クィディッチ・ワールドカップで仮面を着けた複数の魔法使いがマグルを宙吊りにして大暴れし、さらに闇の印が打ち上げられたという事件は記事になる前に彼女のもとへと届いた。確かな伝手から情報を得たというダンブルドアが早急にホグワーツ内の騎士団員を集め、知り得た展開のすべてを語って聞かせたからだ。
「事は極めて深刻じゃと、わしは考えておる」
重々しい声音で、彼は続ける。
「この件に関しては、まだまだ情報を収集する必要があるが。この十三年、奴らはほとんど完全に鳴りを潜めておった。それが 警備が厳重じゃと分かりきっておるワールドカップでの行進、そして闇の印……」
「……確かに。前者はともかく、打ち上げられた印は非常に気になります。どれだけ軽率だとしても、余程の覚悟がなければあの印を使用することはありません。意図的に創り出されたメッセージのように思えます」
珍しく口を挟んだのはセブルスだった。眉間に刻まれたしわをさらに濃くし、真剣そのものの顔で告げる。ダンブルドアは小さく頷き、再び全員を見渡すように顔を上げた。
「今日は対抗試合の件で魔法省に行くことになっておるので、その際に昨夜の事件に関しても何か話が聞けるじゃろうと思う。奴らが本格的に動き出すつもりならば、こちらも急がねばならぬ。みな、手を貸してくれるかね?」
静かに問い掛けた老人に、ハグリッドは拳を握って身を乗り出す。
「もちろんです、ダンブルドア先生様!俺は死ぬまで先生様についちいきます!」
マクゴナガルも「もちろんです」と頷き、セブルスもまた徐に頭を下げる。
はこちらを向いたダンブルドアの青い瞳を真っ直ぐに見返し、噛み締めるように答えた。
「 命の続く限り」
誰にも証明できない。そんな方法はない。たとえそうだとしても。
瞼を伏せ、彼女は永久の忠誠を誓った。
とセブルスは、マルフォイ一家からワールドカップの誘いを受けていた。新学期の準備で忙しいのだと断りはしたものの、今になって考えれば引き受けていれば良かったと悔いる。例の夜の状況が、外部からではまったく掴めないのだ。どうやら魔法省が情報規制を敷いているらしい。ダンブルドアもまともな知らせを持てないままに戻ってきた。
「そこで一つ、に頼みがある」
唐突に名指しされ、は面食らって目を開いた。
「魔法省のミスター・アーサー・ウィーズリーを知っておるかね」
「……いいえ」
「そうか。どうやら聞くところによると、彼はあの夜、事件の近しいところにおったらしい。少なくとも他の魔法省の人間よりは、随分と有益な話が聞けるじゃろう。君から聞いてきて欲しいのじゃが」
「……はい?」
こんな聞き返し方は不躾だと思ったが、そうとしか言えずに呻く。驚いたのは他の団員も同じようで、マクゴナガルやハグリッドはこちらを向いて瞬いたし、セブルスも不可解に眉を顰めた。
ダンブルドアが何も言わないので、仕方なく問い掛ける。
「あの……どうして、私なのでしょうか」
彼はさほどの間を置かず、穏やかな調子で言ってきた。
「彼とは以前から交流があってのう。騎士団の活動にも共感してもらっておる。来るべき戦いのために手を借りられるなら強力な戦力にもなろう。そうなれば、いずれ君たちも顔を合わせることになる。わしは対抗試合の件でまだ動かねばならぬことが多い故アーサーと話をする時間は取れぬし、先立って互いを知っておくのは悪いことではあるまい?」
「それは……ええ、もちろん」
反論の余地はなく、首肯する。ダンブルドアは、自分からアーサーに手紙を書いておこうと言った。
我知らず、ローブの上から左腕に触れる。この夏、ちょうど数日前に印に痛みを感じたことは誰にも話していなかった。セブルスも何も言わなかった。きっと そうだ、錯覚に違いない。
だが同時に、心のどこかで自分が言う。
(十三年前のあの夜も、セブルスは何も感じていなかった)
自分の腕だけが疼いた。覆い被せたこの膜だけが帝王の力と呼応しているのかもしれない。
認めることが恐怖だった。
その翌日 ダンブルドアの指示で、彼女は真夜中に城を発った。ウィーズリー 推測ではなく、まず確実にあのウィーズリー兄弟の父親だろう。純血一族のウィーズリーなどその名を聞くだけで容易に特定される。純血だがマグル寄り。ルシウスが若い頃に面汚しの一族がいると嘲っていたのを思い出す。今ではすっかり数の少なくなった純血一族は親族間での婚姻を繰り返し、ほとんど誰もが親戚関係だという。
(純血の ブラック家)
姿くらましするために敷地の外へと歩きながら、彼女は何とはなしにつぶやいた。フードを目元まで深々と被り、瞬時に闇の中へと溶ける。
(レグルスは死んだ。シリウスだけが生き残り。そしてその血は……そう遠くはない未来に、果てる)
どうでもいいことではあったが。
(朽ちてしまえばいいのに)
純血という名のしがらみも。帝王の血筋も。
( こんな血でなければ!)
