「一体どういうことなんですか!」

 憤慨したマクゴナガルがきつく眉をつり上げ、声を荒げる。彼女の右手には皺だらけの新聞が握られ、既に何度も叩き付けられた跡がある。

 ホグワーツの騎士団員が集められた校長室の中で、ひとり椅子に座ったダンブルドアは深刻な顔で息をついた。

「予言者新聞を定期的に購読している生徒はほとんどいませんからまだ広まってはいないようですが……このままでは城の内外で大混乱が起こります。一体どうしたものやら……一体どこからこんな……」

 ほとんど独白のような調子でマクゴナガルがぼそぼそとつぶやく。ハグリッドはその場で落ち着きなくもぞもぞし、、そしてセブルスはただひたすら視線を足元に落として黙り込んでいた。

 今朝の予言者新聞に載せられたのは、深いクマを刻んだいかにも顔色の悪そうなの写真だった。




 ホグワーツで教鞭を執って十三年になる魔法薬学助教授、はかつて『名前を言ってはいけないあの人』の支持者であり、ある筋からの有力な情報によると『名前を言ってはいけないあの人』から直接数々の闇の魔術を教わった側近であったという。と、本誌特派員であるリータ・スキータは書いている。噂によると彼女自身の身内に強大な闇の魔法使いが含まれているということだが、詳細は不明である。

 先日同校の魔法生物飼育学教授、ルビウス・ハグリッドが半巨人であると露呈し、同校校長のアルバス・ダンブルドアは世間から厳しい非難を浴びたばかりだが、それに引き続き発覚した極めて重大な事態である。このような危険人物をどういった思惑で雇い入れたのか、ダンブルドアは早急に釈明すべきであるが、どちらにせよ校長としての彼の責任問題に発展することは避けられないだろう。

 また、皮肉なことにはかつての主人である『名前を言ってはいけないあの人』を失墜させたハリー・ポッターの両親と学生時代から旧知の仲だったという。一昨年の七月にアズカバンから脱獄した、同じく『名前を言ってはいけないあの人』の支持者であるシリウス・ブラックとは恋人関係にあり、ブラックは彼女のために親友であるハリーの父親、ジェームズ・ポッターを裏切ってまで闇の魔法使いに成り下がったと推測される。昨年はブラックが幾多の吸魂鬼の警護を掻い潜りホグワーツへの潜入に成功したことから、がブラックと通じていた可能性は極めて高く、魔法省は調査に乗り出すべきであろう。

 の残忍性は、彼女が半巨人であるハグリッド、昨年闇の魔術に対する防衛術の教授を務めた狼人間のルーピン、そしてブラックなどと親しいことからも容易に窺い知ることができる。




 洟を啜りながら、ハグリッドは涙ながらに言った。

「ダンブルドア先生様、俺、俺、悔しいです……ずっと、ずっと自分の罪を背負いながら……一生懸命やってきたのことを、今更こんな風に書き立てて……俺、あの女のこたぁ、どうしても許せねぇです……」

 私のために、泣いてくれる人がいる。ハグリッドは涙を流し、マクゴナガルは憤慨している。後ろ指を指されることは覚悟していた。その中で、こうして私のために泣いてくれる人がいる。彼女にはそれだけで、十分だった。

 だがいくつも、腑に落ちない点がある。

 どうして、今なのか。なぜ、私だけなのか。

「私が裁判を受けたことは、魔法省の中でも機密事項のはずです。それがここまで漏れているのなら帝王のことだって一緒に露呈しても不思議ではない。実際、私が強力な闇の魔法使いの孫であるという事実は記載されています。でもどうしてそこだけが伏せられているのか。なぜ   私、だけなのか」

 常に行動を共にしてきたセブルスのことは、一行も書かれていない。そんなスキャンダルを、リータ・スキータが逃すはずはないだろうに。

 詳細な内容の割には、穴が多すぎる。はどこかにスキータの与り知らない悪意のようなものを感じた。それが一体何なのか、皆目見当もつかなかったが。

「私個人に悪意を持つ誰かが、何らかの意図を持って中途半端な情報を流したということでしょうか」

 また一つ溜め息をつき、ダンブルドアはゆっくりと顔を上げた。その青い瞳には、深い疲労の色が見え隠れする。

「判然とせぬが   言えることは、君があやつの下で働いておったことを知る人間は、限られておるということじゃ」

 は彼の眼を見つめたまま、それを脳裏で数えていく。仲間であった死喰い人、騎士団の人間。そして、当時の魔法法執行部の者。

    グリフィンドールの、あの三人組。

 騎士団の人間がその情報を漏洩するとは考え難い。死喰い人が今頃になって彼女の正体を晒すメリットがあるとも思えない。魔法省の人間も然りだ。大きな行事が目白押しのこの年に、敢えて混乱を引き起こす必要があるか?

