モリーはが本部に戻ってきたその翌日には帰ってきた。また夏季休暇のように任務の合間に立ち寄る騎士団員も多く、がシリウスと二人きりで過ごしたのは結局あの夜の夕食時だけだった。

「あー疲れた!聞いてよ、また今日もスクリムジョーアの奴がさ    

厨房のドアを勢いよく開けて入ってきたトンクスは、食卓に着いたを見て「げっ」と呻いた。彼女はそんな自分の口を慌てて押さえつけたが、と一緒に食事をしていたリーマスは窘めるように彼女を見やる。「いいわよ」と投げやりに呟いて、は静かに温かいスープを口に運んだ。

闇祓い本部のルーファス・スクリムジョーアはシャックボルトやトンクスにダンブルドアとの繋がりに関して疑いを持っているらしく、まるで彼らを試すようなことをしばしば聞いてくるといってトンクスがよく愚痴を漏らしていた。けれど今のには、そういった悩みがあることすら羨ましかった。
私には何もできないから。こうして彼らのように、『忠誠の魔法』に護られた屋敷に閉じこもっていることしかできないから。もどかしい。歯痒くてたまらない    

ずっとこんなところに縛られて。しかも彼は、ブラック家というしがらみを子供の頃からとても嫌っていた。こんなところにずっと閉じ込められて、どれだけ辛い思いをしていることだろう。
霞んできた視界を瞬きで凝らし、は空になった食器を重ねて一人で早々に席を立った。私にはまだ、この屋敷でできることがある。
「シリウス    少し、話があるんだ」

    なんだよ。苛々と頭を掻き、シリウスはベッドから身体を起こした。開いた扉から薄暗い室内に光が差し込み、それを背に現れたリーマスは隠しもせずに顔を顰めた。

「不健康じゃないか。明かりもつけずに、閉め切った部屋で」
「何の用だよ」

ぶっきらぼうに問い掛けると、彼ははあと大きく嘆息してちらりと壁の写真を見やった。

「それじゃあ用件だけを伝えるよ。君たちは一体いつになったら私を安心させてくれるんだい?」

思わず眉根を寄せ、シリウスは腰を下ろしたベッドから身を乗り出して叫んだ。分かってる、ムーニーに心配ばかりさせていることには気付いているんだ。でも。

「放っとけよ!どうせ無理だったんだ!十二年も離れてた俺がスネイプに敵うはずがなかった    だからもう俺たちのことは放っといてくれよ、もうどうにもならねえんだ!」

歯痒くて、悔しくて。もどかしくて。たまらなくなって、シリウスは痩せ細った両手で顔を覆った。泣いていたわけではない。ただ込み上げてくるものをごまかそうとして必死に歯を食い縛った。
リーマスがそっと、彼の隣に腰掛ける。

「……そうだね。彼女とセブルスの関係に、私たちは到底敵わない」

ぽつりと彼はそう言った。はっとして顔を上げると、リーマスはやはり壁に貼られた古い写真を見ていた。輝かしかった、あの頃。満面に笑みを浮かべたジェームズは、誇らしげに笑っての肩に右腕を回していた。そう、あいつにとっては俺たちすべてが最高の誇りだった。そのことが、シリウスにとってもまた何よりの自慢だった。

「彼女はヴォルデモートの許にいて、どんなことがあってもいつだって彼と一緒だった。何もかもを共有できたと思っていたはずの私たちですら、セブルスには決して勝てない」
「……そんなことを、言いにきたのか」
「だけどね、シリウス。君は分かってるはずじゃないか。それでも君は、彼女を求めているんだろう?だから心を決めて彼女にあの指輪を渡したんじゃないのか?それは彼女だって同じだ。君たちは、確かな愛でつながっている。彼らの    とセブルスの間には、それがない」

彼の言葉にシリウスは思わず目を見開いたが、すぐに思い直して下を向いた。構わず、リーマスは続ける。

「彼らの間には確かに私たちにはとても敵わない強い絆がある。それは私にもよく分かる。でもそれは、一種の盟約のようなものだ。彼らは共に闇の時代を戦ってきた    そういった意味での、盟友なんだろう。彼らは愛でつながっているわけじゃない。彼女は、君を愛してるんだ    どうしてそのことが分からない?」
    じゃあ、お前に一体何が分かるんだ!」

こらえきれなくなって、シリウスは振り解いた拳を背後の壁に叩き付けた。

「あいつが    が、何もかもスネイプに曝しているのを見るのがどれだけ苦痛か、お前に分かるか!あいつが俺にも見せないものを他の誰かに見せてるって分かるのがどれだけ辛いか    分かってたまるか!俺は子供の頃からずっと、そのことがたまらなく嫌だった!」

涙を流していることに気付いたのは、火照った頬が濡れるのを知ったからだ。リーマスはしばらく無言のまま、じっとシリウスを見ていた。だがようやく、心を決めたらしい。ひどく哀しそうな顔で、囁くように言った。