拳を握り、歯噛みする。だが。
こんな血でなければ。こんな血でなければ、どうだったというのか。未来は変わったか。過去の屈辱は消えたか。
この血に、帝王のそれが混ざっている。たったそれだけでのことで未来が変わったとでもいうのか。
(……変わらないんでしょうね。何にも)
自嘲気味な笑いだけを残し。
どこまでも広がる暗闇の中、彼女は音を立てて姿くらましした。
ふくろう便が届いていた。モリーからそれを受け取り、椅子に座りながら封を切る。中にはダンブルドアから、騎士団の人間を今夜ひとりそちらに遣るので、ワールドカップでの事件について可能な限り詳細に教えて欲しいという内容のことが書かれていた。
「ダンブルドアはなんて?」
モリーが不思議そうに訊いてくると、居間に残っていた子供たちは素っ頓狂な声をあげた。
「ダンブルドア?な、何でパパのところにダンブルドアから手紙がくるのさ!」
「心配しなくても、お前たちのことではないよ」
ロンの言葉に苦笑を漏らし、告げる。子供たちの前で詳しく説明をするつもりはなかったが、合点がいかないといった顔付きでフレッドが唇を尖らせた。
「それじゃあ何でパパのところに手紙なんかくるんだよ。俺たち何にも悪いことなんかしてないぜ!」
「そういうことは何の問題も起こさずに一年を終えてから言いなさい」
非難がましく言ったモリーに反駁しようと双子が口を開いたところで、アーサーは覆い被せるようにして言いやった。
「本当に、お前たちのことではないんだよ。ダンブルドアとは少しだが交流があってね。それだけだよ」
子供たちはまだ不服そうに何やら言ってきたが、彼は手紙を懐に仕舞い、素知らぬ顔で遅めの夕食をとりはじめた。モリーはどうやら騎士団の件だと解してくれたらしい。その場ではそれ以上追及してこなかった。
フレッドとジョージ、ロン、ジニー、ハリーにハーマイオニーがそれぞれの寝室に上がっていったことを確認してから、ようやくモリーは彼の向かいに腰を下ろして言った。
「それで、ダンブルドアはなんておっしゃってるの?」
「ああ、そのことだが。騎士団の人間を今夜ひとりこちらに送るから、例の夜のことを聞かせてくれという話だった」
「父さん。その"騎士団"って一体何なんだ?」
部屋の隅のソファに腰掛けていたビルがチェス盤から顔を上げる。ちょうどその向かいに座るチャーリーも訝しげにこちらを見ていた。パーシーは既に部屋に上がって報告書を仕上げているらしい。
返答に困り、彼は視線を巡らせて妻を見た。モリーは真面目な顔で浅く頷いてみせる。それを見返してようやく決心がつき、彼はビルとチャーリーに顔を向けて言った。
「お前たちはもう大人だから、話をしておこう。少し前に私はダンブルドアと話をする機会に恵まれてね。彼は"不死鳥の騎士団"について聞かせてくれた。十年以上昔、例のあの人が倒れるまであの人に対抗するために活動していた、ダンブルドアが設立した秘密団体だ。ここ数年、例のあの人は力を取り戻すために奮闘してきた……それを悉く、ハリー……あの子が打ち破ってきたわけだが。だが私たちが、私たちこそが一丸となって例のあの人に対抗する必要がある。彼が力を取り戻そうとしているのなら、なおさらだ。そのためなら、私は自分の可能な限り、力を出していきたいと思っている」
虚を衝かれたように目を見開き、二人ともが瞬きすらせずに彼を見ている。
「お前たちにそれは強要しない。自分の思うように動くといい。だが私は、騎士団のために いや……この国の未来を護るために、できるだけのことをしようと思う。ダンブルドアにもその意向は伝えてある。彼はワールドカップのあの夜、何が起こったのかを知りたいと言ってきたんだ。そのために騎士団の人間を一人、使いとして送ると。魔法省は情報規制を敷いているから、他に真実を知る手段がないんだろう」
「それじゃあ、ダンブルドアはやっぱり、あの夜のことは例のあの人が 」
ちょうどその時。
玄関の方から控え目にドアを叩く音がし、ビルはそこで言葉を切った。
立ち上がりかけたモリーを片手で制し、彼は首を振ってみせる。
「私が行こう」
騎士団の使いだろう。そう思いながらも、どこか胸騒ぎを覚える。
(……何に戸惑っている?)