「とにかく、このことははっきりと否定なさった方が」

 厳しい口調でマクゴナガルが告げると、ハグリッドは恐る恐る声をあげた。

「で、でも下手に否定すると、かえって責められちまうんじゃありませんか?どこのどいつが言ってるのか分かんねぇですが、隠蔽だとかまた騒がれたら……ルーピンみたいに、だってホグワーツにいられなくなっちまう」

「認めたところで同じでしょう。それならはっきりと否定した方が。無責任な噂として、早々に片が付くかもしれませんよ。魔法省も、のことで騒ぎ立てられたくはないでしょうから」

 マクゴナガルがぴしゃりと返し、ハグリッドは戸惑った様子で口を噤む。は顎の下で両手を組んだダンブルドアが、どこを見るでもなく虚空を見つめているのを黙って見ていた。

 そうだ。リーマスやハグリッドの場合とは訳が違う。彼らの血筋は、体質は彼らに何の責任もない。だが自分は違うのだ   帝王の下につくことは、自らの意思で選び取った。

 伏せなければならない。この先もこの城に残りたいのならば、過去の過ちは隠しておく必要がある。

「我輩も、公に否定なさるべきかと。大きく騒がれれば……と帝王の関係も、いつ世間に知れることになるか。そうなれば、彼女がホグワーツに残ることはまず不可能です。それだけは避けなければ」

 セブルスの言葉に、ダンブルドアはようやく徐に頷いて顔を上げた。

「とにかくこれ以上大事にならぬうちに手を打とう。当時の魔法法執行部の友人に、早速ふくろうを飛ばす」










 その日だけで、は抗議の手紙を何十通も受け取った。きっとまたダンブルドアのところにもふくろうが殺到しているに違いない。新聞を読まない子供たちに騒がれることはなかったが、それでも数人の生徒には不審な眼差しを向けられたことを考えると、明日には城中に広まっていることも覚悟しなければならないだろう。

『お前は何の罪もない人たちを殺したんだ』

『血塗れのその手で教壇に立つなんて、何を考えてる』

『お前に教えられているなんて、ハリー・ポッターはなんて哀れな子なんだ』

『お前なんかネズミの尻尾と一緒に埋めてやる』

 研究室に飛び込んできた吼えメールの数々があらゆる罵声を浴びせかけてくる。差出人不明の手紙は封を切らずにすべて暖炉に放り込んだ。見るまでもなく、その内容は分かり切っている。

 そしてそれは   間違っては、いない。

「もしも私が、ここにいられなくなったら」

 最後の一掴みを燃え盛る炎の中に投げ込みながら、は力なくつぶやいた。

「あなたが、しっかりあの子を護ってあげてね。私は城の外で……やれることを、やるから」

「冗談じゃない」

 不機嫌に鼻を鳴らし、セブルスが言ってくる。

本当にこの城に残らなければならないのは、俺ではなくお前だろう。帝王が復活すれば……最初に狙われるのは、まず間違いなくお前だ。お前はこの先もホグワーツに留まることだけを考えていろ。記事の件は、ダンブルドアに任せていればいい」

