随分と肝を冷やしたが、第一の課題は無事に終了した。なるほど、技術や知識の面で他の三選手には及ばない彼が考えた上手い作戦だ。正直なところ、ゴブレットに彼の名を入れた誰かが少しでも妙な真似を見せれば飛び出していく覚悟ではいたため、あまりに上手くいきすぎて拍子抜けしたくらいだった。

 ハリーが卵を取った時イゴールはひどく憤慨していたが、あれは単に他の代表選手を蹴落とせなかった悔しさ故か。それとも他に、何かがあるのか。だとすれば彼はかなりの役者だといえる。もっとも、昔のイゴールからはあまり想像できなかったが。

「……ねえ」

 十二月も半ばに差し掛かった頃。研究室の薬品棚を調べながら、は眉を顰めた。

「毒ツルヘビの皮」

「なんだ」

 レポートの山を片付けていたセブルスが上の空で訊ねる。はクリップボードを睨み付けたままそちらへと顔を向け、ぶっきらぼうに告げた。

「足りないのよ。毒ツルヘビの皮が二巻きほど。個人的に使用した?」

 手元の羊皮紙に戻しかけていた視線を再びこちらに向け   セブルスが眉間に深くしわを刻む。

「まさか。本当に足りないのか?」

「ええ。いつも十巻きは置いておくことにしてあるでしょう?でも今ここには、八つしかないの」

 ボードと棚とを交互に見ながら言うと、彼は羽根ペンを置いて立ち上がり、彼女の傍らで開いた棚の奥を覗き込んだ。口には出さずにそれを数え、ますます表情を険しくする。

 この職に就任して以来、セブルスの個人棚から材料が紛失したことはない。たった一度、二年前のあの時以外は。その時も、盗まれたのは毒ツルヘビの皮だった。

 もっとも、あの時はグレンジャーと取り引きしたためセブルスにはそのことを隠しておいたのだが。

「ねえ、セブルス」

「なんだ」

 他の材料の箱を引き出してその中に紛れていないかを確認しているセブルスに、恐る恐る告げる。

「ずっと黙っていたんだけど、前にも一度材料が無くなったことがあるの。その時も、毒ツルヘビの皮と、二角獣の……」

「知っている」

 あっさりと言ってセブルスは、また別の箱を取る。はポカンと口を開け、その横顔を呆然と凝視した。

「し、知ってた?」

「ああ。材料棚を見ていれば嫌でも気付く」

「じゃあなんで何も言わなかったの?材料管理は私の仕事でしょう」

「文句を言うよりも先にお前がいなくなったからな」

 最後の箱を棚の上段に戻し、セブルスが舌打ちする。

「どうせあのグリフィンドールの連中だろう   ポリジュース薬か?まったく……面倒な奴らだ」

 彼は丁寧に棚の扉を閉めると、苛々と足音を響かせながらデスクに戻った。

「どうする?問い詰める?証拠は何もないけど」

「問い詰めるのは簡単だが、白を切られて終わるのが落ちだろうな。奴らはそういった連中だ、そうだろう」

 深々と嘆息し、セブルスは軽く首を振る。

「扉により強固な魔法をかける。二度と奴にこの部屋の敷居は跨がせん」

 そう言ったきり、彼は再び羽根ペンを持って採点に専念し始めた。

 クリップボードを棚の横に掛け、は二人分のコーヒーを淹れる。十年来の日課として、当たり前のようにそれを行う。

 コーヒー。それは遠い昔、日本にいた頃よく父が淹れてくれた飲み物だった。だからといって感慨があるわけではないが。

 ブラックコーヒーを注いだマグカップを彼のデスクにそっと置きながら、問い掛ける。

「毒ツルヘビの皮とニ角獣の角のこと……どうして隠していたのか、訊かないのね」

「言いたいのなら勝手に言え。今更そんなことに興味はない」

 ぶっきらぼうに切り返し、セブルスは淹れ立てのコーヒーに口をつけた。

 私がアズカバンに投獄されて、訊ねるタイミングを失したのか。それともいつの間にかこちらの心を読んだのか。どちらにしてもそう大差ないが。そうだ。今更そんなことは、どうだっていい。

 問題は再び、ポリジュース薬の材料となる毒ツルヘビの皮が紛失したという事実だ。

 棚に入れておいたものが勝手に無くなるはずはない。誰かが盗み出した。そして前例は、二年前のたった一度、あの一件だけだ。

(睨みを利かせるくらいはしておくべきかしらね)

 一度は見逃してやったのだ。それを繰り返すのなら、それなりの覚悟は決めてもらわねばならない。

 たっぷりのミルクを入れたカフェオレを飲み、は視線を巡らせて傍らの薬品棚を見つめた。

 失敗してしまえ。そうすれば、それが確実な証拠になる。

 そしてカップの側面で両手を温めながら、自分の机に戻っていった。













 クリスマス休暇が近付き、城内の子供たちはいつも以上に落ち着き無くそわそわしていた。四年生以上は休暇中ほとんど全員がホグワーツに残る希望を出し、授業中もどこか浮ついた空気が抜けない。お陰でもセブルスも、日に何度も減点を続けてようやく実習を進めなければならなかった。

