目覚めるとそこは、墨色の闇だった。
否。うつ伏せに眠り込んでいたは、軽い呻き声とともに首を回して自分がどこにいるのかを確認した。特有の薬品の臭い。しんと静まり返った無人の医務室だった。
意識の回復と同時に痛みを感じた左腕を押さえながら、石のように重たい上半身を起こす。室内のランプは光量を落としてあったが、十分に視界が利く程度だ。息を潜め、奥のオフィスに感じる校医の気配が近付いてこないことを確かめてから、は慎重に医務室を後にした。
どくどくと高鳴る鼓動は、この左腕の痛みを反映しただけのものだと思いたい。
ローブの上からきつくその部位を掴み、爪を立てる。止まない激痛を紛らわすように、皮膚の繊維を握り潰さんばかりに。
(あの子はどこ……ディゴリーは、無事に……)
働かせようとした脳にまでほんの一瞬鋭い痛みが走り、集中力が途切れる。考えるだけ無駄だ。どのみち痛みを抑える術がないのなら、ダンブルドアのもとへ戻るしかない。
だが競技場へと急いだ彼女は、そこにはっきりそれと分かる不穏な喧騒が渦巻いていることに気付いてスタンドの手前で足を止めた。甲高い女子生徒の悲鳴、泣き叫ぶ声。子供たちの啜り泣く音がそれだけで何かの下手な演奏ででもあるかのように鼓膜を打つ。
乱れた呼吸を整えようと大きく息を吸い込んだが すぐにそれを断念し、は勢いよく右足を踏み出した。一気に競技場の中へと駆け出し、何かに群がるようにして芝生の上に集まっている審査員や教師、生徒たちの後ろで立ち止まる。誰もが気が狂ったように狼狽え、錯乱しているように見えた。
「なに……一体何が起こったの!」
声を荒げるも、辺りの喧騒に掻き消されて散っていく。誰も彼女の言葉には振り向かない。
は周囲を見回し、ダンブルドアの姿を探した。セブルス。もしくはムーディでもいい。だがそのうちの誰も、少なくとも識別できる範囲にはいない。
苛々と舌打ちし、は身体の向きを変えて駆け出した。息切れする肺を絞り出すような心地で走り続ける。いや、左腕の激痛を忘れるにはこれくらいがちょうどいいかもしれない。どちらの負担で意識が遠退きそうになるのか、分からなくなるから。
競技場の隅に立ち尽くしたまま目を真っ赤に腫らしておろおろ泣いているハグリッドの前方に回り込み、は彼がこちらの存在に気付くよりも先に激しい口調で捲くし立てた。
「ハグリッド、一体何が起こったの!この騒ぎは一体何なの!」
「……!お前さん、見てなかったのか?お、俺も何がなんだか……だがディゴリーが……ディゴリーが、し、死んじまった、とか……分かんねえ、俺にも何がなんだか分かんねえんだ!」
ディゴリーが。死んだ?
呆然と口を開き、彼の胸倉を掴んだ手のひらから嘘のように力が抜け落ちていくのを流れのままに任せる。
あっという間に目の前の景色が消え、鼓膜を叩き付ける周囲の喚き声までもが霞へと化ける。
夢に見た光景を見据えながら、彼女は繰り返した。
「……ディゴリーが、死んだ?」
「そ、そうだ……さっきハリーと一緒に戻ってきたんだ……ハリーもボロボロで……ディ、ディゴリーが死んじょるって……今あそこで大泣きしちょるんがディゴリーの親父さんで……ディゴリーは……あ、あ、あそこで……あそこに……」
震える人差し指で、ハグリッドが迷路の入り口に群がる人混みを示す。も彼の視線を追って数秒ほどは吸い寄せられるようにその固まりを見つめていたが、左腕の痛みが意識を呼び戻してくれた。そうだ、今は情に立ち止まっている場合ではない。
彼の服を放した両手できつく拳を握り締めながら、は続けて詰問した。
「ハリーはどこ!ダンブルドアは!」
「ハ、ハリー……ハリー、お、俺には分かんねえ……ただ、ダンブルドアはあそこから出て行くのが見えたような、そんな気も、しねえでもねえ……」
尻すぼみに答え、ハグリッドの指先がそのまま競技場の出入り口の一つを向く。は礼も言わずに再び走り出した。ダンブルドアがあの子を一人にするはずがない あんなことがあった後で、彼をひとりにさせるはずがない。
城への道のりを息もつかずに駆け抜けたは校長室に走ったが、その途中で通り過ぎた絵画の修道士にダンブルドアはムーディの部屋に向かったと教えられた。
「……そう、ありがとう」
「いいえ。それより先生、随分顔色が悪いですよ。一体どうなさったんですか?」
「平気よ、それじゃあ」
愛想笑いを浮かべるのも限界だった。引き攣った頬の筋肉でようやく口角を一瞬上げてから、すぐさま駆け出す。左腕の痛みがひどい。もう駄目だ。いや、まだだ。
込み上げてきた嘔吐感を舌で押し込めながら、ムーディの研究室へと急ぐ。
ディゴリーが死んだ 一体どうして。事故としか思えない。巻き込まれたのだ。死ぬはずではなかった。死ぬ必要など、どこにもなかった。
死なせた。戦いの渦中に立っていたわけでもないのに。静かなこの城の中で、友人たちと共に学ぶ生活が当然保障されていたはずの青年が。
また死なせた。死ぬ必要のない無垢な魂を。
いつだって、死ぬべき人間はこうして生き残ってしまうのに。
本当に死ぬべき人間こそ、いつだって死に損ないだというのに!