自問し、その答えを見出せないままに足を進める。
彼は知らず知らずのうちにポケットの杖に手を触れ、薄暗い玄関口に立った。
「はい どなたでしょう」
声が奇妙に詰まってしまったことに、相手は気付いただろうか。
扉一枚を隔てて、訪問者はすぐさま答えてきた。
「ダンブルドアから遣わされてきました」
低い、女の声だ。ほっと胸を撫で下ろし、ドアノブに手を掛ける まったく、一体何に怯えていたというのか。
だが扉を開けたアーサーは目の前に立つ姿に一瞬我が目を疑い、ポケットの中で握り締めた杖を抜き出して思わず身構えてしまった。
相手はさほど気にした様子もなく、フードの下から上目遣いにこちらを見上げてくる。
「ホグワーツの、・です。ダンブルドアの使いとして参りました」
やや経って、彼はようやく自分の恰好に気付き慌てて杖を仕舞い込んだ。来客にいきなり杖を向けるなんて 自分は一体何を考えていたのか。まさか……暗黒時代ではあるまいに。
だがそれほどに、と名乗ったその女の出立ちは例のあの夜の一味に瓜二つだと思えた。よくよく考えればそれは、フードを深く被っていた ただそれだけのことに過ぎなかったのだが。
男はこちらの姿を認めるや否や、いきなり杖を向けてきた。
だがそれは、仕方のないところなのだろう。黒いマントを羽織り、頭にフードを被った自分の姿はまさに死喰い人のそれに違いない。分かっていながらもその身形で現れたのは、そうすることが最も闇に自らを溶け込ませることが可能だからだ。城を自由に出られないという口上を長年通してきた自分がウィーズリー家に足を運ぶなど、ダークサイドの人間にはどうしても知られたくないことだった。それでも敢えて彼女を遣わせたのは、ダンブルドアなりの考慮でもあろう。
「ホグワーツの、・です。ダンブルドアの使いとして参りました」
赤毛のその男はしばらく呆然とこちらを見ていたが、やがて我に返り慌てて杖をポケットに仕舞った。無理やり引き攣った笑いを浮かべ、彼女を中へと促す。
「すみません……ええ、ダンブルドアから伺っています。どうぞ」
「失礼します」
短く囁き、扉の間に身体を滑り込ませる。男 アーサー・ウィーズリーが玄関のドアを閉め、先に奥へと進んでいくのを足早に追いながら、彼女は後ろにフードを脱いでちらりと辺りを見回した。魔法で広げてはいるようだが、あれだけの大家族にしては狭い家だ。それとも独立した子供たちを差し引けば十分な広さか。どちらでも構わないが。
通された居間は暖かく、夜風に冷えた身体が逆に悲鳴をあげる。そこにいたウィーズリーはアーサーを除いて三人だった。恐らく妻であろう丸顔の女に 忘れるはずもない、首席のビル・ウィーズリー、そして伝説のシーカー、チャーリー・ウィーズリー。
かつての教え子はあまりの事態に驚きを隠せない様子で、真ん丸に見開かれた目はこちらに釘付けになっている。一方ミセス・ウィーズリーは朗らかに立ち上がり、彼女をテーブルに導いた。
「初めまして、モリー・ウィーズリーです。汚くしていますが……どうぞ、こちらに」
「ありがとうございます。こちらこそ、初めまして。ホグワーツで働いています、・です。夜分遅くに申し訳ありません」
「いいえ、それにこんな時間でもなければアーサーも留守にしていることが多いものですから。何か温かいものでもお出ししますね」
「お構いなく。仕事で伺っただけですので」
ビル・ウィーズリーとチャーリー・ウィーズリーの視線を感じながらも、気付かない振りをしては傍らの椅子に腰掛けた。在学中の子供たちがここに残っていなかったのは幸いだった。自立した彼らならば少なくとも食って掛かってくることはないだろう。
彼女の正面に座り、真剣な顔をしたアーサーがすぐさま切り出す。
