その夜、二度目のシリウス・ブラック侵入事件が起こった。しかもグリフィンドール塔、まさにハリーの寝室に。教職員はまた躍起になって城中を探し回ったがやはりブラックを見つけ出すことはできなかった。翌日にはフィルチが気忙しく廊下を駆けずり回り、小さな穴からネズミの出入り口まで穴という穴に板を打ちつけていたし、教室のドアをというドアにはフリットウィックがブラックの大きな写真を貼り付けた。ガドガン卿は首になり、太った婦人は護衛の強化を条件に職場復帰したが、は4階の隻眼の魔女像の通路がそのままになっているのが気になった。言うべきだろうか。いや、でもやはり有り得ない。リーマスも同じようにして口を閉ざしているようだった。

「残念だったわね、また証拠を掴み損ねて」

 それまで以上にやたらとの行動を制限しようとしてきたセブルスに、は有りっ丈の侮蔑をぶつけて鼻で笑ってみせた。セブルスは何も言わなかったがきつく唇を引き結んだのが横目に見えた。はレポートの採点を進めながら数日前の予言者新聞とシリウス・ブラックを思う。発見次第ブラックは吸魂鬼のキスを執行されることが決まったのだ。だが他の誰かに魂を抜かれるくらいなら。私がこの手で殺したい。

 でも、気掛かりだ。どうしてブラックはハリーを目の前にして尻尾を巻いて逃げ出したのか。帝王の敵はすぐそこだというのに。襲われたのはウィーズリーだというが子供の一人や二人殺したところで何も感じないんでしょう?その手で、親友を殺したあなたなのだから。しかしその通りだとすれば矛盾する。12年前平気で大量殺人を犯し高笑いしてみせたシリウス・ブラックと、ウィーズリーの叫びごときで逃げ出したシリウス・ブラック…。

 もしかすると私はどこかで何かを思い違いしているのかもしれない。

 だが疑問を挟む余地はない。12年前の殺人は目撃者が多数いるし、ウィーズリーも太った婦人もピーブズも、間違いなくブラックだったという。は一人でダンブルドアのもとを訪れたがその辺りをどうしても上手く説明できずにいた。

「ひょっとして、もしかしてと思ったりするんです」

 馬鹿馬鹿しいことだと思う。こんな自分が今更こんな感情論を並べ立ててみるのだ。だから机を挟んだダンブルドアの眼を見ることはできなかった。声はいかにも自信なさげに小さくなる。尤もこんなことを偉そうに言えるほど馬鹿ではない。いやそれでも愚かしいことに変わりはないが。

「重ならないというか…帝王の腹心であれだけの人間を殺した残忍な死喰い人であるブラックと、今回脱獄してホグワーツに侵入してきたブラックと…。納得できたのは、太った婦人の肖像を切り付けたブラックだけなんです。それは…子供の頃の彼の気性と、変わらないといいますか。ウィーズリーを間違えて襲って逃げたというのは…本来のシ…、彼ならばきっとそうするだろうと…無関係の人間を巻き込むようなことはしまいと…でもそれは12年前のあの事件でのブラックとは重なりません。私たちは何か、何か大きな思い違いをしているのかもしれません」

 俯き、口ごもるをダンブルドアはしばらく黙って見ていた。だがやがて、ゆっくりと口を開く。

「それはつまり例えば、どういった思い違いかね」

「…」

 それが分からないから来るのを躊躇ったのだ。だがダンブルドアの追及は容赦ない。は何とか答えようとして頭を捻るが何も言い出せずに膝で組んだ両手を見つめるばかりだ。

「我々は、親御さんから大切な子供たちを預かっておる」

 静かに語り始めたダンブルドアを、は俯きがちに顔を上げて見た。彼の青い瞳は真剣にを見ている。逸らしかけたが、ダンブルドアはそれを許さない。いつだって私は逃げてきた。だからだ。

