席に着いたまま軽く頭を下げるだけにとどめる。ふと顔を上げた時、はスリザリン席のドラコがぶすっとした表情でこちらをちらりとも見ていないことに気付いた。
(……まだ、怒ってるのかしら)
仕方がないか。彼がベラトリクスの入れ知恵を信じる以上、膨れ上がった疑念はなかなか払拭できまい。
ダンブルドアはそれから城の防衛体制や制約事項遵守の旨を伝え、子供たちに宴会のお開きを告げた。もセブルスと共に席を立ち、いつものように地下室へと戻ろうと足を踏み出す。
その時、離れた席に座っていたシニストラの視線に気付いた。闇の魔術に対する防衛術の教員になってから、それまで長く腰を据えていた席を離れることになった。もう十年以上隣同士の座席だった彼女と距離を置くようになったのだ。だがこちらが振り向くとシニストラはまたすぐに顔を逸らし、足早に大広間を去っていった。
ダンブルドアの右手に関する真実は、その傷を手当てしたというセブルスもまた知らされていないようだった。ただ彼の嵌めていた金の指輪
それに強力な闇の魔術が込められていたことだけは、間違いないと。彼の右手は、もう二度と生き返らない。
「あなたにも話さないなんて
よほど大切なものなのかしら」
六年生の闇の魔術に対する防衛術の授業では、無言呪文の訓練を始めた。だがその最中に早速ハリーがセブルスと衝突を起こし、彼は新学期早々に彼の罰則を受けることになった。
鼻先だけで笑ってみせたセブルスが、デスクの上でスリザリンの書類を整理しながら顔を上げる。
「ずっと昔からそうだった
あの男は、最も肝心なことを俺には語らない」
「そんなこと……ダンブルドアはずっと、あなたを信用してきた」
は反射的にそう言い返したが、セブルスは小馬鹿にしたように笑っただけだった。
がダンブルドアからの伝言を受け取ったのは、そのすぐ後だった。土曜の午後八時、校長室で待っていると。
「土曜の午後八時?」
話を聞いたセブルスは不可解な顔をしてを見た。どうしたの、と問い掛けると、彼はまったく同じ日時に、ダンブルドアがハリーに用があるので罰則を一週間遅らせてほしいと頼まれたというのだ。
嫌な予感がしたのだ。その時に。
案の定、指定された時間に校長室に向かうと、そこには既に先客が来ていた。
「おう、先生
いや、ここでは、と呼ぶべきかのう」
ダンブルドアはにこりと微笑んだが、その眼はあまり笑っていないように見えた。ちょうどペンシーブを机の上に置いたばかりの彼の傍らで、椅子に腰掛けたハリーは困惑とも憤怒ともつかない表情でとダンブルドアを交互に見ていた。
「せ……先生、これは
一体……」
「校長。どうやらお邪魔してしまったようですね。単刀直入にお聞かせ願えますか。お話というのは、一体何でしょう」
ハリーの言葉を遮るようにして、事務的な口調で告げる。厳しい眼差しを向けるに、ダンブルドアはやはり静かに微笑んでいた。
「君には昔から、少しばかり早急に核心を求めようとする嫌いがあるのう。わしは、君たち二人に用事があったのじゃよ。たった今、ハリーには少し話をしたところじゃ」
「ダンブルドア先生!どういうことですか
どうしてこの人が、ここにいるんですか!特別授業というのは、まさかこの人も一緒に
」
「『先生』じゃよ、ハリー」
ダンブルドアは穏やかにそう言ったが、もハリーも苛立たしげにその老人を睨んでいた。どうして
今更一体、私たちを突き合わせて何をしようというのか。
「、わしは随分と悩んだ。じゃがしかし、君も『予言』という不可解なものに運命を乱された
君もまた、知るべきだと思ったのじゃ」
ハリーは眉を顰めてダンブルドアを見上げ、ははっと目を見開いた。まさか
あの予言のことで何か、分かったことでも。いや、だがしかし。
「……分かりません。一体、どうしてポッターがここに?私を巡る予言と、そして彼を巡る予言……関連があるとは思えませんが」
「そのことはわしにもよく分からぬ。じゃが、無関係だというにはあまりに関連性を帯びているようにも思える。君たちの間には、多くの共通項がある
ヴォルデモート卿との繋がり、それを表す二つの予言、それに
シリウスとのことも、ある」
とハリーはほとんど同時に身体を強張らせたが、ハリーが先手を打って荒々しく声をあげた。
「先生!どういうことですか!予言って何ですか
とヴォルデモートの繋がりって何なんですか!この人は
シリウスを裏切ったのに!」
「ハリー、あまり何度も言わせるでない。『先生』じゃ」
彼の声にはもはやあまり寛容さは残っていなかったが、ハリーははいとは言わなかった。ただ憤りに満ちた眼でダンブルドアのことを見据えていた。
「。わしはこれからハリーと共に、あの予言と大いに関係するであろう、ヴォルデモート卿を巡る記憶の旅に出かけようと思う。君はそれを知る『義務』はない
じゃが君が『君』である以上、それを知る『権利』は大いにあると思うのじゃ」
私が『私』である以上?