「さて……ワールドカップの夜、何が起こったかということについてでしたね」
「ええ。何しろ予言者新聞は当てになりませんし、魔法省も都合の悪いことはまったく語りませんからね。ですがダンブルドアは、その夜にワールドカップの会場で起こった出来事は大きな意味を持つと考えています」
どこからか甘い香りが漂ってきたと思えば、マグカップに入ったホットチョコレートをモリーがの前にそっと置いた。軽く頭を下げる。モリーはそのまま夫の隣に腰を下ろした。
徐に頷き、アーサーが口を開く。
「……そうですね。あの夜のことは、我々もすべてを把握しているわけではありません。ですが、私の知っている範囲のことはすべてお話します」
「お願いします」
子供たちの存在は気になったが、勝手の知らない他人の家でそんなことに口を挟めるはずもない。彼女は意識してそちらが視界に入らないように顔を背け、野暮ったい眼鏡をかけた男の顔だけを見つめた。
考え込むように顔を顰めながら、彼が少しずつ語りだす。
「決勝戦が終わってから、我々はテントに戻りました。その後布団に入り、それぞれ眠りにつこうとしていたのですが……どうやら外が、試合の浮かれ騒ぎとは違う 不吉な喧騒に包まれまして。慌てて外に出ると、誰もが逃げ惑う最中でした。キャンプ場の管理をしているマグルが……仮面をつけた魔法使いたちに宙吊りにされ……奴らはもう、好き放題に」
「 "死喰い人"と、予言者新聞は書き立てていましたが?」
目を細め、問い掛ける。アーサーは渋面をつくり、首を縦に振った。
「ええ、恐らくは……間違いないかと。ですが誰も、奴らの顔を見ることはできませんでした。その前に奴らは全員姿くらまししてしまいましたから」
「……闇の印の件は 何か、分かっているのでしょうか?」
気付かないうちに、喉が渇いてしまっていた。左腕が疼くように感じ、振り払うようにしてホットチョコレートを一口喉に通す。
アーサーはますます顔を歪め、唇を引き結んで数秒ほど黙り込んだ。
「何か……ご存知なんですね?」
畳み掛けるように、訊ねる。やがて彼は観念し、肩を竦めながら言ってきた。
「これは あの場にいた人間だけが知っていることです。誰もが口を閉ざしています。それに、そのことが騎士団の役に立つか……」
「材料は多ければ多いほどいい。判断を下すのはダンブルドアです。お願いします、何もかも教えて下さい」
は声を落とし、確かな響きを含ませてつぶやいた。モリーも僅かながらに表情を変えたのが視界の隅で分かる。アーサーは咳払いし、また一つ頷いてあとを続けた。
「闇の印が打ち上げられたその現場の近くに、息子のロン、それに友人のハリー ハリー・ポッターです、ホグワーツにお勤めなら彼のことは直接ご存知だとは思いますが そして、ハーマイオニーがいました。彼らは印を打ち上げた呪文の声を聞いたと言いましたが、その場にいたのは……その、とある魔法省の役人の……屋敷しもべ妖精だったんです」
現場の近くにハリーたちがいたという事実にも驚いたが、彼女はむしろその後の言葉に眉を顰めた。
「どういうことですか。まさかしもべ妖精が印を打ち上げたなんて、そんな馬鹿なことは有り得ません。魔法省にお勤めならご存知でしょうが、あの印は杖がなければまず確実に創り出せません」
「ええ、ええ、もちろん……ですが奇妙なことに、そのしもべ妖精は杖を持っていたんです。確かに闇の印を打ち上げたその杖を」
「……意味が、よく分かりませんが」
まったく先が見えてこない話ではあった。彼は自分が語るすべての言葉に自信が持てないようだったが、恐々と続ける。
「それはハリーがどこかで落としてしまった杖だったんですが……そのしもべ妖精が持っていた杖に直前呪文をかけると、やはり闇の印が飛び出したんです。ですがしもべ妖精にあの印が出せるとも思えませんし、結局のところ誰の仕業なのか……それは分からず仕舞でした」