「……そう、ね」

 帝王が復活すれば。この血が渡ることだけは、どうしても避けなければならない。

 傍らのソファにどさりと腰を下ろし、はローブの上から左腕をきつく擦った。眼を閉じると、イゴールが突き出した闇の印が瞼の裏に浮かび上がってくる。

 彼の、そしてセブルスの言うように。帝王の復活は迫っている。私たちには   蛇を吐き出すあの髑髏を持つ人間には、はっきりとそれが分かる。

「どうして……今頃、誰が、あんなことを」

 つぶやいたが、セブルスは答えなかった。もっとも、返事を期待してのことではない。軽く感じた目眩を打ち消すように頭を振り、ゆっくりと腰を上げる。

「……ダンブルドアのところ、行ってくるわ」

「ああ」

 短く頷き、セブルスは再び羊皮紙の上で羽根ペンを動かし始める。マントを羽織り、は静かに研究室を後にした。

 就寝時間を過ぎた城内は静まり返り、自分の足音だけがやけに煩く鼓膜を叩く。ひんやりした空気の中で身を縮めながら、彼女は校長室を目指して階段を上がった。

 樫の扉についている真鍮のノッカーを鳴らし、来訪を知らせる。

「校長、です。宜しいでしょうか」

 すると程なくしてドアが内側から開き、は軽く一礼してからゆっくりと頭を上げた。

 眼前に立っていたのは   ダンブルドアでは、なかった。

 の知る人物ですらない。

 その魔女   年の頃は自分とそう違わないだろうか   は静かに微笑みながら一歩後ろに下がり、中に入るようを促した。ぎこちなく頷き、校長室へと足を踏み入れる。

 ダンブルドアは机の手前に立ち、深刻そうな面持ちでこちらを見ていた。

「……お邪魔でしたか」

 問い掛けると、彼は小さく首を振ってみせる。

「いや、ちょうど君のことを話しておったところじゃ」

「……はぁ」

 ともすればこの魔女は、魔法省の人間かなにかだろうか。

 振り向くと、丁寧に扉を閉めた女はこちらに歩み寄りながら愛想程度に頭を下げた。

「魔法法執行部のアイビス・プライアです。助教授ですね?」

「はい……私です」

 すると女   プライアはダンブルドアの机に置かれていた新聞を手に取り、その一面を示しながらあとを続けた。

「今日は本日付の日刊予言者新聞の、この記事のことで伺ったんです。あなたにもお願いがあります」

 そう言って、折り畳んだ新聞をまた机の上に戻す。

 プライアはこちらに背を向け、軽い調子で言ってきた。

「魔法省はあなたがかつて死喰い人であり、そしてまた例のあの人の血筋だということは世間に秘めておくべきだと考えています。その事実が広まればあなたにそのつもりがなくとも社会の混乱を招くでしょうし、あなたを長年雇ってきたホグワーツの信用にも関わりますから」

 そして再び、くるりとこちらに向き直る。彼女の青い瞳が気紛れな猫のようにランプの明かりを受けてきらりと光った。

「ですから、このニュースソースが一体どこからなのか不明な点は多々ありますが、ホグワーツとしてはこの記事を全面的に否定して頂きたいのです。そうすれば世間はいずれ忘れます。しばらくはどこからも煩く叩かれるでしょうが、ダンブルドアにも、あなたにも、そうではないと毅然とした態度でいて欲しいのです。それが最善策だと我々は考えています。それから」

