ボーバトンとダームストラングの代表団が到着するほんの数日前、はダームストラングの校長がイゴール・カルカロフだということを知った。仲間を売ってアズカバンから釈放された後、あまり時間を置かずに校長の座に就任したらしい。

「イゴールを信用していないわけではない」

 言いながらダンブルドアは、静かに微笑んでみせた。

「じゃが、"もしも"ということは考えておかねばならぬ。アラスターにも話はしてあるが、君たちも何か気になることがあればすぐに伝えて欲しい」

 自由と引き換えに有益な死喰い人を魔法省に売りつけたイゴールだ。"もしも"という可能性はほとんどゼロに近いが。

 セブルスとともに、は大人しく頷いた。




 十四年ぶりに再会したイゴールは相変わらず愛想だけは良く、ダンブルドアに朗らかに笑いかけていた。スリザリンの子供たちを引き連れたセブルスとに気付くと、ほんの一瞬表情を引き攣らせただけですぐに笑顔へと戻る。も愛想程度に微笑し、軽く頭を下げた。今は主催校の一教師と、他校の校長。ただそれだけの関係に過ぎない。

 ホグワーツの全生徒と来客すべてが席に着き宴会が始まってから、魔法省の役人二人が姿を現した。魔法ゲームスポーツ部のルード・バグマンと   国際魔法協力部の、バーティ・クラウチ。クラウチはこちらを一瞥すらせず、つまらなさそうにマクシームの隣に腰を下ろした。

 今更あの男を見て思うところはないが。

(きっと……変わっていないんでしょうね)

 どうでもいい心地で、つぶやく。

 炎のゴブレットが代表選手の名を吐き出したのはその翌日のことだが。

「ハリー・ポッター」

 四枚目の羊皮紙を、ダンブルドアは重々しい口調で読み上げた。


















 沈黙は長く続いた。三人目までの選手の時とは違い、誰も拍手しない。だが一人の怒声を引き金に、子供たちは一斉に怒った蜂の群れのようにわんわんと騒ぎ始めた。予想外の事態に、セブルスも顔色を曇らせてこちらを見る。

 は呆然と目を見開き、ダンブルドアに視線をやった。そちらには立ち上がったマクゴナガルが歩み寄り、校長に何かを小声で捲くし立てている。

 ダンブルドアは徐に頷くと、マクゴナガルの方に傾けていた身体を起こして声をあげた。

「ハリー・ポッター!」

 グリフィンドールのテーブルから目当ての生徒一人をすぐさま見つけ出すのは困難だ。が目を凝らしてその青年を探していると、ダンブルドアが再び彼の名を呼んだ。

「ハリー!ここへ来なさい!」

 それから数秒ほどして、ようやくテーブルから一人の男子生徒が立ち上がった。げっそりと青ざめ、自分のローブの裾を踏んでよろめいている。ハリーはそのままの調子でグリフィンドールとハッフルパフのテーブルの間を歩き、ダンブルドアの前へと進み出た。子供たちの罵声はますます大きくなっていく。

 ダンブルドアが促すと、彼は三人の代表選手たちと同じように後ろの扉から消えた。

 まるで爆発でも起こしたかのように、大広間が一気に耳を塞ぎたくなるほどの喧騒に包まれる。ダンブルドアは何度か紫の爆竹を鳴らしてそれを黙らせると、ひとまず子供たちに宴の解散を告げた。

 待ってましたとばかりに椅子から飛び上がったバグマンは興奮気味に小部屋へと飛び込んでいく。ダンブルドアは他の教職員に子供たちを大人しく寮に帰すよう指示を出すと、マクゴナガルを連れて奥の扉を潜っていった。さらにクラウチ、マクシーム、イゴールがその後に続いていく。も急いで立ち上がり、憤怒の形相をしたセブルスと代表選手の待機室へ向かった。

「ダンブリー・ドール、これはどういうこーとですか?」

 威圧的な声で、マクシームが問い詰める。イゴールも冷徹な薄ら笑いを浮かべ、ダンブルドアを睨んだ。

「私も是非とも知りたいものですな、ダンブルドア。ホグワーツの代表選手が二人とは。開催校は二人の代表選手を出しても構わないと?私の規則の読み方が浅かったのですかな」