屋敷しもべ妖精などに闇の印が創り出せるはずがない。あの印を打ち上げることができるのは、左腕に闇の印を持つ人間だけだ。有り得ない。確実に 本物の死喰い人が、絡んでいる。
「それは……揃って行進していたという、仮面の集団の仕業とは考えられないでしょうか?」
まともな答えが返ってくるとは思えなかったが、思いの外しっかりした口調でアーサーは言ってきた。
「それは、ないと思います。奴らは闇の印を見るや否や、一目散に逃げ出しましたから」
「………」
温くなったホットチョコレートをまた飲み、口を噤む。
アーサーの言葉が正しいのなら、ワールドカップのあの夜、現場には二派の死喰い人が存在したことになる。ただ馬鹿騒ぎをしたかっただけの死喰い人に 恐らくは、心の底から帝王に忠実な野放し状態の死喰い人。前者ならばいくらでも思い浮かぶが、後者にあたる人間はさっぱり分からない。帝王に真の忠誠を誓う死喰い人は十年以上前アズカバンに投獄されているはずだ。
(それとも、どこかに見落としがあった?)
もしくは愚鈍な輩が面白半分で印を打ち上げただとか。
(……それならとっくの昔に闇の印を上げる人間がいても不思議じゃない)
この十三年、この国で一度も目撃されなかったのだから、やはりこれは異常事態だ。
(私の印が痛んだことと、何か関係があるの?)
ないとは言い切れないが。考えたところで無意味だ。かぶりを振って、彼女は顔を上げた。
「参考までにお聞きしますが、そのしもべ妖精は一体誰のものですか」
躊躇があったのだろう。アーサーは一瞬モリーと視線を合わせると、あまり気が進まない様子で言ってきた。
「それは 国際魔法協力部の、バーティ・クラウチです」
「バーティ・クラウチ?」
予想だにしなかった名に、は思わず鸚鵡返しに聞き返した。十年以上も昔の記憶が瞬時に蘇り、隠しもせずに眉を寄せる。
「クラウチ……彼は、魔法法執行部の人間ではありませんでしたか?」
「あー、いえ、確か昔はそうだったと思いますが。随分と前に異動になったはずです。バーティをご存知で?」
「……いいえ。少し、お話を伺ったことがあるだけです」
曖昧に誤魔化し、唇の端を持ち上げる。まさかあの男の裁判を受けたことがあるなどと、言えるはずもない。
そういえば死喰い人のバーティ・クラウチは、あの男の息子だった。無慈悲にも我が子をアズカバン送りにしたというのに、それも空しく左遷されたということか。は表には出さずにほくそ笑んだ。
「何か、お役に立ちそうでしょうか?」
不安そうに訊いてきたアーサーに、愛想程度の微笑を浮かべて頷いてみせる。
「ええ、きっと。いつでも情報は多すぎて困るということはありませんから。ダンブルドアなら取捨選択も的確です。他に何か、気になることはありませんか?些細なことでも何でも構わないのですが」
彼は首を傾げながら妻に視線をやった。モリーも首を振って肩を竦める。
「お前たちは、何かないかね?」
アーサーが訊いたのは、ソファに座りずっとこちらのやり取りに耳を傾けていたビルとチャーリーだった。彼らも顔を見合わせ、考え込むように顔を歪める。
やがて口を開いたのは、長男の方だった。アーサーではなくこちらを見ながら、言ってくる。
「関係があるかは分かりませんが、ここしばらく父の話題に出ていたもので少し気になることが」
「何かしら」
「魔法省の 確か魔法ゲームスポーツ部の役人が行方不明になったと」
魔法ゲームスポーツ部の役人が消息不明に。今回の一件に何か関わりがあるだろうか。
「無関係がどうかは私には判断がつかないけれど、良ければその名前も教えてもらえないかしら」
