日が昇るよりも早く、は本部に移動した時と同じように、ムーディ、リーマスに付き添われてホグワーツへ戻った。あの頃は何ともなかったのに、今では姿現しを数回繰り返しただけでどっと身体中に疲労が付きまとう。
そんなを見て苛々と舌打ちしたムーディに、リーマスはたしなめるように視線を送った。
「少し休憩しよう。あなたも疲れているでしょう」
「ふん。この程度のことで……随分と落ちぶれたものだな、」
「仕方ないだろう、マッド-アイ。彼女は普通の身体じゃないんだ」
鼻で笑い、蹲って呼吸を整えるに背を向けてムーディが周囲を慎重に警戒する。腰を折ったリーマスは彼女の背を撫でてそっと声をかけた。
「大丈夫かい?やっぱり、ダンブルドアの言うように、しばらくは休職して本部に戻った方が 」
「嫌よ。私はホグワーツに戻る。二ヶ月も、ずっとあんな所で我慢したんだから」
私が一度言い出したら聞かない女だと、彼はよく知っているはずだ。リーマスは小さく嘆息しただけで、それ以上はきつく言ってこなかった。
脈拍が落ち着いてきたところで、ありがとうと告げてゆっくりと立ち上がる。それからさらに六回姿現しを繰り返して、彼らはようやくホグワーツに着いた。森の向こうから、間もなく朝日が昇ろうとしている。
「大きな問題もなくて良かった。、身体には十分気をつけて」
「ええ リーマス、あなたも」
そっと差し出された彼の右手を握り、袖から覗くその肌が傷だらけであることに気付く。彼はそれを隠すようにすぐ両手をローブのポケットに入れると、力なく微笑んでみせた。
「ああ、それから」
少し離れた所で不機嫌そうにこちらの様子を窺っているムーディを気にしながら、リーマスが声を低めて言った。
「またしばらく会えないだろうから、言っておくけれど」
は何となくその先を予想して眉を顰めたが、黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「 。生きている限り、誰かを傷付けたり、傷付けられたり。そういったことはきっと避けられない。裏返せば誰かを傷付けたり、傷付けられたりすることこそが、生きている証じゃないか。それを私に教えてくれたのは、、君だよ。だからきっと、ハリーとのこともシリウスとのことも、逃げ出さずに向き合ってくれると信じている」
彼はそう言って、少しだけ懐古を含ませた唇を緩める。
「『守りたいものがあるからこそ、人は強くなれる』んだろう?」
「ああ……」
はさり気なくリーマスから視線を逸らし、軽く頭を振った。
「あれは……私じゃない、『彼』が言ったことなの。だから、私の言葉じゃない」
怪訝な顔をされるかと思ったが、彼はそれだけで理解したらしい。にこりと微笑んで、優しく彼女の肩を叩いた。
「そうかもしれないと思ったよ。でも、昨日君はそれを自分の言葉として発したんだ。『彼』が君に伝えた言葉なのかもしれない。でもそれは、君の言葉としてあの場にいた全員に響いたんだよ。だからもう、あれは君の言葉だ。自分の言葉には責任を持つんだ」
私の言葉。
彼から貰った、あの言葉。
私の口から伝えれば、それは 私の、言葉になる。
そうしてあの言葉もまた、世代を越えて受け継がれてきたのかもしれない。
もう一度そっとの肩を叩いて、リーマスは彼女に背を向けた。
「戻ろう、マッド-アイ」
するとムーディは振り向きもせずにあっという間に姿くらましした。それを追うように、ポンと音を立ててリーマスの姿も校庭から消え去る。
眩いほどの、太陽が昇る。
震える肺に溜め込んだ空気をゆっくりと吐き出き、もまたひとり、踵を返して歩き始めた。
また一年が始まる。
だが、いつもの退屈な一年ではない。帝王がこの国に戻ってきた 勝負の、年になる。
