ルシウスが言っていたのはこのことかもしれないと考えるようになったのは、ニ人目の(猫を一人目と数えるのならばという意味だが)犠牲者が出た後のことだ。一人目はスクイブの猫、二人目はマグル生まれ。その少し前にも呪いをかけられたらしいブラッジャーがハリーを執拗に追い回すという事件があり、いよいよダンブルドアは秘密の部屋が再び開かれた≠ニいう結論を導き出した。

「つまりそれは…まず間違いなく、帝王が関わっているということですね」

「ハリーが狙われたことを考え合わせても、その推測は外れてはおるまい」

「でもそんな…昨日の今日ですよ。それに、帝王はクィリナスの身体に寄生しなければ動けないほどに力を失っていました。もしも彼が秘密の部屋を開いたのだとすれば…また彼はホグワーツの内部に手足を見出したということになります。ですが、該当しそうな人間は少なくとも教職員の中にはいません。彼が子供を使うとは到底考えられませんし何もかも説明がつきません」

「我輩も同感ですね。校長、今回の件は腑に落ちないことばかりです。我輩も助教授もある程度の闇の魔術には対抗できると自負しておりますが、あのブラッジャーには我々の反対呪文はまったく効きませんでした。校長の反対呪文が効かない石化の呪いは秘密の部屋の怪物によるものと考えられますが、競技場にその怪物がいたとは考え難い。何もかもが、不可解です」

「だからといって一つの推測も立てずにただ指を銜えて見ておるわけにはいくまい。他に何か考えでもあるのかね」

 ダンブルドアが僅かながらに苛立つ素振りを見せて問う。もセブルスも気まずそうに瞼を伏せて首を横に振った。確かにダンブルドアの言うことはいつも、いや大抵は間違っていない。その推測も言い分もだ。

「問題はあやつがどうやって秘密の部屋を開いたか、じゃが…じっと考えていても始まらぬ。とにかく夜中の子供たちの外出禁止と、城内の見回りを徹底して欲しい」










 ルシウスのことは、ダンブルドアには話さなかった。もしもルシウスが秘密の部屋のことを何か予め知っていたのだとしても、彼はスリザリンの血を引く人間でないのだから部屋を開く方法を知っているとは思えない。開けられるのはあくまで帝王だ。そうである以上下手にルシウスを突くのは危険だと判断してのことだった。

 グリフィンドールの1年生、クリービーが襲われてからというもの校内では怪しげな護身用グッズの取り引きが爆発的に流行りだした。たち教師も気付いてしまったからには取り締まらないわけにはいかない。ついさっきハッフルパフのボーンズから腐ったイモリの尻尾を取り上げたところだ。

「こんなもので怪物≠ゥら護られるのなら随分と安上がりね。名高いボーンズ家の長女がこんなつまらないものに頼るなんて情けないこと」

 泣きそうな顔をしたボーンズは5点の減点を言い渡すとあっという間に逃げていった。叔父を殺させたのが私だと知ったらあの子もまたハリーと同じように憎悪の視線を向けてくるのだろうか。摘んだイモリの尻尾をポケットに放り込み、ちんけなものだが薬学の材料の一つにはなるなと考えながら地下への道のりをきびきび歩いた。ポケットの中には既に取り上げた護身用グッズ(とは名ばかりの胡散臭い小物ばかりだ)が山とある。

 その日の午後だった。何か企みがあるに違いないと見当をつけていた自分の勘も捨てたものではない。ゴイルの鍋の中身が爆発して膨れ薬の飛沫が辺りの生徒たちに降りかかる中で、はどさくさに紛れて教室を抜け出すグレンジャーの姿を見た。

「静まれ!静まらんか!薬を浴びた者はぺしゃんこ薬をやるからここへ来い!誰の仕業か判明した暁には     

 判明した暁にはセブルスがその生徒をどうするつもりなのかは分からず仕舞いだった。もまたグレンジャーを追ってそっと教室を出たからだ。潜めた足音は自分たちの研究室の方へと続いている。は素早くその後を追いかけた。恐らくアロホモラ呪文で鍵を開けたドアを押して、グレンジャーが慌てた様子で研究室に飛び込む。