「校長 」
大声で呼びかけながらムーディの部屋に飛び込む。
視界に飛び込んできたのは、あまりにも異様な光景だった。突然の闖入者に驚いてその場にいる全員がこちらを振り向いたが、奥の床に跪いたダンブルドアの正面に、見知らぬ男がだらりと力なく座り込んでいる。セブルスとマクゴナガルは扉のすぐ側に立ち、青ざめたハリーは彼らから少しだけ離れたところに呆然と立ち竦んでいた。薄茶色の髪の男の傍らでは、屋敷しもべ妖精がさめざめと泣いている。
「お前……どうしてここに」
顔を顰め、吐き棄てるようにセブルスが言ってきた。あっさりとそれを無視し、部屋に一歩踏み込んでダンブルドアに問い掛ける。左腕の痛みは疲労と相まって限界を通り越そうとしていたが、彼女は義務感だけでなんとか意識を保った。
「その男は、一体……ムーディは、どこですか。彼に、城の周囲を調べてもらった方が……」
すると。
だらしなく敵鏡に凭れ掛かっていた男が突然ぱっと顔を上げて、その色白の頬に狂気じみた暗い笑みを浮かべた。
記憶のどこかに眠っている、そういった類の悪意。
それが忌まわしい古傷の一つだと気付くには、さして時間はかからなかった。瞬時に、悟る。男の足元に転がった義足の残骸。床に落ちている携帯用酒瓶から零れ出た、濃厚な液体。この臭いは。
男はそれが久方ぶりだと分かるほどに嗄れた声で だがそんなことはまったく気にも留めない様子で高笑いした。
「ははははっ!俺の顔を忘れたか、え、?スネイプは俺を見て一目で分かったぞ……あのお方に大切にされているとでも思って他の死喰い人のことなど気にもしていなかったか!え?だが所詮お前は道具に過ぎない。あのお方は真に忠実な死喰い人が誰なのかご存知だ。この俺を、たったひとり信頼していらっしゃる!この俺だけが!」
男に向き直ったセブルスの横顔が忌々しげに歪む。はぞっと身震いしながら、まだ記憶の淵に漂うその名を呪詛のようにつぶやいた。
「……バーティミウス・クラウチ……」
死んだと思っていたのに。
ずきんと脳裏に鋭い痛みが走ったのは、きっと嫌悪感のせいだろう。歯噛みし、彼女は男の顔にますます不気味な笑みが広がっていくのを見ていた。死ぬべき人間というのは、結局のところどうしたって死に損なう運命にあるのかもしれない。だとすればこの世界は、決して救われない。
死ぬべき人間は、やはり死ぬべきなのだ。
「お前の印を見せろ」
見せ付けるようにしっかりと眼球を開き、嬉々としてクラウチが言ってくる。歯噛みし、ローブの上から左腕をきつく握りながらは荒々しく言いやった。
「あなたに命じられる筋合いはないわ」
再び声をあげて笑い、クラウチの濁った瞳がぐるりと頭上を一周してまた楽しげにこちらを向いた。
「 見せろ」
ゆっくりと、繰り返す。
僅かに振り向いたダンブルドアがほんの微かに頷いたので、は苛立ちを示すつもりで嘆息しながらようやく左の袖口に触れた。不快な脈に浮かされ一瞬躊躇するも、少しずつ。伸ばした袖を持ち上げていく。
恐怖に凍りついたマクゴナガルが、青ざめた顔でこちらを凝視した。セブルスは諌めるような眼差しで振り向いたが、結局は何も言えないまま口を閉ざす。ハリーは意味が分からないといった様子で呆然と眼を見開き、クラウチはニヤニヤと笑いながら自分もくたびれたローブの袖を捲し上げた。
黒く浮き上がった彼の髑髏がその袖の下から現れると同時 三度クラウチが、高らかに笑い出す。
痛みが殊更激しくなったように感じて思わず下を向いた、その時。
そこでは、初めて見た。自分の皮膚に焼き付けられた髑髏が、十三年ぶりに いや、それ以上に深く、色濃く燃え上がり確かにそこに在るのを。
クラウチの甲高い笑い声だけが耳につく。