 言いながら、プライアが軽く人差し指を立てる。

「我々が関与したということは内密に。私が伺ったとなればより大事になるでしょうから。お願いします」

 ダンブルドアを一瞥すると、彼は僅かに眼を細めただけだったが、はプライアを見て「分かりました」と答えた。

 満足したように頷き、プライアが手首の腕時計をちらりと見下ろす。

「それでは、私はこれで失礼します。ダンブルドア校長、お見送りは結構ですので」

 ダンブルドアは珍しく真剣な眼差しのままプライアに会釈してみせた。扉に向かって歩き出した彼女の後ろをついていくと、ドアノブに手をかけたプライアが唐突に振り向く。

 彼女は唇だけで冷ややかに微笑んでいた。

「それにしても……お元気そうで、何よりです。覚えていらっしゃいますか?」

「……どこかでお会いしましたか?」

 まったく覚えがなかったため、純粋にそう訊き返す。記憶力は目覚しいほどにいいわけではないが、確かにこの魔女とは初対面のはずだ。

 プライアは半分ほど瞼を伏せたが   その眼はまったく、笑ってはいない。

「無理もありませんね。学生時代に少し、お話しただけですから。失礼します」

 それだけを一方的に告げて、プライアは校長室を出ていった。は閉められた扉をしばらく呆然と見つめてから、やっとダンブルドアに向き直る。

 老人は机に置かれた新聞に手を添えたまま、ふうと大きく息をついた。

「先生、プライアの言う通りに振る舞う……それで、構わないんですよね」

「そうすれば最も、事を穏やかに済ませられるじゃろう。良いかね、

「……はい。仰せのままに」

 頷き、顔を上げる。その瞬間は古い記憶の中からアイビス・プライアという名を思い起こし、あっと声をあげた。まさか、そんな。

「先生   さっきの、プライアというのは確か……」

「そう、君と同じグリフィンドール寮じゃった、君の先輩であるアイビス・プライアじゃ」

 ダンブルドアは首を回してこちらを見たが、やはり彼の瞳は笑っていなかった。疲れたように翳り、静かにの姿を映している。

「彼女は今では魔法法執行部の副部長を任されておってのう、これまでも何度か話をする機会があった」

「……そう、ですか」

 まさか今頃になって、そしてこんなところで再会するとは思いもよらなかった。遠い過去の記憶ではあるが、苦々しさは到底拭えない。何しろ事故とはいえ殺されかけたのだ。

 少しお話しただけ……か。

 ダンブルドアは徐に傍らの椅子に腰掛け、ゆっくりと瞼を閉じた。

「アイビスは、確かバーティのことも言っておったのう」

「バーティ?ミスター・クラウチのことですか?確か今は……あまり体調が、芳しくないと」

「そうじゃ。あれだけ復活に尽力した対抗試合にも代理を送ってくる始末じゃから、案じてはおったのじゃが。彼は休暇を取っているだけでいつもと変わらず便りがあるから心配は無用じゃとアイビスは言っておったのう。じゃが、この時期にバーティが休暇を申請するというのは……どうも、腑に落ちぬ」

 眼を開け、訝しげに眉根を寄せてダンブルドアがつぶやく。だがはクラウチが休暇を取っているということよりも、彼の他の言葉に疑問を抱いてすぐさま問い掛けた。

「プライアは魔法法執行部の副部長と仰いましたよね。その彼女になぜ国際魔法協力部の部長から手紙が?クラウチはまだ魔法法執行部に未練があるということでしょうか」

「いや。アイビスはバーティの姪でのう。彼女は卒業後、事故でご両親を亡くしたので今ではバーティが唯一の親族なのじゃ。それで頻繁に手紙のやり取りをするらしい」

 プライアが、クラウチの姪?

 つまり学生時代の自分のことがクラウチに伝わっている可能性もあり、死喰い人時代の自分のことがプライアに筒抜けになっていることも有り得る。そう思うとぞっとするものが背筋に走り、は隠しもせずに身震いした。

 それに、とダンブルドアは神妙な面持ちで続ける。

「これは、一昨日耳にしたばかりなのじゃが。どういった事情なのか判然とせぬ故、まだ君たちには話しておらんかった。先日、君たちの研究室にバーティが侵入した」

「バ   えっ?」

 意味が分からず、眼をぱちくりさせる。は瞬きを繰り返しながらダンブルドアを見たが、彼もまた不可解な顔をしていた。

 身振りを加え、はかぶりを振る。

「た、確かに先日、真夜中に我々の研究室に何者かが侵入したことは事実です。ですが……ミスター・クラウチなんて!まさか、そんな……有り得ないことです。犯人ははっきりしています。一体誰がそんな突拍子もないことを」

「犯人が分かっておると?それは一体誰かね?」

「それは   

 ダンブルドアの深い瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。嘘も、誤魔化しも、この老人には一切効くはずがない。

「……ポッターです。第二の課題の日、保管庫から鰓昆布が紛失しました。ご存知だと思いますが、彼は第二の課題に鰓昆布で臨みました。非常に貴重な薬草です。スプラウト教授ですらお持ちではないと思います」

 彼はさして表情を変えずに言ってきた。

「いや、それならば違う。バーティが侵入したのは、第二の課題より前のことだそうじゃ。恐らく彼がこの城にやって来たというのは……間違いなかろう」

「まさか!それならどうして対抗試合に現れないのですか!どうしてクラウチが我々の研究室に侵入するのですか!有り得ません……ポッターです!彼は鰓昆布以外の材料も持ち出しています。二度、毒ツルヘビの皮と二角獣の角が紛失しました。そして真夜中、研究室の側の階段に代表選手の卵、それに……ポッターの持ち物である羊皮紙が落ちているのを目撃したことがあります。彼が透明マントを所持していることは、当然ご存知だと思いますが!」

 いつの間にか語気を荒げてしまい、は小さく深呼吸して気持ちを落ち着かせた。ダンブルドアが悠然と机の上で両手を組み、静かに口を開く。

「どちらにしても、不可解なことばかりじゃ。城内   取り分けあの子の周囲には絶えず目を光らせておくれ」

 この話題はどうやら打ち切りということらしい。は僅かに顔を顰めたが、大人しく引き下がって浅く頷いた。



「それから一つ、頼みがあるのじゃが」