 こっそりと覗き見た研究室の中では、グレンジャーがセブルスと個人の薬棚をごそごそと必死になって漁っていた。掴み取ったそれ≠持って振り向いたところへ。

「御機嫌よう、グレンジャー。探し物かしら」

 薄く開いていたドアを思い切り開け放してはニコリと笑ってみせたが、グレンジャーは一瞬で真っ青になってそれこそ石化の呪いでもかけられたかのように硬直する。いっそ本当に石になってしまえと喉の奥で吐き捨てたが、おくびにも出さずに後ろ手でドアを閉めて彼女に歩み寄った。その手に握られた材料を見て、へえと声をあげる。

「ニ角獣の角に、毒ツルヘビの皮…ねえ。どうやらスネイプ教授のお話をきちんと聞いていたようね。感心だわ」

 どれだけが愛想よく微笑んでみても、グレンジャーの顔付きは強張るばかりだ。汗ばんだ彼女の拳が小刻みに震える。いい気味だとほくそ笑んでそれを見、ふと思いついた考えににたりと唇を歪めた。

「…ねえ、グレンジャー。教授には黙っていてあげてもいいわ。お望みの材料も分けてあげましょう」

 ぱっと顔を上げたグレンジャーが信じられないとばかりに目を丸くするが、は彼女の手から材料を丁寧に取り上げて吟味するように一つずつ愉しみながら眺める。それから視線を上げて、ただ茫然と瞬くグレンジャーを見た。

「ポリジュース・ポーション…そんなものは大抵の学生生活には必要ないわよね。こんなことが知れたら詳しい追及は免れないわ。でも私ならこの薬棚の管理も行っているから適当にスネイプ教授を丸め込むことが出来るわよ。理由は聞かないし、後になって咎めたりもしない。その代わり、私の質問に答えて欲しいの。悪い話じゃないでしょう?」

 グレンジャーは渋い顔をして窺うようにを見上げたが、ニ角獣の角と毒ツルヘビの皮をちらつかせると唇を引き結んでぎこちなく頷いた。いい子ね、と満足げに呟き腰を折って相手の顔を覗き込む。

「言っておくけれど、嘘をつけばその分後でツケが回ってくるわよ。正直に答えなさい。ハロウィンのあの日、あの廊下で一体何があったの」

 期待するようにの手中にある材料を見ていたグレンジャーの身体が一瞬で強張る。見開いた眼はを怯えて見つめたまま動かない。このまま心を覗き込んでしまえば容易いがは敢えてグレンジャーが自ら語るのを待った。そうすることが条件だからだ。無理やり心に押しかければ持ちかけた契約をこの手で破棄することになる。

 時計の針にすればほんの数十秒のことだったが、ハーマイオニーにとってそれは随分と長く感じられた。何と答えれば良いのか、正直に言わなければポリジュース薬は作れない。だが誰にも聞こえない声が聞こえるのはロンに言わせれば魔法界でも狂気の沙汰で、それこそハリーの容疑を濃くしてしまうかもしれないのだ。第一事実を語ったところでが約束を守って自分を突き出さないなんてことが有り得ようか。

契約は守るわ。あなたが条件を飲んでくれるのならね」

 心の内を見透かされたようで、ハーマイオニーはびくりと身を強張らせた。まさかは人の心が読めるのだろうか。そういえばスネイプに対しても同じようなことを感じたことがある。だが今度は何も言わずにがじっと彼女の言葉を待っているので、ハーマイオニーはとうとう消え入りそうな声でぽつぽつと話し始めた。

「…あの晩、スネイプ先生の言う通り、絶命日パーティでは私たちが食べられそうな食事は全く出ませんでした。それで、お腹が空いていたので急いでハロウィンのパーティに行こうとしたんです、でも…ハリーが…」

 グレンジャーはそこで言葉を途切れさせたので、は首を傾けてその先を促す。ここで時間を食って教室のゴタゴタが収まってから戻ればそれだけでセブルスが不審がるだろう。

「…ハリーが、私たちには聞こえない声を聞いたんです」

 やっとのことで呟いたグレンジャーの言葉に、は唇からぱっと笑みを消して真顔で相手の眼を見据える。ハーマイオニーはやはり言うべきではなかったろうかと悔やんだが、はすぐさま彼女から視線を外して目を細め、眉を顰めて空いた方の手を顎に当てる。グレンジャーやウィーズリーには聞こえない声。ハリーにだけ、聞こえる…。はグレンジャーに視線を戻してきつく問い掛けた。

「あなたたちはその声を追って3階の廊下に向かったというの?一体、どんな声?」

「え、っと…実はハリー、前にも同じ声を聞いたことがあるみたいで…ロックハート先生の部屋で罰則を受けていた時だったと思います。ロックハート先生もその声は聞こえなかったみたいで…確か、えっと…ハリーは、その声が誰かを殺すつもりだって…」

