疑われ始めている。
「先生、先生。ダームストラングの校長と一体どんなご関係なんですか?」
「……関係なんて、何も」
「またまた。あの人、よく先生のこと探してるようですし、ユールボールでも先生としか踊らなかったでしょう?それにしても素敵でしたよね、カルカロフ校長のあのターン!聞いて下さい、私なんて結局ムーディ先生に何度も踏まれてあの靴、ぼろぼろになっちゃったんですよ!」
「それはそれは……お気の毒でした」
「それともあれですか、カルカロフ校長が先生に片思いっていう……」
「滅多なことを言わないで下さい」
ああ、まったく。
シニストラだからこそこの程度の他愛無い会話で済むのだが、確かに自分とイゴールとの関係を疑われても仕方のないところにはきている。それほどにあの男は頻繁に そしていかにも密やかに、声をかけてきた。
「セブルスからも何とか言ってよ。このままじゃ本当に私たちの関係が知れないとも限らないわ。ホグワーツの一職員とダームストラングの校長が知った仲だなんて、どう考えても不自然だもの」
湯気の立ち昇るコーヒーを差し出しながら言うと、彼は物憂げに顔を顰めてみせた。
「言っている。それでも聞かないものを俺にどうしろと」
「まったく……こんなことになるなんて」
ゴブレット事件の犯人もワールドカップで闇の印を打ち上げた人間もさっぱり分からず、帝王がどのようにして力をつけているのか想像できることもさほど多くない。それでも左腕の印から感じるに変化が起こっていることはまず間違いなく、イゴールの執拗な行動はそれらに対する不安、苛立ち、恐怖を殊更に煽った。
マグカップを受け取り、セブルスが鼻を鳴らす。
「お前がダンスの相手など引き受けるからだ。奴はそれで突然お前に気を許した」
「は?私のせいだって言いたいの?あんな公の場で参加校の校長の誘いを断るなんて、向こうの顔に泥を塗れって?それは主催校の職員としてとてもできなかったわね。あなたが女でも同じだったはずよ」
「その結果がこれだ。俺も辟易している。何をしてもいい、イゴールのことはお前がどうにかしろ。俺はボーバトンの校長を調べる」
は自分のカップに牛乳を注ぎながら、眉を顰めて振り向いた。
「マダム・マクシーム?あの魔女に何か怪しいところでも?ダンブルドアは何も言っていなかったけど」
「信じる男だ、ダンブルドアは。疑う要素のない人間は疑わない。だが 考えてみろ。ハグリッドが半巨人だった……つまり、あの女もそうであるという可能性は高い」
は自分の椅子に座ろうと屈めた身体をゆっくりと起こし、見開いた眼でセブルスを見た。彼はカップを傾け、静かに瞼を伏せている。
「……だから?」
「だから?だから、だ。巨人の血を引く人間が、ハグリッドのような人間ばかりだと思うか。巨人の気質を忘れたわけではあるまい 奴らが帝王の命で消した村の数々を、忘れたのか」
忘れるはずがない。忘れられるものか。
はデスクの上にマグカップを置き、鋭い視線でセブルスを睨み付けた。
「だからマダム・マクシームが怪しいと?彼女がハグリッドと同じような大きさだから、巨人の血が混ざっていると。だから彼女が怪しいと あなたはあんなつまらない記事に振り回されてダンブルドアが信じるものを疑うと、そういうことなのね」
「何度も言わせるな。ダンブルドアは信じる男だ。現にあの男は自分を殺そうとしているお前をこの城に受け入れ、帝王を連れて戻ってきたクィレルを迎え入れた ダンブルドアの信じるものを信じると、そういった言葉をお前から聞くことになろうとはな」