「セ・タァンポシーブル」

 苛立たしげに母国語でつぶやき、マクシームがオパールに飾られた大きな手をデラクールの肩に置く。

「オグワーツが二人も代表選手を出すことはできませーん。そんなことは、とーても正しくなーいです」

「我々としては、あなたの年齢線が年少の立候補者を締め出すだろうと期待していたのですがね」

 イゴールは冷ややかに笑ったが、その眼はただひたすらに氷のような憤りを孕んでいた。

「そうでなければ、当然我が校からもより多くの候補者を連れてきても良かった」

「誰の咎でもない、ポッターのせいだ。カルカロフ」

 口を挟んだのはセブルスだった。見下すように鉤鼻の上からハリーを一瞥し、再びイゴールに視線を戻して続ける。

「ポッターが"規則は破るもの"と決めてかかっているものをダンブルドアの責任にすることはない。ポッターは本校に入学して以来、決められた線を越えてばかり   

「教授、それは違います」

 があっさりと遮ると、多くの眼が一斉にこちらを向いた。セブルスは訝しげに眉を顰め、イゴールは虚を衝かれたように瞬いている。は平淡な声音であとを続けた。

「確かにポッターは今まで何度も決められた一線を越えることがありましたが、今回の件はどうすることもできなかったはずです。ダンブルドアの年齢線はどうしたって越えることなどできない」

「しかし、現にこれまでポッターは不可能と思われることを何らかの方法で切り抜けてみせた   それは助教授もよくご存知のはずだが」

「もうよい、もセブルスもじゃ」

 ダンブルドアは穏やかに言ったが、その声には有無を言わさぬ確かな強さがあった。もセブルスも大人しく口を噤み、一歩引き下がる。ダンブルドアは不思議と色のない瞳をハリーに向け、静かに問い掛けた。

「ハリー、君はゴブレットに名前を入れたのかね」

「いいえ」

 ハリーは必死の面持ちで首を振った。セブルスは苛々と靴底を鳴らしていたが、ダンブルドアは構わず続ける。

「上級生に頼んで、ゴブレットに君の名を入れたのかね」

「いいえ」

 ハリーは激しい口調で繰り返した。だがマクシームやイゴール、セブルスはあからさまに不信感を顕にしている。ぴしゃりと言ったのは、眼鏡の奥で厳しい眼差しを光らせたマクゴナガルだった。

「この子が年齢線を越えることはできなかったはずです。そのことについては皆さん、異論はないと   

「ダンブリー・ドールが線をまちがーえたのでしょう」

「もちろん、それは有り得ることじゃ」

 肩を竦めるマクシームにダンブルドアは丁寧に言葉を返す。は呆れ顔で声を荒げた。

「線に間違いなどありません!僭越ながら、これは重要なことですから私も確認させて頂きました。十七歳未満の生徒は立ち入れたはずがありません!」

「それなーら、あなたも何かかんちがいをしーたのでしょう」

 マクシームがしつこく食い下がると、マクゴナガルは憤慨して言いやった。

「まったく馬鹿馬鹿しい!ハリー自身が年齢線を越えるはずがありません。それに上級生に頼んで名前を入れさせるなんて……ハリーはそんなことはしないとダンブルドア校長は信じていらっしゃいます。それだけで、皆さんには十分だと存じますが!」

 マクゴナガルの一瞥をセブルスはあっさりとかわし、やはりまだ不服そうにハリーを見ている。だが彼自身にも分かってはいるはずだ。ハリーにこんなことが、できたはずがない。ゴブレットの目を欺き、四人目の代表選手となることなど。