「…」

 それならばハリーはミセス・ノリスを襲った犯人の声を聞いたというのか。だがどうしてハリーにしか聞こえない?人間の言葉ならまず誰の鼓膜にも同じように届くはずだ。だったらそれは、少なくとも帝王の声では、ないはず…。

 秘密の部屋の怪物か?それにしても、なぜ、ハリーにだけ…。

「その声のことを、もう少し詳しく話してもらえるかしら」

 グレンジャーは驚いた顔で慌てて首を振る。彼女の豊かな栗色の髪が跳ねるようにして広がった。

「私も聞いたわけではありませんから…その声のことは、ハリーにしか分かりません」

「…それじゃあどうして、あの日そのことを我々に話さなかったの。ダンブルドア校長にすら言わなかったでしょう。もしそれが本当ならあの後すぐに城内を探せば犯人を見つけられたかもしれないのに」

「す、すみません…でも、信じてもらえないと、思って…」

「それはあなたたちが判断することじゃないわ」

 項垂れるグレンジャーに冷たく言ってみせたが、は悟られない程度に唇の端を持ち上げて自嘲気味に息を吐く。あの時ハリーが本当のことを話していたところであまりに唐突過ぎて自分たちも戸惑ったろう。どちらにしても犯人を挙げられた可能性は低い。は左手に掴んだニ角獣の角と毒ツルヘビの皮をグレンジャーの汗ばんだ手に押し付けた。グレンジャーがぱっと顔を上げて何度も瞬きを繰り返す。

「いいわ。参考にはなったから。お望みの材料も事情聴取なしにプレゼントしてあげる。それから」

 言いながらすぐ傍らのデスクに置いてあった羊皮紙の巻紙を取り上げる。ほんの5インチほどを適当に切り取って、左手で摘んだそれを目の前に掲げた。グレンジャーが不思議そうにそれを見る。は取り出した杖先でその羊皮紙の真ん中を軽く撫でながら2、3語短い呪文を唱えた。

 ボッと音を立てて羊皮紙から蛇のように立ち昇った青白い炎が天井を焦がして燃え上がる。ハーマイオニーは声にもならない悲鳴をあげて飛び上がったが、気付いた時には炎は消え去りは何事もなかったかのように黒焦げ一つない羊皮紙の切れ端をこちらに無言で差し出してきた。わけが分からずポカンと口を開けてその紙を見つめる。

「持っていきなさい。どうせ私のことなんて信用してないんでしょうから」

「え、そ、そんなことは…あの、これは何ですか」

「魔法の契約書よ。あなたは条件を飲んだのだから私は契約を守る必要がある。ポリジュース・ポーションが必要な事情を私は聞かないし、後であなたたちを咎めることもしない。どうせ信じていないでしょうから、私だって契約≠ヘ守るのだというその証よ。意味がよく分からないのなら後でウィーズリーにでも訊いてみることね。先に行きなさい。材料はローブの下に隠して。スネイプ教授に何か言われたら、に呼び出されていたと答えなさい」

 急いで深々とお辞儀したグレンジャーは飛ぶように研究室を出て行った。ドアが閉まったのを確認してからは私室に戻って本棚から分厚い本を抜き出して乱暴に捲る。どうせあの騒ぎでは時間内に調合できる生徒などいないだろう。今はそれよりもグレンジャーの話が気になった。声。ハリーにしか聞こえない、声。誰かを殺すつもりだというそれは恐らく今回の事件を引き起こしている怪物のものだろう。だがそれだけではあまりに情報が少なすぎる。秘密の部屋の怪物が一体何なのか…鍵はそこにある。そしてヒントは、ハリーの聞いた声だけ。取っ掛かりが、あるはずだ。ハリーにしか聞こえない、聞こえない…。

 真っ先に浮かんだのは、蛇語だ。だがそれは有り得ない。蛇語を話せるのはサラザール・スリザリンの直系で、現在生き残っているスリザリンの末裔は帝王と私だけ。それでも原理は同じだろう。ハリーは人間ではない何らかの生き物の言語を話せる魔法使いの子孫で、その力を受け継いでいるのかもしれない。それが分かれば怪物の正体にも近付けよう。何か、情報が欲しい。魔法生物の事典を懸命に捲った。思い出せ。もしもハリーにそういった力があるのなら、ジェームズも同じ能力を持っていたはずだ。思い出せ。何かないか、何か。