開きかけた口を閉じ、下唇を噛む。杖を向けたあの時の老人の瞳、怯えた眼差しをいつもこちらに向けてきたかつての先輩、そして同僚を思い出す。
それでも眉間に力を入れ、は強い口調で言い返した。
「たとえそうだとしても……引き継いだ血のためだけにその人間が疑わしいなんて、あまり聞きたくはないわね」
微かに口角を上げ、セブルスはこともなげに言ってくる。
「それは仕方があるまい。どうしたところで逃げられない 生まれ持ったものからは、決して逃げられはしない」
この話題は打ち切りとばかりにこちらから視線を外して棚の書類を抜き出した彼に、は声の調子を落として問い掛けた。
「……そういえば、一度も聞いたことがなかったわね。あなたのご両親は……今?」
「死んだ」
彼の答えは率直で、ごくごく短いただそれだけのものだった。
何か一瞬、冷たいものが吹き抜ける感覚を覚えたが。羽根ペンを取り出してインク壺の蓋を開ける彼の仕草を見つめながら、続ける。
「どんな……方だったの?」
その答えもまた、飾り気のないものだった。
「覚えていない」
それはきっと文字通りの意味ではなかったのだろうが。彼の暗い横顔が、それ以上の追及を拒んだ。
知りたくないと言えば嘘になるが、相手を煩わせてまで聞き出そうとは思わない。元々そういった関係だった。
もセブルスから視線を外し、たまった採点に手をつけようと引き出しを開ける。
ちょうどその時、郵便配達用の窓から一羽の茶ふくろうが舞い込み、彼女の目の前に一通の封筒を落としていった。
眠れなかった。
まどろみかけた意識を、突如浮かび上がった記憶が叩き起こす。布団の中で乱れた呼吸を整えながら、は汗ばむ額を撫でた。
手紙は、かつての友人からのものだった。記憶にあるよりもずっと丁寧で、流麗な文字でほんの数行。
会いたい、と。
予言者新聞であなたの名前を見ました。とても懐かしくなって、お忙しいとは思いますが是非一度、会ってお話がしたい、と。
ハグリッドの記事を読んだのだろう。私は彼を非難する人間として描かれている。それを見て、話がしたいと。
「ホグワーツに就職することが決まったと伝えたら、君のことを言っていた」
どのように言っていたのか。それは怖くて、とても聞けなかった。
その彼女が、ついに会いたいと言ってきた。
(会えるわけ……ないじゃない)
今更何を話したいというのか。
「彼女は今でも、君のことを学生時代のまま、友人だと思っている」
そんなことが、どうしてあなたに言えるのか。
何も言わずに、逃げ出した。半端な事実を打ち明けて、あとのことは放り出した。
私はあなたから家族を奪った死喰い人の仲間に名を連ねた。すべてを裏切って、闇の世界に堕ちた。
どうして私が、今更あなたに会えるというのか。
無理だと返せばいい。忙しいのだと言えばいい。いや、むしろ無視してしまえばいい。いずれ諦め、忘れてしまうだろう。それでいい。そうするのが、一番いいはずだ。
瞼を閉じて、静かに息を吐く。忘れよう。何をする必要もない。
その時、はどこからか微かな足音を聞いた気がした。
はっとして 耳を澄ます。感覚すべてを音の正体に向ける。聞こえてくるのは、隣の研究室からのようだ。
はそっと身体を起こし、枕元の杖を握り締めた。セブルスか?いや、違う。彼なら真夜中に起き上がったとしても、ああしてあからさまなまでに音を潜める必要はない。
セブルスでも自分でもなく、こんな時間に魔法薬学の研究室に誰かがいる。
(……ハリー?)
