見舞いに来てくれたハグリッドがやけに上機嫌なので一体何があったのかと問い掛ければ、彼はあまりの嬉しさに頬を上気させながら「お、俺が魔法生物飼育学の先生になったんだ!」と吼えるように言った。
「ハグリッド!ここは病室ですよ!」
「あ、あぁ…す、すまねぇ…」
オフィスから顔を出して厳しい口調でたしなめたポンフリーにハグリッドはばつの悪い顔で肩を竦めたが、彼女が扉の向こうに引っ込むとまたにたーっと心底嬉しそうに口元を綻ばせた。
「俺がずーっとやりたかった仕事なんだ…偉大なお方だ、ダンブルドアは。こんな、こんな俺んとこへまーっすぐ来なさった…」
「そう。良かったわね」
はマクゴナガルから借りた本を布団の上に開いたまま顔を上げてハグリッドを見た。アズカバン生活で衰弱した身体に最も効果的なのは幸福感だ。それもあってダンブルドアは今回の人選を行ったのだろう。まったく食えない人だとは表情には出さずに笑った。
「それで、教材は順調に揃ってるの?」
「ああ、きっとお前さんも気に入るぞ!詳しいことはまだ秘密だがな」
ハグリッドがまた大きな声を出したので、カンカンになったポンフリーが奥から出てきて彼を医務室から追い出した。もう随分と調子も良くなり退院も近いというのに、校医は神経質が過ぎる。だが強要されて身体を休ませる時間があるというのも、悪くはない。
同時に、今もせっせと働いているであろうセブルスを思った。
(…休ませないと、…)
だがそれこそ足の一本や二本へし折ってやらなければ、あの男はきっとそうしないだろう。一刻も早く退院しようと、は手元の本を握ったままそっと瞼を閉じた。
偶然なのか、意図的なのか。ポンフリーから退院許可を言い渡され医務室を後にしたは、そのままセブルスに連れられて校長室に向かった。彼は何も言わなかったがその表情は随分と硬く、大きな何かがあったと知るには十分だ。螺旋階段を上がり扉を押し開けると、既にそこにはマクゴナガルとハグリッドが来ていた。ダンブルドアが立ち上がり、セブルスとにも中に入るよう促す。その場の誰もが深刻そのものの顔をしており、は気が竦むように思った。
「退院したばかりじゃというのに、いきなり呼び立ててすまんかったのう。身体の方は大丈夫かね」
「はい。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「…2月も、あのような場所で過ごしたのじゃ。魔法省を止められなかったわしにも責任はある。ハグリッド、、2人ともすまなかった」
苦しそうに瞼を伏せたダンブルドアに、ハグリッドは慌てて首を振る。
「ダンブルドア先生のせいじゃねえです!先生はいつだって最善を尽くしなさる…」
「 それより、校長。何か大切なお話があるのでは」
静かに、事務的な口調でが言い放つと、小さく頷いたダンブルドアは再び椅子に腰を下ろして集まった4人をさっと見渡した。
「…さて。、君は入院中新聞に目は通していたのかね」
「いえ。頭を使って疲労させないようにと…校医に禁じられていましたので。ですからこの1月ほどのことは全く」
するとダンブルドアは引き出しから取り出した新聞を一つ、物憂げにに突き出した。片手でそれを受け取り、四つ折りにされた予言者新聞をすぐに広げる。日付は昨日のものだ。
ぱっと視界に飛び込んできた一面記事を見て、は心臓が跳ね上がるのを感じた。誰もが、真剣な眼でを見ている。いや、セブルスだけは真っ直ぐ前を向いているばかりだ。は急いでその記事に目を通した。
やがて、顔を上げた彼女はダンブルドアを見てゆっくりと口を開く。乾いた喉は思った以上に掠れた声を出したので、さり気なく唾を飲み込んだ。
「…これは、事実ですか」
ダンブルドアの青い瞳はあの時と同じ影を帯びて瞬きもしない。それだけで、言葉など必要なかった。だがダンブルドアは、頷きながらそれを口にした。
「昨日から…そのことで魔法省に行っておった。シリウス・ブラックがアズカバンから脱獄…確認は、取れた。間違いない」
吸魂鬼にでも囲まれているかのような冷気が背筋を撫でたが、軽く頭を振っては新聞をダンブルドアの机に押し戻す。目を閉じ、数回静かに深呼吸を繰り返してからやっとのことで落ち着いた声を出した。
「…それで、我々が集められた理由は?」
