リーマスはあっという間に子供たちの人気者になった。教え方が上手い実習中心の授業で、褒めることで伸ばそうという教育方針のようだ。騎士団にいたという経歴を思うときっとそう的外れなことばかりをやっているのでもあるまい。その一方でセブルスは日に日に攻撃的になっていった。どこからか(間違いなくスリザリン生だろうが)まね妖怪の一件が耳に入ったらしい。

「調子はどうかしら」

 図書館からの帰り道、本を抱えたは医務室に立ち寄った。傷が疼くといってドラコが闇の魔術に対する防衛術の授業を休んだとパーキンソンに聞いたのだ。ドラコは痛々しげな顔をしてベッドに横たわっていたが、ポンフリーは不満そうだった。

「もう傷はすっかり良くなったと思うんですがね」

 はベッドの脇のテーブルにどさりと魔法薬の専門書を置いて苦笑いする。

「まあ、本人が疼くと言っているんですから休ませてあげて下さい」

 分かりましたよと鼻を鳴らし、ポンフリーはオフィスに引っ込んでいった。はベッドの下から引き出したスツールに腰掛けてドラコを見る。まだ包帯をグルグルと巻きつけた右腕を庇うようにして布団の上に載せていた。

「でも…命に別状はなくて、本当に良かったわ」

 苦しそうに笑ってみせたドラコは小さく頷いて言った。

「先生、聞いていらっしゃいますか。父上があの野獣を理事会にかけたことを」

「…ええ、魔法省も動いているそうね。ヒッポグリフは扱いを誤ると大きな事故に繋がり兼ねないから慎重に調査する必要があるし、仕方がないわね」

 は結局そのヒッポグリフにまだ会っていない。ドラコは誇らしげに微笑んでみせた。本当に父親を尊敬しているらしい。しかし急に眉を顰めてドラコは心配そうに言う。

「先生、先生はよくハグリッドの小屋に出入りしていらっしゃいますよね。あんなデカブツと関わっていたら先生まで野蛮になってしまいますよ。気を付けて下さい」

 上辺ではなく本当に案じてくれているようだった。は思わず噴き出して肩を揺らしながら笑う。意外そうにドラコは瞬いた。

「ありがとう。でも仕事なのよ。校長からよく頼まれ事をするのでね」

「そんな…本当ならダンブルドアなんて、去年辞めさせられるはずだったのに」

 ドラコはそう言って拗ねる風に唇を尖らせる。は弓形に笑んだ唇を人差し指で撫でて横になったドラコの顔を覗き込んだ。声を低めて言う。

「ドラコ。あなたはスリザリン生でしょう。だったらそういうことは口にしない方がいいわね」

 驚いて目をパチクリさせるドラコに、聞かれて困るような相手もいないのには腰を折ってますます顔を近づける。頬を僅かに染めて戸惑う様子のドラコにニヤリと笑ってみせた。

「感情を剥き出しにするのは賢明とは言えないでしょう。スリザリン生は他のどの寮よりも勇敢だと思うわ。グリフィンドール生は勇ましいかもしれないけど馬鹿よ。でもあなたたちは違う。ダンブルドアは偉大な魔法使いだわ。彼を敵視する姿勢は今は望ましくないわね」