 低く咳払いし、イゴールはお得意のへつらい声で言った。

「あー……クラウチさん、バグマンさん。お二方は、我々の   えー、中立の審査員でいらっしゃる。こんなことは異例だと思われますでしょうな?」

 バグマンは少年のような丸顔をハンカチで拭き、クラウチを見た。クラウチはまるで骸骨のようにやつれてはいたものの、あの頃のきびきびした声ではっきりと言った。

「規則には従うべきだ。そして、ルールは明白です。炎のゴブレットから名前が出てきた者は、試合で競う義務がある」

 イゴールとマクシームは雷に打たれたかのような顔をし、バグマンは満足げに笑って両手を打ち合わせた。

「いやぁ、バーティは規則集を隅から隅まで知り尽くしている。これで決まりましたな?」

「我が校の他の生徒に、もう一度名前を入れさせるように私は主張する」

 イゴールはもはや猫撫で声もへつらうような笑みもかなぐり捨て、醜悪な形相で唸った。

「ゴブレットをもう一度設置していただこう。そして各校二名の代表選手になるまで名前を入れ続ける。それが公平というものだろう、ダンブルドア」

「いや、カルカロフ、そういう具合にはいかない。炎のゴブレットはたったいま火が消えた。次の試合まではもう、火がつくことはない」

 バグマンが軽やかに言うと、イゴールは怒りを爆発させて怒鳴った。

「次の試合にダームストラングが参加することは決してない!」

 握り締めた拳を振り翳し、黄色い歯を剥き出して続ける。

「あれだけ会議や交渉を重ねて妥協したというのに、このようなことが起こるとは!今すぐにでも帰りたい気分だ!」

「はったりだな、カルカロフ」

 声は   扉の方から聞こえてきた。

「代表選手を置いて帰ることはできまい。選手は競わねばならん。選ばれた者は全員、競わねばならんのだ。魔法契約の拘束力は絶対だ。都合のいいことにな、え?」

 ちょうど大広間へ続く扉から、ムーディが入ってくるところだった。足を引き摺って暖炉に近付き、静まり返った小部屋にコツコツと乾いた音が響く。

 イゴールは不快そうに眉根を寄せ、そちらを睨みながら聞き返した。

「都合がいい?何のことか分かりませんな、ムーディ」

「分からん?」

 ムーディは低い声で繰り返し、喉の奥でクツクツと笑った。

「カルカロフ、簡単なことだ。ゴブレットから名前が出てくればポッターが戦わねばならぬと知っていて、誰かがポッターの名をゴブレットに入れた」

「もちろーん、誰か、オグワーツにリンゴを二口もかじらせよーうとしたのでーす!」

「おっしゃる通りです、マダム・マクシーム。私は抗議しますぞ……魔法省と、それから国際連盟   

「文句を言う理由があるのはまずポッターだろう」

 言いながらムーディは、壁に手をついてハリーを見る。

「しかし、おかしなことよ……ポッターは何も言わん……」

「なんで文句言いまーすか?」

 信じられないとばかりにムーディを、そしてハリーを見てフラー・デラクールは地団駄を踏んだ。

「このいと、戦うチャンスありまーす。私たち、みんな、何週間も何週間も、選ばれたーいと願っていました!学校の名誉かけて!賞金の一千ガリオンかけて   みんな死ぬおどおしいチャンスでーす!」

「その通りだわ。ポッター、何か言うことはないの?」

 ボーバトン生の言葉は完全に無視しては問い掛けたが、ハリーは忌むようにこちらを睨んだだけでやはり一言も喋らなかった。彼がこの一件に無関係であることは一目瞭然だ。だが何を言っても信じてもらえないと分かっているのだろう。ただひたすらに口を閉ざして黙っている。

 沈黙を破ったのは、ムーディの唸り声だった。

   ポッターが死ぬことを欲した者がいるとすれば」

 それまでとは違う、ひんやりした空気が場を包み込む。は息を呑み、脈打つ鼓動を手のひらで押さえた。それは彼女も考えていたことではあるが。

 バグマンがひどく困惑した面持ちで、苛々と身体を揺すりながらつぶやいた。

「おい、おいムーディ……何を言い出すんだ」

「皆さんご存知のように、ムーディ先生は朝から昼までの間にご自分を殺そうとする企てを少なくとも六件は暴かないと気がすまないお方だ」

 イゴールは侮蔑を含んだ声で怒鳴ったが、その瞳の奥に恐怖が光っていることもには見て取れた。闇の印を左腕に受けた人間はたとえどれだけその世界から離れたつもりでいてもムーディの眼を直視することなどできない。

「先生は今、生徒たちにも暗殺を恐れよとお教えになっているようだ。闇の魔術に対する防衛術の先生になる方としては奇妙な資質だが、ダンブルドア、あなたにはあなたなりのお考えがおありなのでしょうな!」

「わしの妄想だとでも言いたいのか。ありもしないものを見るとでも?え?あのゴブレットにこの子の名前を入れるような魔法使いは、腕のいい奴だ……」

「おお、どんな証拠があるというのでーすか?」

 小馬鹿にするように鼻を鳴らし、マクシームは大きく腕を広げてみせた。ムーディもまた鼻先で笑い、あとを続ける。

「強力な魔力を持つゴブレットの目を眩ますなど、並みの魔法使いにできることではない。あのゴブレットを欺き、試合には三校しか参加しないということを忘れさせるには非常に強力な錯乱呪文をかける必要があったはずだ。わしの想像では、ポッターの名を四校目の候補者として入れ、四校目はポッター一人しかいないようにしたのだろう……」

(……なるほど)

 口元を押さえたは声には出さずにつぶやいた。それならば確実にハリーを代表選手に仕立てることができる。もっとも、それはつまりそのようなことが可能なほど強力な魔法使いが、この城内に潜んでいるということに他ならないが。

(一体、誰が?)

 まさか。

 彼女は視線を巡らせて、ひっそりとイゴールを見た。

「この件は随分とお考えになられたようですな、ムーディ」

 イゴールは暗い瞳を冷たく細め、続ける。

「それに、実に独創的な説ですな。しかし、聞き及ぶところでは、最近あなたは誕生祝いのプレゼントの中に、バジリスクの卵が巧妙に仕込まれていると思い込み、粉々に砕いたとか。ところがそれは馬車用の時計だと判明したとか。これでは、我々があなたの言うことを真に受けないのもご理解いただけるかと……」

「何気ない機会をとらえて悪用する輩はいるものだ」

 低く、唸るようにムーディは切り返した。

「闇の魔法使いの考えそうなことを考えるのがわしの役目だ   カルカロフ、お前なら身に覚えがあるだろうが……」

アラスター!