「うむ。本題はそこじゃ」
ダンブルドアは戻された新聞には目もくれず、また4人の顔を見上げて一つずつ確認するようにゆっくりと語り始める。
「ブラックが如何にしてアズカバンを脱獄したのか、何しろ前例もない故その見当はまったくつかぬ。じゃが我々にとって重要なのはそこではない。ブラックが脱獄した以上…彼の目的、彼が一体どこへ向かったのか…それこそが問題となる」
「…脱獄の目的は、見当がついているのですか」
は視線を下ろしたまま、机の上の新聞を見ていた。それが目的ではない。ただ見下ろした先にそれがあったからだ。四つ折りにされたそこには脱獄囚の写真が半分ほど見えていた。もつれた長い黒髪、すっかり痩せこけた頬…ただ強い光を湛えたそのグレイの瞳だけは、あの頃のままのような気がした。そうか、生きていたのか、…。
「看守が、ブラックのうわ言を何度も聞いておる。『あいつはホグワーツにいる…あいつはホグワーツにいる』」
は顔を上げてダンブルドアを見た。彼がじっとこちらを見ているような気がしたのだ。しかしダンブルドアは4人全体を広く見渡すようにしていた。
「どうやら魔法省では、それがハリーのことだと考えておるようじゃ。ヴォルデモートの腹心の部下であったブラックは、主人が凋落する原因となった彼を始末すればまたあやつの権力が戻ると、そう信じておるに違いないと…」
マクゴナガルは真っ青になって声にもならない悲鳴をあげ、ハグリッドはひどく衝撃を受けた顔をしていたが同時に込み上げる憤りを隠し切れないようだった。セブルスは顔色一つ変えないが、ほんの少しだけ眉を顰める。
「それならすぐにでもポッターの安全を確保しなければ…」
「ミネルバ、休暇中はその心配は無用じゃ。あの家にさえおればハリーの身の安全は保障されておる。問題は新学期が始まってからじゃ。魔法省はホグワーツに吸魂鬼を配備するようわしに要請してきた」
今度はが息を飲む番だった。ハグリッドも青ざめて身震いする。握り締めた拳をやっとのことで解き、は強く首を振ってみせた。
「校長、いくら何でもそれは…ホグワーツは子供たちの多く集まる場所です。プラスのエネルギーに満ち溢れた…それこそ吸魂鬼の恰好の餌食に為り得ます。あんな生物をホグワーツに配備するなんて…私は反対です」
「ダンブルドア先生様、俺もと同意見です。あんな…あんな恐ろしいもんを子供たちに近づけるなんぞ…」
まさにあの生き物の脅威に苛まれたばかりのとハグリッドにとって、考えるだけで恐ろしいことだった。ダンブルドアはますます深刻な顔になり、組み合わせた手のひらを顎に当てて溜め息を吐く。
「…それは、わしとて同じ気持ちじゃ。出来る限りそれだけは避けるつもりでおるが…しかし状況が状況だけに、どうなるかは分からぬ」
目を閉じて俯き、静かに息を吐いたに、ダンブルドアは唐突に言った。
「」
ぱっと目を開き、眼球だけを動かしてダンブルドアを見る。彼のブルーの瞳は彼女だけを真っ直ぐに見ていた。
「君は、どう思う。ブラックの脱獄の目的について」
どうして私に、という言葉をは唾をともに飲み込んだ。口元を引き結び、頭の中を巡る様々な記憶を脇に押し除けてから薄く唇を開く。
「…ブラックが狂っているというのなら、魔法省の推測通りでしょう」
「。わしが聞きたいのは、君の意見じゃ」
やめてくれ。きつく目を閉じ、乾いた喉に唾を流し込んではゆっくりと瞼を上げる。セブルスは視界の片隅でを見ていた。
「 それが、私の意見です」
そうか、と言ってダンブルドアはマクゴナガルたちにも視線を戻した。
「さて、みなも知っておるように…ブラックは12年前、ポッター夫妻の秘密をヴォルデモート卿に打ち明け、自らを追ってきたペティグリューと12人ものマグルを惨殺したという事実から…ヴォルデモートの腹心の部下であったと思われる。故にブラックが脱獄し主人の復活のためにハリーを狙っているとすれば…遅かれ早かれあやつと接触することになろう。そうなればあやつの下にはまたかつての支持者が集う…そうなるとこちらとしても手を打たねばなるまい。しかし今はまだ、動くべきではない。今はただ、味方集めに徹するべきじゃろう。信頼できる筋があれば、まずはわしに伝えて欲しい。少しずつじゃが、騎士団を再編成していく」