 ドラコは感じ入った顔でを見ていた。彼のホワイトブロンドの髪を軽く撫でては腰を上げる。借りてきた本を手にして振り向き様に微笑む彼女にドラコは思い出した風に言った。

「あ…先生、僕、少し気になったんですけど」

「何かしら」

 歩きかけた足を止め、は目の上に垂れてきた前髪を掬い上げて耳に掛ける。先日揃えたばかりの髪はまだ不慣れに揺れていた。ドラコは言いにくそうに呟く。

「あの…この前の授業で、その…先生がロングボトムに…」

 ああ、といっては気楽に笑った。

「それがどうかした?気に入らなかったかしら」

 からかう風に問い掛けるにドラコはますます戸惑いを滲ませる。ベッドの近くまで戻ったは瞼を半分ほど伏せて言った。

「別に大したことじゃないわ。動物はね、嫌いじゃないの」

 だからハグリッドとも何とかやっていけてるのよと言ったにドラコは訝しげに眉を寄せる。はそれを見てまた笑った。

「…なんて、分かり易いかしらこのウソ。ロングボトムのヒキガエルなんてどうだっていいのよ、私は」

 ケラケラと笑うにドラコはただ戸惑うばかりだ。は仕舞い忘れたスツールをベッドの下に右足で押し込んでから彼の傍らに浅く腰掛ける。背中を向けたままで言った。

「あなたも薄々気付いているんでしょうけど、セブルスとね、少し喧嘩したの」

 しばらく黙り込んだ後、ドラコがおずおずと口を開く。

「…だからって、グリフィンドールに加点しなくても」

「やーね。そうしないとセブルスへの嫌がらせにならないでしょう」

 振り向いて見下ろすとドラコは唇を尖らせて俯いていた。は肩を竦めながら笑い、宥めるように言う。

「彼のやることなすこと今は何でも気に食わないのよ。あー、どうせならこの話、みんなに広めて貰えないかしら。私がグリフィンドール贔屓だなんて思われたら不愉快だからね」

 ドラコは答えずにただ不満そうに下を向いている。は小さく息を吐き、ベッドの縁に座り直してドラコの顔を覗き込んだ。

「じゃあドラコ、あなたに一つ頼めないかしら」

 不貞腐れた風に自分の腕の包帯を見つめていたドラコはぱっと顔を上げてを見る。本当にまだまだ子供だと内心ほくそ笑みながらはゆっくりと続けた。

「私だってこんな状態は嫌なのよ。でも妥協できないの。そもそも彼の感情そのものが理不尽だと思うのよね。もうあの人、どうにかしてくれない?あなたはセブルスのお気に入りよ。あなたが頼み込んでくれたら彼も折れるかもしれない」

 これは効果的だったと我ながら満足する。きらきら目を輝かせたドラコは嬉しそうに頷いて「僕に出来ることなら何でも!」と言った。

 心底ドラコにそんなことを期待していたわけではない、もちろん。問題はそう簡単ではないのだ。頭では分かっていても感情がついていかないことはよくある。だがドラコの機嫌を損ねずに、ひょっとしてという淡い気持ちを抱くのは悪くない。

「父と母がよく話すんです、先生とスネイプ先生のことを。いいパートナーだって」

 ドラコのグレイの瞳はルシウスのそれとは違って純粋な敬意を込めて煌く。

「お二人が喧嘩なさったと聞けばきっと、父も母も悲しみます」

 唇に微笑を湛えたまま、はそれとなく瞼を閉じた。











 思惑通り、ドラコはの一見グリフィンドール贔屓≠セブルスとの不仲によるものに過ぎないと城中に吹聴して回ってくれた。お陰でグリフィンドール生から好かれるようになることもなく、スリザリン生はほとんど今まで通りに話しかけてきた。女子生徒にいたっては「スネイプ先生と何があったんですか」と心配そうに訊いてくるほどだ。だがドラコがセブルスに何かを言ったのかは分からない。何しろ彼はそれまでと全く態度を変えず、仕事のことばかりを言ってきたからだ。

 そしてもセブルスに何も言えないまま、10月も間もなく終わろうとしていた。リーマスがこの城に戻ってきてから初めての満月が近付いている。セブルスは脱狼薬調合の準備を始めたが、にとってはあまりに高度な薬なので彼女は材料集めだけを手伝った。リーマスが変身している間だけ任された闇の魔術に対する防衛術の授業の準備も始めようと思う。

 だがセブルスは、取り上げる項目は既に決めているといってに詳しいことは何も語らなかった。

「教えてくれったっていいでしょう。何をするつもりなの」

「そんなことよりも早くスプラウトからこのリストの材料を貰ってきてくれないか。今夜下準備だけは済ませてから休む」

「…今夜?そんなことは聞いていなかったわ」

 最低限のコミュニケーションすら取れなくなったかとは棘を込めて一語一句をゆっくりと告げる。だがそれにも全く動じた風はなくセブルスは机の上を片付けて引き出しから何かを漁り始めた。真剣に怒るのも馬鹿馬鹿しい。はマントを羽織って地下室を出る。仕事さえ終えれば肩の力を抜けるはずだったオフィスも今は息苦しいばかりだ。寝室で一人、横になった時だけが唯一安らげる。