「いざ、前進しようではありませんか。開放的、効果的、かつ責任ある新しい時代へ」
それだというのに。
気のない拍手を数回鳴らし、テーブルの下で苛々と爪を弾く。
ファッジの送り込んできた女が闇の魔術に対する防衛術の教授に就任するという時点で容易に予測できたことではあるが、この場でああまで公言されては。進歩のための進歩は奨励されるべきではない。保持すべきは保持し、正すべきは正し、禁ずべきやり方と分かったものは何であれ切り捨てる。
『陳腐化し、時代遅れとなったもの』を押さえ込むために来た。
(これ以上、厄介な……)
ダンブルドアが宴会の終わりを告げ、子供たちがざわざわと引き揚げていく。戻るか あいつに、また数回分の薬を作ってやらなければ。ダンブルドアに報告もある。
シニストラは彼女の見舞いに行こうかと言ったが、丁重にお断りを入れておいた。彼女はもう何年もと親しくしているが、今は誰にも会わせない方が良い。少なくとも、あの薬が完成するまでは。
だから言ったんだ しばらくは休めと。だがあいつは、断固として休職の『勧め』を受け入れなかった。
帝王、闇の陣営。ダンブルドア、 それに、魔法省。騎士団内部にも厄介な問題を抱えているというのに。
嘆息し、マントを翻して立ち去ろうとした彼の許へ、ピンクのカーディガンを羽織った例の魔女が現れた。
「これはこれは 確か、魔法薬学のセブルス・スネイプ教授でいらっしゃいますね?」
彼はぴたりと足を止め、悠然と振り向いて唇を開いた。
「左様」
「ご挨拶が遅れましたわ。わたくし、魔法省で上級次官も兼ねておりますドローレス・アンブリッジと申します」
「存じ上げております」
儀式めいた作り笑いでそう名乗る相手に負けないほどの冷ややかな笑みを浮かべ、言葉を返す。アンブリッジの背後に、唇を引き結んでこちらをちらりと見やるマクゴナガルの顔が見えたが、気付かない振りをして彼はアンブリッジの飛び出した両目を直視した。ただそれだけのことで、女がこれから言わんとしていることを悟る。
果たして、アンブリッジは予測通りのことを言ってきた。
「お話は伺っておりますわ。ところで あなたの助手だという、助教授のお姿が見えないようですが?」
「彼女は数日前から体調を崩していましてね。今は部屋で休ませてもらっています」
「あら……でも、一年で最も大事な第一日目ですよ?それをお休みなるなんてよほどのことでは?聞いた話によると助教授は、夏季休暇中からまったく人前に姿を見せられていないとか?」
「 校長からお聞きでしょうが、彼女は昨今吸血鬼の牙の研究に取り組んでおります。休暇中はずっとその研究でホグワーツに籠もりきりだったはずですが」
すらすら答えるセブルスを見て、アンブリッジはガマガエルのような大きな唇をにたりと歪めて笑った。
「 まあ、良いでしょう。彼女が『本当に』部屋にいらっしゃるのなら、お大事にとお伝えください」
「ええ、『必ず』お伝えしますよ」
『丁重に』一礼し、踵を返したアンブリッジが大広間を立ち去っていくのを見据える。彼女の姿が完全に見えなくなってから、彼は広間をざっと見渡した。まだ子供たちの出入り口は混み合っていて騒々しい。あの連中の中に、アンブリッジの演説を真に理解した者が一体どれほどいるか。そんなものはまったく期待していないが。
アンブリッジは、あのアイビス・プライアが研修時代によく面倒を看ていたという。ファッジの補佐で、プライアの知己
状況は、最悪といえる。せめて彼女が自制してくれるのを望むばかりだ。
だが、彼女は呪いのこともあり、さらにあの男とのこともあり 非常に不安定になっている。アンブリッジと顔を突き合わせれば、どれだけ理性を保てるかは怪しい。
一刻も早く、あれを完成させなければ。
重苦しい頭を二、三度軽く振り、今度こそ彼は大広間を後にした。