    気付いていたよ」

そう、とても。寂しそうに。そしてとても、懐かしむように。

「リリーもそうだったね。君も彼女も、ジェームズとのことがとても大好きだった」

知っていた    リーマスはこんなにもはっきりと、そのことを知っていた。

「だけどあの二人は、私たちにも羨ましいくらいの深い絆で結ばれていたからね。きっと他の誰も敵わなかったろう」

その通りだった。初めてのホグワーツ特急で出逢ったは、もっと幼い頃から彼を知っていたシリウスよりも、まったく異なる角度からジェームズの心に深く入り込んでいった。しかも、あっという間に。初めは驚きの方が大きかった。それはやがて、嫉妬へと変わった。あいつのことをより知っているのは、紛れもなく自分だ。それなのに、いきなり横槍を入れてきて俺から何もかもを奪っていこうとする。子供心に、そんなことを強く思った。
けれどすぐに、俺は彼女自身にもひどく引き付けられるようになった。彼女の黒い瞳は好奇心に溢れ、俺の心を掴んで離さなかった。グリフィンドール寮でも取り分け有名だったあの二人は、共にシリウスにとって掛け替えのない存在へと変わっていった。

だからこそ、葛藤も大きかった。ジェームズは好きだ。のことも好きだ。けれど二人が自分には分からない目配せで示し合わせたように笑い出すのを見ているのは激しく彼の嫉妬心を煽った。だがそのどちらも好きでいる以上、そのどちらを憎むこともできない。だからこそ、胸を掻きむしるような葛藤は大きかった。

あの頃から、たまらなく嫌だった。大好きなジェームズが俺の知らないあいつを他の誰かに見せるのも、大好きなが俺の知らないあいつを他の誰かに見せるのも。
しかもそれが、子供の頃から大嫌いだった    スネイプに、だなんて。

どうしてそんな屈辱に耐えられる?

「それでも君は、を選んだんだ。女の子はホグワーツにもたくさんいた。でも、他の誰でもない    を」

言って、リーマスはそっと瞼を伏せた。何かを思い悩んでいるようだった。だがやがて、静かに目を開けて、意を決したように口を開いた。

「……確かに彼女は、セブルスと一線を越えた間柄になったそうだ」

ああ……そんなこと、もう、聞きたくない。

「でも、シリウス。聞いてほしい。彼女はセブルスと交わるのをやめた    君の脱獄のニュースを、聞いてから」

え、と、思わず声を漏らしそうになった。目を丸くして、呆然とリーマスを見やる。

「そしてこれは……彼女から直接聞いたわけではないけれど。きっと、彼女が彼と関係を持つようになったのも……恐らく、君が投獄されてからだろう」

そんな。だってあいつはあのとき、スネイプとの関係を否定しなかった。

「それだけで、君には十分なんじゃないか?彼女は闇の世界に堕ちても、ずっと君への操を守り通したんだ。終身刑を下された君は私たちにとって死んだも同然だった。その君への想いを十年以上も貫き通せなんて……そんな残酷なことは、とても言えやしないだろう」
「………」

そんなこと。だって、あいつは。俺は。

「……俺は」

言いかけた言葉を、リーマスは軽く手のひらを上げて遮った。

「私には、何も言わなくていい。言いたいことがあるのなら、それは直接彼女に伝えてあげればいい」

それじゃあ、私はもう行くよ。そう言って立ち上がったリーマスを、シリウスはぼんやりとした意識の中で見送った。
彼女に言いたいこと。伝えたいこと。
それは直接、彼女に伝えてあげればいい。

彼女に言いたいこと。伝えたいこと。
そんなもの、俺にはもう。
「……やっぱり」

これしかない。は膝の上で広げた本を眺め、人知れず呟いた。

彼女は相変わらずレグルス・ブラックの部屋に入り浸っていた。だが以前のようにただ闇雲に手掛かりを探していたわけではなく、既に手に入れた『それ』への確信を得るために同じ本を繰り返し読み耽っていた。間違いない。これしかない。
手にしていたのは    『最も恐ろしい、闇の魔法』。

ホグワーツには、禁書の棚にすら置いていなかった。最も強力な魔法薬、最も高度な変身術、最も困難な呪文学、最も難解な……この手の書籍は、まず間違いなくホグワーツの図書館にある。けれど、これだけがなかったということは。やはり何らかの意図的なものを感じる。
そっ、と捲ったページに指先を這わせ、は目標の項目を見た。

これだ    これしかない。

これならば、彼がマグルの死体を大量に欲していたことも頷ける。そして    あの意味深な一言も。

次に顔を合わせたら、ダンブルドアにこのことを話そう。気付いていないはずがない。それならばもしかしたら、あの人は既に    

その時突然部屋のドアが開いて、は手にした本を脇に置いた。

現れたシリウスは、ここしばらく見せたことのなかった決然とした面持ちを見せていた。