この夏から、ほとんどセブルスと話をしていない。シリウスのことはもちろんリーマスの話題すら一度も出ていないし、何が要因かと訊かれてもうまく説明できない。ただ目を見て話すことは随分と少なくなり、交わすのも仕事の話ばかりで共に杯を上げたり息抜きにコーヒーを淹れることもほとんどなくなった。眠気を覚ますためだけに濃いコーヒーを汲んで、差し出された方も溜まった仕事に没頭したままありがとうも言わない。

「ダンブルドアから、あなたに」

 校長室から戻ってきたは羊皮紙の巻紙を突き出して言う。セブルスは課題の採点を続けて下を向いたまま「そこに置いておいてくれ」と素っ気無く呟いた。も取り立てて何も言わず、言われた通りの場所にそれを置き自分の机に戻る。昨日ルシウスからダンブルドア宛にふくろう便が届いた。理事会と、そして魔法省にもヒッポグリフの一件を訴えたと。寮監であるセブルスも厄介な書類を仕上げねばならなかった。ドラコが授業に戻ってきたのは、木曜の昼前だ。授業時間が半分ほど過ぎた頃、包帯で巻いた腕を吊って入ってくる。

「調子はどう?様子を見にいけなくてごめんなさいね」

 すぐさまが歩み寄って話しかけると、ドラコは痛々しげな表情の中にも唇を綻ばせて首を振る。

「いいえ、大丈夫です。先生もお忙しいでしょうから」

「ミスター・マルフォイ。座りたまえ、さあ」

 いつの間にやら近付いてきたセブルスも気楽な様子で言った。ドラコはなぜかクラッブやゴイルのところではなくハリーとウィーズリーのすぐ隣に自分の鍋を据え、のんびりと準備を始める。

「先生」

 ドラコが手を挙げて呼んだので、側にいたが顔を上げて彼を見た。

「先生、僕、雛菊の根を刻むのを手伝って貰わないと、こんな腕なので…」

「ウィーズリー、マルフォイの根を切ってあげなさい」

 はあっさりと言い放ち、そちらに背を向けて歩き出す。振り返る前にウィーズリーの顔が怒りに赤くなるのが見えた。

「せんせーい、ウィーズリーが僕の根を滅多切りにしました」

「ウィーズリー、あなたの根とマルフォイの根を取り替えなさい」

「先生、そんな    

今すぐよ

 はウィーズリーの手元で大小不揃いに切り刻まれた根を見下ろしながら面倒臭そうに言った。ウィーズリーは屈辱的な顔で綺麗に切り揃えた方の根をテーブルの向こう側のドラコへぐいと押し付ける。がその場を離れた後ドラコはまた萎び無花果の皮を剥いて貰わないとと言ったのでセブルスはそれをハリーに言いつけて生徒たちの机の間を歩いて回った。はスリザリン生たちの固まっているところを回り、丁寧にアドバイスを言いながら辺りを見渡す。セブルスはネビルの大鍋から薬を柄杓で掬い上げて上からタラタラと垂らし入れていた。

「オレンジ色か、ロングボトム」

 縮み薬は成功すれば明るい黄緑色になるはずだった。

「オレンジ色…。君、教えて頂きたいものですな。君の分厚い頭蓋骨を突き抜けて入っていくものが何かあるのかね。我輩ははっきりと申し上げたはずだが?ネズミの肝臓は一つでいいと。聞こえなかったのかね。ヒルの汁はほんの少しでいいと。ロングボトム、我輩は一体どうすれば君に理解して頂けるのかな」

 大抵はセブルスがグリフィンドール生にどれだけの嫌味を言おうがも気にはかけない。だが今日ばかりはなぜか虫でも入り込んだかのように胸の内が不快にうねった。目を逸らし、気付かなかった振りをしてザビニの鍋を覗き込む。

「ロングボトム、このクラスの最後に、この薬を君のヒキガエルに数滴飲ませてどうなるか見てみることにする。そうすればきっと、君もまともにやろうという気になるだろう」

 ザビニの顔を見ながら、イモムシは1センチ間隔に均等に切った方がより効果を得られると言った後、とうとうは舌打ちしてセブルスの方を見た。ネビルは涙目で真っ赤になり震えている。その場を立ち去ろうとしたセブルスに歩み寄り、疎ましげに視線を上げた。

「教授」

 セブルスは物憂げに首を捻り、眉を顰めてを見る。

「何か?」

「教授、この際ペットは関係ありませんよ。飲ませるのならロングボトム本人にしては如何ですか。それならば作り方が誤っていても彼は精々医務室送りで済みます。ペットを死なせるのも後味が悪いでしょう」

 ぴくりと片眉を上げてセブルスはじっとを睨んだ。はうんざりと吐息してその眼を見つめ返す。授業中こうしてがセブルスに意見することは全くといっていいほどなかったので生徒たちも驚いて二人を見た。ドラコはあまりに大きく口を開けすぎたせいで顎が外れそうになっている。

 だがセブルスはすぐにから視線を外し、いつものマントを翻して彼女とは反対方向へと歩き始めた。

「口出しは無用ですな、助教授。ロングボトム、先ほど言った通り授業の終わりには君の薬をヒキガエルに試す」

「スネイプ教授」

 はきつい口調でセブルスの背中に呼びかけたが、彼は振り向きもせずにそのまま他のグリフィンドール生の鍋を覗きにかかる。は呆れた風に首を振り、ネビルの顔を見ないままスリザリン生たちの方に戻った。スリザリン生は何も言わなかったが訝しげにをちらちら見たり、心配そうな顔をした者もいる。「集中しなさい」と言うと彼らは大人しくそれぞれの大鍋を掻き回した。