「痛むか!苦しいか!お前の印には特殊な呪いがかけられている……あのお方が力を取り戻したその時、あのお方のもとに戻らざるをえなくなる呪いをな!その痛みからお前を救えるのは帝王だけだ!お前は単なる道具だが使い道はある!苦しいのなら今すぐ帝王のところに戻れ、あのお方はお前を欲している!お前はどのみち逃げられないんだからな!」
黙れ。
黙れ黙れ黙れ。
黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。
機械的に、ただそれだけを繰り返す。鼓膜の機能は失われ、眼前に広がる光景までもが色を失っていく。
大きく開いたクラウチの口腔の緋色が世界を埋め尽くした。
お前を救えるのは帝王だけだ。
お前はどのみち逃げられないんだからな。
お前を救えるのは。
救えるのは。
救う。
救う?
そんなことが可能なのか。
穢れ切ったこの手が救われる道など、有り得るのか。
だとすれば、それは。
(帝王だけだ)
(お前を救えるのは帝王だけだ)
闇の帝王。
私の最後の血縁。
ひょっとして、彼ならば。
闇の中では無音の悲鳴をあげた。
また知らないうちに医務室に運び込まれたらしい。目覚めてみれば意識を失う前の自分がいかに気違いじみた行動をとっていたかを思い出して実に情けない心地になった。だがそんなものは、ベッドの周囲に巡らされたカーテンの向こうから聞こえてきた怒声にすぐ吹き飛ばされた。
「痴れ者!」
声は、マクゴナガルのものだった。今まで彼女が一度も聞いたことのない、燃え上がるような憤りが炸裂した叫び。
「セドリック・ディゴリー!ミスター・クラウチ!この二人の死が狂気の無差別殺人だとでもいうのですか!」
「反証はない!」
息巻いて怒鳴り散らしたのはファッジだ。彼は息もつかずに捲くし立てた。
「どうやら諸君はこの十三年間我々が営々として築き上げてきたものをすべて覆すような大混乱を引き起こそうという所存だな!」
なるほど……ファッジは帝王の復活を認めないつもりか。上に立つ者として魔法大臣就任当初から力不足だった彼には到底対処しきれない事態なのだからそれは十分に有り得ることだ。は頭痛のように絶え間なく痛む左腕を押さえつけながら息を潜め、ダンブルドアがアズカバンから吸魂鬼を解放し、巨人に使者を送るようファッジに諭すのを聞いていた。だがまったく聞き入れようとせず「狂気の沙汰だ」と叫び出す彼に、とうとう耐え切れなくなって自らを隔離するカーテンを引き剥がす。
空のそれをいくつか挟んで向こう側にあるベッドを囲む面々はの予想を上回るほどに多かった。ダンブルドア、ファッジ、セブルスにマクゴナガル。ベッドに横たわったハリー。グレンジャー、ウィーズリー、卒業生のビル・ウィーズリー、去年の夏に一度だけ顔を合わせたウィーズリー夫人、ポンフリー。全員カーテンの音に気付いて一斉にこちらを向いたが、誰もが憤りや戸惑いの表情を見せていた。
取り分け、ファッジの血の気がすーっと引いていく。
「どういうことですか……大臣。バーティミウス・クラウチにお会いになられなかったのですか……あの男は、帝王の復活に手を貸したのですよ。この一年、ずっと我々の研究室は盗難被害に遭っていました……ポリジュース薬です、クラウチが……あの男が、ムーディに 」
「ああ、もうたくさんだ!」
握った拳を振り回し、顔を真っ赤にしたファッジが唸った。
「まったくこの学校の人間は誰も彼も……有り得ない!それは狂ったクラウチが 」
唾を散らすファッジの言葉を遮ったのは、ノックひとつですぐさま医務室のドアを開けて入ってきた女だった。は瞬時に上半身を起こし、歯噛みしながらその人物を睨み付ける。取り澄ました冷ややかな笑みを浮かべたプライアは、優雅な足取りでファッジの傍らまで歩いていった。
「おう、おうアイビス!異常は何もなかったのだろうな!」
「はい、大臣。ご連絡を受けてからすぐに迷路周辺と校庭内は綿密に調査いたしましたが、何の異常もありませんでした」
「わしはホグワーツ内の調査など許可してはおらぬ、プライア」