 ハロウィンと重なったホグズミード週末、は脱狼薬を煎じるセブルスに代わってホグズミードの巡回を引き受けた。満月が近いリーマスは大事を取って城に残る。そういえば学生時代にもハロウィンとホグズミード行きが重なったことがあったなと思い出し、は振り払うように首を振りながらマクゴナガルやフリットウィックと城の外に出た。天気は好いが冬の寒気と吸魂鬼の冷気とが相俟っていつものこの時期より随分と冷える。コートの前ボタンをびっしりと閉めて身体を護りながら、生徒たちに紛れてホグズミードへの道のりを歩いた。ホグワーツの出入り口に張り付いた吸魂鬼の脇を通り過ぎる時には思わず目を閉じた。

「それでは6時に三本の箒で。軽く一杯やって帰りましょう」

 マクゴナガルの提案で、巡回の教職員は仕事帰りに三本の箒に立ち寄ることになった。頷いては一人でゾンコの悪戯専門店の方へと歩き出す。ホグズミード週末にはいつも悪戯好きの生徒たちで溢れかえるせいだ。ゾンコの商品は購入禁止などと規則があるわけでもないので取り締まれはしないが、が辺りをうろつくだけで少なからず効果はある。神経の太いそれこそウィーズリーの双子やジョーダンなどは止められないが、興味本位で悪戯用品を見に来る生徒はが警戒しているだけで怯えて逃げ出す。ホグズミードくらい気ままに遊ばせてやれとダンブルドアは言うが、臭い玉の散らばった廊下を見ればフィルチがどれほど怒り狂うか。も面倒は御免だ。

「ホットレモンソーダです」

「私です。ありがとう、マダム」

 ロスメルタからグラスを受け取ったはコートの中で身を縮めながらそれに口をつける。身体の芯から温まるようだ。マクゴナガル、フリットウィックもそれぞれソフトドリンクを飲んだが、シニストラだけはホットの蜂蜜酒を3杯も頼んだ。アルコールなら城に戻ってから飲めばいいだろうと窘めたに、ホグズミードに来て蜂蜜酒を飲まないなんて馬鹿だと唾を飛ばす。

「何か知らせはありませんの?」

 2杯目のジョッキをシニストラに渡しながら、ロスメルタが不安げに訊いた。彼女は店内に何枚も貼られたポスターを顎で示して眉を寄せる。シリウス・ブラックの手配書は今やホグズミードの至る所にべたべたと貼り付けられていた。

「ええ、何も。ですがその方がいいのかもしれません…何かあれば生徒たちが怯えます」

 マクゴナガルの言葉にシニストラが大袈裟に溜め息をつく。隣に座っていたはその息が既に随分とアルコール臭かったので顔を顰めてみせた。

「まったく迷惑です!夜に建物の外に出るなと、生徒たちに天文学を学ばせないつもりですかね。あんな作り物では何も分かりませんよ。早急に捕まって欲しいです、まったく

 蜂蜜酒を一気に呷ったシニストラが急に咳き込んだので、口内から噴き出した水分が顔に飛び散ってフリットウィックの方によろめく。まったくいい加減にして欲しいのは彼女の方だ。はハンカチで濡れたところを拭きながら胡散臭そうにシニストラを見る。彼女は陽気に鼻歌などを歌いながらロスメルタに3杯目のジョッキを注文した。

 シニストラが言うのは天文学の授業のことだ。毎週塔の上に出て観測を行うわけではないが、それでも月に2、3度は実際の星空を見て授業を行う。それが今年は一度も観測を許されていなかった。いくら塔の上といえども壁の外なので危険を伴うと判断されてのことだ。観測はダンブルドアが作り出した本物の空を似せた教室の中で行われていた。それでもシニストラに言わせれば明らかな贋物でこんなものでは空は学べない≠轤オい。

 それからふらつくシニストラを支え、暗くなった道を4人で城へと帰った。大広間では何百ものくり抜きカボチャに蝋燭が灯り、生きた蝙蝠が群がって飛んでいる。セブルスやリーマスは既にテーブルに着いていた。はリーマスに「今晩は」と短く挨拶し、セブルスには「只今戻りました」とだけ言ってその横に腰掛ける。シニストラはテーブルに突っ伏してそのまま眠ってしまいそうだったので、はゴブレットに汲んだ水を無理やり彼女に飲ませた。

 その夜のことだ。

「そいつは婦人が中に入れてやらないんでひどく怒ってましたねえ」

 ピーブズはクルリと宙返りし、自分の脚の間からダンブルドアを見てニヤニヤ笑った。

「あいつは癇癪持ちだねぇ、あのシリウス・ブラックってやつは」