「もしも仮に我々の側に何らかの思い違いがあったとしても、じゃ。今回の彼の一連の行動は許し難い。子供たちの生活をこれほどまでに脅かしておるのじゃ。今はただ彼を捕らえることだけが重要ではないかね」

 はばつの悪い顔をして俯く。瞼を閉じて小さく深呼吸してから顔を上げて立ち上がった。

「…余計なことを申しました」

 軽く頭を下げて踵を返しかけたにダンブルドアは穏やかな声で言う。

「もしも我々の間に何らかの誤解があるのなら、それは彼と話ができる時になってから解決すれば良い」

 振り向きかけたが、は背を向けたまままた一礼して校長室を後にした。私は一体何をしていたのだろう。馬鹿馬鹿しい。ブラックがピーターや十何人ものマグルを殺したのは明らかだというのに。何を思い違いしているというのか。まったく下らない話だ。一時的な情を思い出してダンブルドアを煩わせた。子供染みた、馬鹿馬鹿しいことだ…。

 その週末には生徒たちが3度目のホグズミード行きを許されたが、ブラックの一件もあって教職員の巡回は慎重だった。とはいってもハリーは外出を許可されていないので城に残って警備する教員も必要だが、ブラックがハリーの外出禁止を知っているか否かは分からない。はホグズミードを、セブルスは残って城内の巡回をすることになった。だが取り立てて大きな事件もないままはいつものようにマクゴナガルたちと三本の箒で一休みしてから城に戻ったが、地下室のセブルスはなぜか平生にも増して不機嫌でを凄まじい形相で睨み、一触即発のオーラを漂わせていた。

 何があったのかと、去年の今頃ならば訊いていたに違いない。だがは無言で席に着き、机に置かれた封筒を見た。セブルスが取り込んでくれていたのだろう。裏返すとひどく乱れた字で"ハグリッドより"と書かれていた。中の羊皮紙は涙でぐしゃぐしゃになり、敗訴したと書かれている。は小さく息を吐いてから、手紙をそっと封筒の中に戻して引き出しに仕舞い込んだ。やはりハグリッドの小屋には、とても行けなかった。












 セブルスは校長室にいた。が少し前にも一人でやって来たのを知っているからだ。互いに言葉を交わさなくなった。だがその背中が物語ることを読み取れるほどには長いこと一緒にやってきた。それを築き上げるのには時間を要すが崩れ去るのは一瞬だ。セブルスは声に確かな響きを持たせて言う。

「…彼女を、信用しておいでですか」

 ダンブルドアは何もかもを先取りして把握している。驚いた風もなく軽く首を捻ってみせた。

「セブルス、君は卒業して以来彼女と最も深く付き合うた同志のはずじゃが。その君が彼女を信じずにどうするというのかね」

「…だからといって一辺倒で信用できるものでもないでしょう。彼女が…あの男とどのような関係にあったかは、あなたもご存知のはずです」

「否定はせぬが。セブルス、君はもう少し人を信じることを覚えた方が良い。疑うばかりでは何も成し遂げられぬよ。たとえそれが賭けだとしても、信じないことには何も始まらぬ」

「…つまり私が何を申し上げても、あなたは決してお聞き入れにならないと」

「セブルス。わしは君もも信頼しておる。もちろん、リーマスのこともじゃ」

「…」

 また、先を制された。セブルスは眉を寄せて乾いた唇を舐める。分かってはいたが。ダンブルドアはこういう男だ。それでもこの口は同じ言葉を繰り返す。自分は幾度も忠告したのだと、責めから逃れる言い訳にする為に。

 立ち去りかけたセブルスの後ろ姿を、ダンブルドアが呼び止めた。

「ああ、そうじゃ。セブルス、今夜は君の助手を貸して貰っても構わんかのう」

 足を止め、振り向きながらセブルスは瞼を伏せる。

「お好きにどうぞ」

 イースター休暇はすぐそこだ。セブルスは物憂げに息を吐いた。