『私』って……一体、なに。
は下を向き、黙り込んだ。よく分からなかった。自分が、どうしたいのか。それを知りたいのか。私は予言を為された帝王の最後の血縁だ
『真実』を知る『義務』は、あるのかもしれない。
顔を上げ、は小さく頷いた。よし、と満足げに相槌を打って、ダンブルドアがポケットからクリスタルの瓶を取り出す。そしては、『それ』を覚悟した。
ダンブルドアが、何の感情も宿さない静かな瞳を再びハリーへと向ける。
「ハリー、先生はのう、君とはまったく異なる意味で数奇な運命を背負ってこの世に生まれてきたのじゃ。そしてそれは、きっと他の誰にも理解できぬもどかしい葛藤を含む」
「先生……分からないです。『先生』は、ヴォルデモートの僕だったんでしょう?どうしてそうやって庇おうとなさるんですか?何があったって
『先生』は、シリウスや先生たちを裏切って死喰い人になったんじゃないですか」
は黙って目を閉じた。何も言えない
私は何も、語ってはいけない。
だがダンブルドアは少しだけ語調を強めてそれに答えた。
「君の言っていることは確かに一つの『事実』ではある。じゃがしかし、ジェームズとリリーの息子であり、シリウスの名付け子である君にとってはそれだけの認識では足りぬように思う」
「どうして……!どうしてですか!そんなこと、関係ないです!この人は僕の両親を裏切った、シリウスを傷付けた
それだけ分かれば僕にはもう十分です!そんなことを聞かせるために呼んだのなら僕は帰ります!」
「ならぬ」
今後こそはっきりとした苛立ちを込めて、ダンブルドアが言った。立ち上がりかけたハリーが、その威勢に萎縮してそのまま椅子の上に倒れ込む。そんなダンブルドアの様子を見ているのがたまらなく苦しく、はどうでもいい心地で叫んだ。
「先生!もう構いません
ポッター、教えてあげるわ。私は闇の帝王の血を引いている
あのお方は、紛れもなく私の祖父よ。だから私は死喰い人になった。どう?これで満足?」
ハリーは度肝を抜かれたような顔をしてを見た。彼が次に口を開くよりも先に、ダンブルドアが彼女のあまりに端的過ぎる説明を引き継いだ。
「ハリー、もちろん今の彼女の言葉だけでは『真実』を語るに乏しい。じゃが、今日はもう遅い
今は先に、こちらを済ませよう」
そしてダンブルドアはクリスタルの瓶の蓋を取ろうとしたが、傷ついた右手がひどく痛むらしい。開けましょうかとが声をかけると、彼は大丈夫といって左手で取り出した杖先で瓶を軽く叩いた。ポンと音を立ててコルクが飛び、彼はその中の銀白色の記憶をペンシーブに流し込んだ。
「ハリー、先にお行き」
立ち上がったハリーは、射るようにを睨み付けてから前屈みになってペンシーブの中に落ちていった。ダンブルドアが軽く顎を引き、もまた彼を追って渦巻く記憶の中へと飛び込む。
彼らが落ちたのは、鮮やかな青い夏空の下に広がるとある田舎道の上だった。