ダンブルドアが厳しい口調で告げると、プライアはようやく彼の存在に気付いたとでもいわんばかりに僅かに驚いた素振りを見せてから丁寧に一礼した。
「お言葉ですが、ダンブルドア。我々魔法法執行部は警察組織です。ファッジ大臣からホグワーツの学生が殺害されたとの報告を受けましたので、その捜査権を執行したまでのこと。確かに許可を頂かなかったことは大変申し訳ないと思っていますが、それでも責められる謂われはありませんね」
まったく悪びれた様子もなく言ってのけるプライアに、ファッジ以外の全員が一斉に顔を顰めた。ファッジだけは自慢げに踏ん反り返り、プライアの言葉の続きを待っている。
彼女は一度ハリーのベッドの周りの面々と こちらへの一瞥も忘れず、最後にダンブルドアに向き直って静かに言った。
「失礼ながら、あなた方のお話は聞かせて頂きました。私も大臣と同意見です。あなた方の主張には無理があります」
「……どう無理があるというのかね、アイビス?」
「たった今申し上げた通り、我々は校庭内と迷路を念入りに調査いたしました。異常は一切見られません」
「それは僕らが移動キーで別の場所に運ばれたからだ!全部そこで起こった!あいつの父親の墓場で!」
「優勝杯は既に移動キーではありません。それをどうやって証明できますか?」
耐えかねた様子で声を荒げたハリーに、プライアは冷たく問い掛ける。彼が唇を引き結んで眉根を寄せている間に彼女はさらにあとを続けた。
「それに、バーティの……バーティミウス・クラウチの、変わり果てた姿を見ました。あまり言いたくはありませんが、彼はアズカバンで過ごした人間です。たとえ脱獄できたとしても気が触れてしまっていた可能性は十分にあります。仮に真実薬で彼が例のあの人に命を受けていたと証言したのだとしても、大臣のおっしゃる通り、それは単なる妄想でしょう。何の証拠にもなりません。あるのはただ」
言いながら、プライアは色のない眼差しでじっとハリーを見やる。
「 その少年の証言、ただそれだけです」
「僕は見た!ヴォルデモートが復活するのを 死喰い人だって何人も見たんだ!」
「世間は子供ひとりが例のあの人の復活を叫んだところで誰も信じたりはしません」
ハリーの怒声を打ち消すようにはっきりとした口調で、プライア。ファッジは心強い味方ができたとばかりに自慢げな顔付きだったが、ダンブルドアがめらめらと燃え上がる青い瞳で見据えるとびくりと身じろぎしてプライアの後ろへ半歩だけ引いた。プライアだけはまったく怯む様子を見せないが。
「目を瞑ろうという決意がそれほど固いのなら」
ダンブルドアの声は、淡々としたものだった。
「袂を分かつ時が来た。あなたたちはあなたたちの思うようにするといい。そしてわしは わしの考えるように行動する」
威圧的な響きは何もない。ただ宣告するためだけの、言葉。
だがファッジは顔中を火照らせ、立てた人差し指を脅すように振り怒鳴った。
「いいか、言っておくがダンブルドア、私はいつだってあなたの好きなように、自由にやらせてきた!あなたを非常に尊敬していたのだ!あなたの決定に同意しかねる時でも何も言わなかった!魔法省に何の相談もなく狼人間を雇ったり、ハグリッドをここに置いておいたり生徒に何を教えるのか好き勝手に決めたり……そうしたことを黙ってやらせておく者はそう多くはないぞ。あんな記事が出回った後でがまだこの学校にいられるのは誰のお陰だと思っている?我々がそうなるように働きかけたからだ。だがあなたがその私に逆らうというのなら 」
「わしが逆らうのは、ただひとり」
ダンブルドアは静かに、だが決して聞き漏らす者の誰もいない明瞭な声で告げた。
「ヴォルデモート卿じゃ。あなたもあやつに逆らうのなら、コーネリウス、我々は同じ陣営じゃ」