 ダンスパーティ。まったくもって下らないが、主催校の教師という立場上参加せざるを得まい。

 ドレスローブは夏季休暇中、シニストラに強引に連れ出されダイアゴン横丁へと買いに行った。普段のローブで構わないと言い張ったのだが、やはり女はそういうわけにもいかない。マクゴナガルでさえ新しいドレスローブを購入したという。鼻で笑い、セブルスは「行ってこい」と送り出してくれた。

 シニストラは濃紺を基調にしたシックなドレス。はいつものように黒い地味なものに仕上げようとしたのだが、色の系統が被るからやめろと彼女に猛烈に反対され、マルキンにも勧められて薄青色のドレスローブを買う羽目になった。

「似合いますよ。素敵ですね」

「……さあ。どうでしょうね」

 その帰り道。姿くらましするためにダイアゴン横丁の外れに向かう途中、フローリシュ&ブロッツ書店の前を通り過ぎた。シニストラは立ち寄りたいと言ったのだが、が突っ撥ねて無理やり城に帰った。どうしてもまだ、決心がつかない。いや、きっとこの先どれだけの月日が流れても、彼女に再び会うことはないだろう。

 そしてダンスパーティの当日。は自室でドレスローブを着て鏡台の前に立った。もう何年もずっと黒一色でやってきたせいか、それだけでどこかこそばゆい。僅かに開いた胸元には、二十年以上の付き合いがある十字のネックレスが下がっている。

 片時も離したことはない。ダンブルドアが受け取り、ハグリッドの手で返された。家族のために、国のためにすべてを捧げた母が遺してくれたもの。

 これを外したら。どうなるのだろう。

 言葉の違う国にやって来た時、これは言語習得のために不可欠だった。

 だが今は、この十字の持つ力がなくとも十分にやっていける。それだけの時間をこの国で過ごした。だが、このネックレスを外すことはできなかった。

 取り去るべきではないのか。このままでいいのか。

 部屋の扉が静かに開き、いつもと同じ黒いマントに身を包んだセブルスが入ってくる。

「思うままを言ってくれていいんだけど、どう思う?」

 軽く両手を広げ、身体ごと彼に向き直る。セブルスはつまらなさそうに鼻を鳴らし、言ってきた。

「そんなことが気になるのか」

「別に。でも、そうね。礼儀としておかしくはないか」

「悪くはないだろう。似合いはしないがな」

 言われて、再び鏡を見る。似合わない。分かっている。私にはただ、暗く閉ざされた色だけが相応しい。

 滑稽だ。まったく。

 小さく苦笑し、彼に向き直ってまた大袈裟に腕を広げてみせる。

「それならいいわ。行きましょうか」

「ああ」

「男はいいわね。それで済むんだから」

 部屋を出ながら彼のローブを軽く弾くと、セブルスは疲れたように肩を竦めた。

「ダンブルドアには煩く言われたが」

「そんなもので済むのなら安いものでしょう」

 は微笑し、彼が研究室の扉に厳重な魔法をかけるのを見つめる。毒ツルヘビの皮の紛失が発覚して以降、彼は宣言通りとても生徒などには解けやしない魔法をドアノブにかけるようになった。

 まだパーティ開始時間にはやや早い。たちホグワーツの教職員は一足先に大広間の準備の最終仕上げをしなければならなかった。テーブルの配置を変え、広間の壁を一面銀色に輝く霜で覆う。星の瞬く黒い天井の下には、何百という宿り木や蔦の花綱を絡めた。

 審査員の一人であるクラウチは、その日やって来なかった。代わりに彼の補佐官だというパーシー・ウィーズリーが現れ、鼻高々に審査員席に納まる。まるで宇宙の最高統治者に選ばれたかのようなその自慢げな口調は、彼がどれほどクラウチを崇拝しているのかを容易に推測させた。

(まあ……確かにウィーズリーの好みそうな人間ではあるわね)

 ダンブルドアによると、クラウチは体調があまり良くないらしい。それでもあの厳格な規律男がこんな行事を欠席するということは、よっぽどひどい状態なのだろう。

 教職員テーブルについたがふと顔を上げると   驚いたことに、審査員席のイゴールがこちらを見ていた。慌てて隣のセブルスを見るが、彼は素知らぬ様子で目の前に現れたスープをつついている。故意にイゴールの視線を無視しているようだった。

 もそれに倣い、手元に目線を落とす。やや経ってからそっと盗み見ると、イゴールはもうそばのクラムを凝視していた。クラムはグレンジャーと楽しそうに笑い、周囲の眼を驚かせている。

 やがて食事が消え去ると、ダンブルドアが杖を振ってテーブルをすべて片付けた。現れたステージに妖女シスターズが上がり、子供たちが熱狂的な拍手で出迎える。

 代表選手が踊り始め、他の生徒たちもダンスフロアに出て行った。ダンブルドアはマクシームと優雅にワルツを踊り、シニストラはなぜかムーディとステップを踏んでいる。だがマッド−アイの二拍子ステップはぎこちなく、彼女は義足に踏まれないようにと神経質になっていた。

 ぼんやりとそれを見つめ   そろそろこの場を出ても構わないだろうかと思案し始めた頃。

先生。一曲お付き合い頂けますかな」

 呼びかけられ、そちらに顔を向ける。

 豊富な毛に覆われたパーティローブに身を包んだイゴールが、お得意のへつらい笑いを浮かべてそこに立っていた。