 瞬時に、ダンブルドアの鋭い声が飛んだ。イゴールは真っ赤になって歯を剥き、ムーディはニヤニヤと愉しそうにその様子を眺めている。はぞっとするほどの不快感の中で瞼を閉じて何とかそれを抑え、ダンブルドアがその場にいる全員に呼びかけるのを聞いていた。

「どのような経緯でこんな事態になったのか、我々には分からぬ。しかしじゃ、結果を受け入れるほかあるまい。セドリックもハリーも試合で競うように選ばれた。したがって、試合にはこの二名の者が……」

「おお、でもダンブリー・ドール   

「まあ、まあ、マダム・マクシーム。何か他にお考えがおありなら、喜んで伺いますがのう」

 ダンブルドアは穏やかに言ってマクシームの言葉を待ったが、彼女は不服そうに眉を顰めるばかりで何も言わなかった。イゴールは青筋を立てて歯噛みし、セブルスは射るようにハリーを睨みつけている。ただ一人バグマンだけがうきうきと弾んでいた。

「さあ、それでは開始といきますかな」

 言いながら揉み手をし、小部屋を見回す。

「代表選手に指示を与えないといけませんな?バーティ、主催者としてのこの役目を務めてくれるか?」

 何か別のことを考え込んでいたらしいクラウチは、はっと顔を上げて唸った。

「うむ。指示ですな。宜しい……最初の課題は……」

 それからクラウチは第一の課題について簡単な説明を行い、ダンブルドアの誘いを断って役所に戻らねばならないと言った。ダンブルドアはイゴールとマクシームも就寝前の一杯に誘ったが、憤慨した彼らが乗ってくるはずもない。二人はそれぞれの学校の代表選手を連れて即座に小部屋を出て行き、そこにはバグマン、クラウチにダンブルドア、マクゴナガル、ムーディ、そしてとセブルスが残った。

「しかし、バーティ、随分と顔色が悪い。少し休んでいった方が良いと思うがのう」

 ダンブルドアの言葉通り、暖炉の明かりに照らされたクラウチは病気ではないかと思われるほどにやつれていた。落ち窪んだ眼に十年前の面影はほとんどなく、数ヶ月前にダンブルドアのペンシーブで見た姿より何倍も疲れて見える。だが結局最後まで彼は首を横に振り、バグマンの制止を振り切って去っていった。

「さあ、どうだね。残った皆さんで一杯やろうじゃないか。なあ、ダンブルドア」

 あくまで軽快に言ったバグマンに、ダンブルドアは穏やかに微笑んでみせる。

「ルード、君は先に部屋に戻っていてくれんかね。後で必ず伺おう   少し、先生方と話があるのでのう」

 バグマンは不思議そうに瞬きしたが、すぐににっこり笑って素直に小部屋を出て行った。ドアを閉め、彼の足音が遠ざかっていくのを確認してからダンブルドアがこちらに向き直る。

 は厳しい口調ですぐさま切り出した。

本当に試合を実施されるおつもりですか?罠だということは分かりきっているはずです」

「……他にどうしろとう言うのかね。ゴブレットの拘束力は絶対じゃ」

 疲れたようにかぶりを振り、ダンブルドアが嘆息する。被せるようにして彼女は言葉を続けた。

「対抗試合を中止するのです。そうすればすべてが無効になるのでは   ポッターを参加させるなんて、危険すぎます」

「お前の言葉とは思えんな。魔法の契約がどれほど強力な拘束力を発揮するのか、知らないわけではあるまいに」

 嘲笑とともにムーディが鼻を鳴らすと、ダンブルドアはそちらに咎めるような視線を送った。もまたマッド−アイを睨んだが、彼はこともなげに言ってくる。

「どのみち選ばれた全員が戦わねばならんのだ。それならば我々が、我々にできることをすればいい」

 言ってムーディは、脇の壁に預けていた腕を離し退屈そうに顎を掻いた。

「ゴブレットにポッターの名を入れ錯乱呪文をかけた魔法使いは確実に存在する。そいつの思惑がポッターの死ならば、ポッターの周囲を固めていれば自ずとその正体は浮かんでこよう。そこを押さえればいい」

 ダンブルドアはムーディに向けて小さく頷き、全員を見渡しながら告げた。

「何らかの邪悪な力が働いておることは間違いない。みな、あの子から目を離してはならぬ。同時に城内の警備にも当たって欲しい。何かが起こってからでは取り返しがつかぬ」

 ムーディは意地悪く笑いながらとセブルスを一瞥したが、ダンブルドアが何かを言うよりも先にコツコツと義足を鳴らして小部屋を出て行った。