はベッドの上で左腕を押さえながら息を殺してファッジの反応を待った。ファッジはしばらく言葉に窮して身体を前後に揺すっていたが、やがて弁解がましい口調でこう言った。
「戻ってくるはずがない、ダンブルドア。そんなことは、有り得ない……」
すると。
セブルスが疲れた様子でダンブルドアの前に進み出た。左の袖を捲り上げ、そこにある腕をファッジに見せつけながら、告げる。の位置からその髑髏は見えなかった。
「見ろ、闇の印だ。一時間ほど前には黒く焼け焦げもっとはっきりしていた。だが、今でも見えるはずだ。死喰い人はみなこの印を闇の帝王によって焼き付けられている。互いに見分ける手段でもあり、我々を招集する手段でもあった。あのお方が誰かひとりの死喰い人の印に触れた時は全員が姿くらましし、すぐさまあのお方の下に姿現しすることになっていた。この印が、今年になってからずっと鮮明になってきていた。カルカロフのものもだ。奴がなぜ今夜逃げ出したと思う。我々は 我輩もカルカロフも、もみなこの印が焼けるのを感じたのだ。我々は三人とも、あのお方が戻ってきたことを知った。カルカロフは帝王の復讐を恐れて逃げ出したのだ。あいつはあまりに多くの死喰い人を裏切った。仲間として歓迎されるはずがない」
何人かはセブルスの腕から素早くこちらに視線を移したが、は無視してじっとファッジの衝撃に打ち震える横顔を見た。そうか、イゴールは遂に逃げたのか。仕方があるまい。彼は確実に、殺される。ひょっとしたらもう少し、話をしておけば良かったかもしれない。
私は生き残れるか。
死に損ないはいっそ潰されればいいが、今はまだ死ぬわけにはいかない。
セブルスの言っていることが分からないらしい。ファッジは首を振りながら後ずさった。相変わらずプライアは表情を崩さない。
ダンブルドアを見上げ、ファッジは囁くように言った。
「あなたも先生方も、一体何をふざけているのやら、私にはさっぱりだ。しかしもう聞くだけ聞いた。私も、もう何も言うことはない。この学校の経営について話があるので、ダンブルドア、明日連絡する。我々は省に戻らねば」
プライアを引き連れ、ファッジが扉へと向けて大股で歩き出す。二人がほとんど医務室を出かけた時、ようやくは声をあげた。左腕の激痛に意識をさらわれそうになり、呻きながら、
「待って!」
足を止めたファッジとプライアが、首だけで物憂げに振り向いた。布団の上に這い蹲るようにして、続ける。
「プライア……あなたは、クラウチの身内だったんでしょう!それなのに……それでいいの?死ぬべき人間に悦びを与え、無垢な魂に残忍な杖先を向ける……あなたが見過ごそうとしているのは、そういった力なのよ。それを!」
振り向いたプライアの口元に、色のない微笑が広がっていく。彼女は甲高い靴音を鳴らしてつかつかとのベッドまでやって来ると、僅かに腰を屈めて彼女にだけ聞こえるよう声を落として言った。
「あなたももう少し考えてから行動した方がいいわ。今ここにいられるのは誰のお陰?私たちがあなたの正体を機密事項として封じてきたからこそ、こうやって陽の当たる場所で生きていられるんでしょう。そんな馬鹿げた話を吹聴して、困るのはあなたの方よ」
そしてその栗色の髪を掻き上げ、にやりと唇を歪める。
「『恨むなら、あんたをあんたに生んだ親を恨むことね』」
その言葉は否応なしにこの女と初めて出会ったその瞬間を彷彿させた。ぞっと身震いし、心持ち身体を後方に引く。プライアは満足げに笑んで体勢を真っ直ぐと直し、毅然とした足取りでファッジのところへ戻っていった。
思い出したようにファッジもハリーのベッドに戻り、賞金の一千ガリオンを置いて去っていく。去り際に扉のところで振り向いたプライアは「バーティの身柄は我々が持ち帰ります」と言い残して消えた。
一向に痛みの止まない腕を押さえつけて嘆息混じりにハリーを取り囲む面々に視線をやると、はそのベッドの向こうから真っ黒い犬の頭が覗いていることに初めて気付いた。