 だがジェームズは動物もどきではあったが、それも後天的な力だし動物の言葉を話せた記憶はない。どれだけ調べても頭を捻ってみても考えは浮かばず、肩を落としながら戻った薬学の教室からは既に授業を終えた生徒たちが疎らに出て行くところだった。ローブの前部分を少し膨らませたグレンジャーがハリーやウィーズリーの後ろについて歩きながら軽く頭を下げて去っていく。はそれには無反応で教室の中へと入った。教卓の上でどうやら無理やり提出させたらしい生徒たちの試験管を並べているセブルスがひどい仏頂面で睨んでくる。それでも涼しい顔をしてそちらに近付いていった。

「…お前、授業を放り出してどこにいた」

「そんなに怒らないで。ごめんなさい」

「どこにいたと訊いているんだ。お前が消えたせいで膨れた奴らをぺしゃんこにするのにいつもの倍以上時間がかかった」

「これで私の大切さが身に染みて分かったでしょう」

「…お前、いい加減に」

 生徒たちが完全にいなくなった教室でとうとうセブルスは苛立ちを募らせて声を大きくしたが、は彼の乾いた唇の前に静かに平手を伸ばしてそれを制す。深いしわを刻み込んだ眉間にもう一本しわを増やしてセブルスは歯噛みする。だがはそれを物ともせずに、誰もいないと分かってはいるが2人の間にある教卓に身を乗り出して声を潜めた。

「少し気になる情報を得たの。帰ったら話すわ。取り敢えずこれを保管庫に移しましょう」

 言ってが生徒たちの提出した薬の束を一つ持ち上げる。丸め込まれたとセブルスは舌打ちしてみせたが、彼女はとっくに背中を向けて隅の保管庫へのドアを足で押し開けた。ふうと肺の底から吐き出すように息を吹き、セブルスも試験管の固まりを取り上げて気だるげに動いた。うまく言えないが、問い質すのも馬鹿馬鹿しいと思ったのは事実だ。










 ハリーだけに聞こえた声の話はセブルスの関心をも引き付けたが、潤沢な彼の知識をもってしてもその声の正体が何なのかは見当もつけられなかった。他の誰にも聞こえない声が聞こえるのは狂気の沙汰と言われるが、それはすなわち蛇語を話せるということであり蛇語を話せるということは邪悪な魔法使いの証明だという等式が成り立つからだと言われているせいらしい。確かにあながち間違ってはいないとは唇の端で薄く笑ったが、それではハリーがロックハートやグレンジャーには聞こえない声を聞いたという事実が成立しない。考えあぐねて訪れたダンブルドアの部屋で、とセブルスはロックハートに出会った。

「…決闘クラブ、ですか」

「ええ、その通りです!たった今校長先生から快く許可を頂いたところなのですよ!物騒な事件が続いていますからね、生徒たちに私の豊富な経験を教え伝える場を設けるべきかと思いまして!」

 ロックハートはやはり白い歯を見せて誇らしげに笑いはうんざりと息を吐いたが、ダンブルドアは少しも困った顔を見せずに朗らかに微笑んでいる。まったくよくやるものだと嘲るように喉の奥で呟いてみせたが、その直後傍らのセブルスが言った言葉には度肝を抜かれてしばらく唖然としてしまう。

 セブルスは意地の悪い笑みを唇に滲ませ、ロックハートを見てこう言ったのだ。

「ほう…なかなか面白い。決闘の手順ならば我輩も些か心得ていますのでね。どうでしょう、ロックハート教授。一つ手合わせを願えますかな。もちろん生徒たちへの、模範演技としてですが」

 たとえ頭を下げられたとしても(尤もロックハートがそんなことをしてまで頼み込むとは思えないが)馬鹿馬鹿しいと一蹴しそうなセブルスが自分から面倒なことに首を突っ込む。ロックハートも驚いたようだったが、彼は自慢げに笑いながら「もちろん大歓迎ですよ!大丈夫です、先生。あなたのご同僚は必ず無事な姿でお返し致しますよ!ご安心を!」と言ってのけた。ダンブルドアは相変わらずニコニコしている。

 きっと今自分はダンブルドアとほとんどまったく同じことを考えているのだろうと、は本能的な部分で確かにそれを感じ取ったように思った。




(…決闘、ねぇ。まあ、いい思い出はないわね)