答えたのはアーサーだった。
「バーサです。バーサ・ジョーキンズ。もう一月以上連絡がつかないようで……ですがルードは ああ、魔法ゲームスポーツ部の部長ですが 彼が言うには、バーサは方向音痴だし以前にも何度かいなくなったことがあると。ですから彼は彼女を探すつもりはまだないようで……まあ、ワールドカップの一件がありましたので彼も手一杯だったでしょうし」
バーサ・ジョーキンズ。その名はの記憶にもあった。確かニ、三年年上のハッフルパフ生だったはずだ。確かに彼女はどこか抜けたところがあったが、一月も音信不通とは妙な話だ。
「どこかに出掛けていたんですか、彼女は」
「ええ。休暇を利用してアルバニアに行くと言い残して発ったそうです。それからさっぱり、連絡が取れず」
「アルバニア、ですか……」
アルバニア。ダンブルドアによると、一時期帝王が身を隠していたという。
(まさか……ね)
喉の奥で苦笑を漏らし、彼女はその場のウィーズリー一家を軽く見渡した。
「ありがとうございます。他には何か、ありますか?」
彼らはまた互いに顔を見合わせたが、四人ともが揃って首を振った。
徐に腰を上げ、告げる。
「ありがとうございました。お聞かせ頂いたことは細大漏らさずダンブルドアに伝えます。それでは、遅くに失礼しました」
「あ、少し待って下さい」
踵を返しかけた彼女の後ろ姿にモリーが呼び掛けた。言い残したことがあるのかとは振り向いたが、彼女は立ち上がり朗らかに笑っている。
「今夜焼いたパンがいくつか残ってるんですよ。どうぞ持って帰って下さい」
「え……いえ、お構いなく。仕事で伺っただけですので」
は慌ててかぶりを振ったが、その時には既にモリーはキッチンへと姿を消していた。当惑して目を細めたに、アーサーが気楽に笑いかける。
「あまりに家族が多いと、時々何人分の料理を作っているのか分からなくなるそうなんです。今日も随分とたくさん作っていたようですから、どうぞお持ち帰り下さい。お口に合うかは分かりませんが」
「……それはどうも」
我ながらもう少し気の利いたことは言えないものかと彼女は小さく息をついたが、そんなことができたとしてもさほど意味はないのだろう。手を組む必要はあるが、馴れ合う必要はない。
やや間を置いて、アーサーはおずおずと言ってきた。
「あの、もしかして……魔法薬学の、先生ですか?」
「 そうですが」
素っ気無く返すと、彼は曖昧な笑みを浮かべあとを続けた。
「そうですか。いえ、子供たちからお話は聞いています。ここにいるビルやチャーリーはもちろん、子供たちがみんなお世話になりまして」
「……いえ。仕事ですから」
どういった風に聞いているのか。それはビルとチャーリーの居心地の悪そうな様子からも容易に知れた。もっとも、何の表情の変化がなくとも分かりきったことではあるが。ウィーズリー家の子供は一人の例外もなくグリフィンドールであり、自分が獅子寮生にどういった態度で接してきたのかは考えるまでもなくはっきりしている。
モリーはすぐに戻ってきた。思ったより大きな袋に詰められたパンはまだ僅かに温かく、礼を告げて居間を出る。
玄関まで見送りに出てきたウィーズリー夫妻は、人の良い顔で微笑んだ。
「また子供たちがご迷惑をおかけするかもしれませんが……どうか宜しくお願いします」
「こちらこそ。騎士団のことでまたお会いすることがあるかもしれませんが、その時は宜しくお願いします」
扉を開ける前に、再びフードを目深に被る。そうして彼女は、二人の顔を見ないままにウィーズリー家を後にした。
吹き荒ぶ夜風の中、マントの下に抱えたパンが熱を逃していく。
(……下らない)
何とはなしにつぶやいて。
風の音に紛れ、彼女は黒塗りの世界に姿を消した。