グリフィンドールのあの問題児たちか。もしくは。
音を立てずに慎重に扉まで歩み寄り、覚悟を決める。
はほんの一瞬で勢いよくドアを押し開き、そこにいるべき侵入者へと杖先を向けた。
「誰!」
部屋にいたのは 想定した誰でもなく。
は同じようにして杖をこちらに突きつけたマッド−アイ・ムーディを見据え、呆然とつぶやいた。
「……どうして、あなたがこんなところに」
ムーディは僅かな隙も見せずに杖を構えたまま、ニヤリと不敵に笑ってみせる。
「気付いたか。なるほどそこまで落ちぶれたわけではなさそうだな」
「……どうしてここにいるのかと、伺っているのですが。あなたがこんな時間にこんなところに、一体何のご用で」
傷だらけの老人は、戸の開いた薬品棚の前に立っていた。まさか、窃盗の犯人はムーディ?……まさか。
彼はさらに口角を上げ、愉しげに低く笑った。
「読んだぞ。実に愉快だった。このままでは我が校の威信に傷がつきます……ダンブルドアの人選の中で恐らく最も問題であろう人間が口にするにしては、実に愉快なコメントだった……」
皮肉に唇を歪めるムーディを厳しく睨み、は杖を握る手に力をこめる。
「あなたがあんな三文記事を真に受けていらっしゃるとは、驚きました」
「世間というものは目の前に示されたものを信じる」
そう言ってムーディが眼を細めたその時、ちょうど向かいの扉が徐に開いて仏頂面のセブルスが姿を現した。やはり杖を掴み、 そしてムーディの順に、二人を静かに見据える。
「……我輩の研究室で、一体何をしている」
押し殺した低い声音で、セブルスが囁いた。ムーディは薄ら笑いを浮かべてセブルスを見返し、ますます可笑しそうに喉を鳴らす。
「できれば静かに済ませたかったのだが、な。ここにあるべきではない何かが隠されていないか、調べようと思っていたところだ」
「……どういうことですか」
声の調子を落とし、はゆっくりと問い掛けた。セブルスも脅すように杖を浮かし、眼光を尖らせる。だがムーディはまったく臆した様子もなく 端からそんなものは期待していなかったが あっさりと言ってきた。
「言葉通りの意味だ。この城にはまず間違いなく、ここにあるべきではない何らかの闇の力が働いている……ダンブルドアはわしに警戒せよと命じた。わしはただその責務を果たそうとしているのだ」
「ここにはお前の探すものは何もない、マッド−アイ」
セブルスはすぐさま噛み付くように切り返した。
「警戒せよと命じられているのはお前だけではない。残念ながらダンブルドアは我々を信用している。調べるだけ無駄だ、そしてお前にそのような権利はない。今すぐここを出て行け」
「疾しいことがなければ拒む必要などないはずだ、スネイプ。そうだろう、え?わしには闇祓いとして、疑わしきを調査する義務がある」
「お前はもう闇祓いではないはずだ!何の権利があって我々の領域を侵す!」
今まではムーディと顔を合わせても極力対立は避け、大人しくしていたセブルスが歯を剥いて怒鳴った。ムーディは怯むどころかいよいよ唇を歪め、憤りにセブルスの顔色が染まるのを愉しげに眺めている。
は嘆息混じりに杖を下ろし、半分ほど伏せた瞼の下から冷ややかにムーディを見上げた。
「……分かりました。どうぞ気が済むまでお調べになって下さい」
一触即発といった様子でこちらを凝視するセブルスに、諦めの境地で告げる。
「それで納得して貰えるのなら、構わないでしょう。私たちには疾しいことなんて何一つないんだから、好きなだけ調べさせればいい」
何も出てくるはずがない。何も隠していないのだから。それでこのムーディを黙らせることができるのならば、安いものだ。
セブルスはまだ不服そうに唇を歪めていたが、やがて渋々と杖を仕舞い込んだ。満足げに鼻を鳴らしたムーディが、手近な 例の薬品棚に節くれ立った傷だらけの右手を突っ込む。その手付きがあまりに乱暴だったためとセブルスはもっと丁寧に扱えと何度も注意したが、結局最後まで老人がそれを正すことはなかった。
そしてもちろん、"ここにあるべきではない何か"が発見されることはなかった。