 薬を煮込んでいる間に生徒たちが片付けを済ませ、いよいよ授業が終わるという頃セブルスは大鍋の側で縮こまっているネビルの方へと大股で近付いていった。

「諸君、ここに集まりたまえ」

 セブルスが暗い眼をぎらつかせてネビルからヒキガエルを取り上げる。は生徒たちの後ろから遠巻きにそれを眺め、苦々しげに顔を顰めた。グリフィンドール生は恐々と見守り、スリザリン生は嬉々としてその様子を見物している。セブルスは取り出したスプーンでネビルの大鍋から今は緑色をしている水薬を掬い上げて2、3滴をヒキガエルの喉に流し込んだ。

 一瞬辺りはしーんと静まり返った。誰もが息を飲んで見守る中、ネビルのヒキガエルはポンと軽い音を立ててセブルスの手の上でオタマジャクシになった。

 グリフィンドール生は歓声をあげて一斉に拍手する。セブルスはあからさまに不満げな顔をしてポケットから出した膨れ薬をオタマジャクシの上に落とした。またポンと音がして彼の手に元通りのヒキガエルが現れる。しかしセブルスはそれをテーブルに放り出してぶっきらぼうに言った。

「グリフィンドールは5点減点」

 グリフィンドール生の顔から突然笑いが吹き飛び、スリザリン生はニヤニヤ笑いで互いに顔を見合わせる。セブルスは苛立たしげに目を細めて吐き捨てた。

「手伝うなと言ったはずだ、グレンジャー」

 グレンジャーはぱっと赤くなって唇を噛み締める。だが煮えたぎるのはグリフィンドール生ばかりではなかった。は舌打ちして全員に聞こえるようにと声を張り上げる。

「よくやったわ、ロングボトム。グリフィンドールに10点」

 セブルスは物凄い勢いで振り返り、生徒たちも天変地異かとばかりに目を丸くする。この10年、グリフィンドールに加点したことは片手の指で足りるほどにしかなかった。おまけにこの学年では、一度たりともない。セブルスが口を開くよりも先には今日の授業はこれで終了と叫んだ。

助教授」

「何ですか。加点や減点の権限はあなただけにあるのではありませんよ」

「お前、何を考えて    

「授業は終了!全員、早急に出て行きなさい!

 提出された試験管の入った箱を抱えて保管庫への通路に差し掛かったは後ろを追ってくるセブルスを無視して、まだ教室に残っている生徒たちを怒鳴りつけた。戸惑った様子のスリザリン生もそそくさと去っていく。ひとまず保管庫に薬を置いたが振り返ると憤りに顔を歪めたセブルスが通路を塞いで立った。

「退いて下さい」

「…どうした」

「何が」

「おかしいだろう。どう考えても」

「だから、何が」

「お前がだ」

「…私が?」

 眉を上げて、は探るようにセブルスを見る。それから嘲るように唇の端を持ち上げてみせた。

「私じゃない。あなたよ」

「…俺が?」

 言葉の調子を真似てセブルスも訊き返す。堂々巡りだ。互いに嫌な笑い方で肩を揺らしながら目を逸らした。訪れた沈黙に乾いた唇を舐める。それから黙って脇に避け、セブルスはを通した。

 二人の間にあるものが変化したのではない。変わったのだとすればそれは各々の中に潜む何かだ。たとえばにとっては獄中での生活だったり、リーマスとの再会であったり、そういった大きなものが生んだ変化は些細なようであって確実に影響をもたらす。どうすればいいのかは分からなかった。難しすぎたのだ。セブルスと交わるには、自分はあまりにそれが困難な人々と関わりすぎた。今頃蒸し返されても、ただこの関係の変化に目を瞑るしかない。








 職員室にいると聞いたセブルスを追ってスプラウトからの書類を片手にドアを押し開けると、そこにいたのはリーマスとグリフィンドールの3年生だった。彼の傍らにある洋箪笥はわなわなと危なっかしげに揺れている。生徒たちは中に入り込んだまね妖怪に怯えているようだったが、興味深そうにを見た。昼食前の授業であんなことがあったばかりなので気まずい思いをしながら口を開く。

「…ああ、今日でしたか。聞いていなかったもので…失礼しました」

「いいえ。スネイプ先生なら、つい先ほど出て行かれましたよ」

 リーマスが箪笥に向けた杖を下ろしながら朗らかに告げる。そうですかと言って閉めかけたドアの向こうで彼は微笑んで続けた。

「これからまね妖怪の実習をするんですが、ご覧になられますか」

 彼のすぐ側で青ざめてヒッと悲鳴をあげたネビルをちらりと見て、は首を振る。

「いいえ、見たくはありませんので」

 するとリーマスはなぜか小さく噴き出した。今度は彼の方がそうですかと言ってまた杖を上げる。がドアを閉めて歩き出すと、壁越しに「準備はいいかい」という彼の声が聞こえてきた。セブルスの顔をしたまね妖怪がネビルの祖母の恰好をして躓いたという噂を耳にしたのはその日の夕方だ。何も知らない彼がカリカリと羽根ペンを走らせる様を見て、唇を開きかけ、何も言わずにそのまま膝の上の本を開いた。