はその見開かれた眼とほとんど同じ色を浮かべたものを見たことがあった。尤もそれは猫ではなく、列記とした人間のそれだが。セブルスも同じものに思い当たったのだろう。磨き上げられたデスクに載せられてダンブルドアが念入りに調べる痩せこけた猫をじっと見ていた。
「猫を殺したのは呪いに間違いありません、多分異形変身拷問の呪いでしょう。何度も見たことがありますよ。私がその場に居合わせなかったのはまことに残念です。猫を救う、ぴったりの反対呪文を知っていましたのに…」
ロックハートは机を囲むダンブルドア、マクゴナガル、セブルス、そしての周りをうろうろしながら好き勝手に馬鹿馬鹿しい意見を並べ立てている。フィルチは脇の椅子にがっくり座り込み、両手で顔を覆ったまま激しくしゃくり上げた。嫌いだからといって少しきつく当たり過ぎたか、こうなることが分かっていれば学生時代からもう少し労わってあげるべきだったとはぼんやりと考える。その間にダンブルドアは小声で呪文を唱えてミセス・ノリスを杖先で軽く叩いた。やはり、何も起きない。
「そう、非常によく似た事件がウィドウィグで起こったことがありました。次々と襲われる事件でしたね。私の自伝に一部始終書いてありますが。私が町の住人に色々な魔除けを授けましてね、あっという間に一段落でした」
ついに背後に回ってきたロックハートがすぐ傍でまくし立てるものだからはうんざりした面持ちで少しだけ振り向き、冷ややかな口調で静かに言った。
「少し…お静かにお願いできませんか、ロックハート先生。ダンブルドア校長が調査中です。それに、ミセス・ノリスは死んでなどいないと見受けますが」
ロックハートはポカンと口を開けて目をパチクリさせたし、マクゴナガルも顔を上げて驚いた風にを見る。ダンブルドアもセブルスも彼女の言葉には反応を見せなかったが、手のひらからぱっと顔を離したフィルチは真っ赤に腫れ上がった眼で憎々しげにを睨み付けた。
「死んで、いない?お前、いい加減なことを…!」
悲しみのあまりかフィルチの声は随分と不自然に上擦っている。はさっと彼から視線を外してまだ猫を調べているダンブルドアを仰ぎ見た。
「違いますか、校長」
やっと身を起こしたダンブルドアが、振り返って穏やかにフィルチを見る。
「の言う通りじゃ。アーガス、ミセス・ノリスは死んではおらぬ」
「そ、それじゃあ、どうしてこんなに…こんなに固まって、冷たくなって…?」
「石になっただけじゃ」
ダンブルドアが言うとフィルチはぱっと椅子から飛び上がり凍ったように動かないミセス・ノリスに駆け寄って縋りついた。すすり泣く彼の後ろ姿はにとっても憐れでならない。ロックハートは「やっぱり!私もそう思いました!」と叫んだが誰もが無視した。
「但し、どうしてそうなったのは、わしには答えられぬ…」
「あいつに訊いてくれ!あいつに!」
フィルチは涙で汚れ、まだらに赤くなった顔で後ろの方に立つハリーを睨んだ。だがダンブルドアは小さく首を振ってはっきりと言う。
「2年生がこんなことを出来るはずがない。最も高度な闇の魔術をもってして初めて…」
「あいつがやったんだ!あいつだ!」
ぶくぶく弛んだ顔を真っ赤にしてフィルチが吐き出すように怒鳴る。彼のしわだらけの指先がハリーを指差して震えた。
「あいつが壁に書いた文字を読んだでしょう!あいつは見たんだ、私の事務所で…あいつは知ってるんだ、私が…私が…私が出来損ないのスクイブだって!」
これにはも驚いたが、よくよく考えれば確かに学生時代からフィルチが魔法を使うのを一度も見たことがなかった。あれだけ昔から生徒の悪戯の標的にされていたのだから使えるのなら躊躇わずに魔法を使ったに違いない。ハリーはスクイブが何かも知らないと言ったがフィルチはしつこく食い下がる。そこへ今まで黙り込んでいたセブルスが、やっと静かに口を開いた。
「校長、一言宜しいですかな」
「何かな、セブルス」
じとりと首を捻ってハリーたちを一瞥してから、セブルスは暗い瞳を瞼の奥に潜めて冷たく笑う。
「ポッターもその仲間も、単に間が悪くその場に居合わせただけかもしれませんな」
自分はそうは思わないが、とばかりに目を細めたセブルスが口元を歪めてまた子供たちを見る。
「とはいえ、一連の疑わしい状況が存在します。彼らはなぜ3階の廊下にいたのか。なぜ3人はハロウィンのパーティにいなかったのか」
するとハリーたちは一斉に絶命日パーティのことを話し始め、そのことは何百人もいたゴーストが証明してくれるだろうと言った。
「それではその後なぜパーティに来なかったのかね」
セブルスの眼がますます意地悪くほくそ笑む。
「なぜあの廊下に行ったのかね」
「それは…つまり…」
ウィーズリーとグレンジャーがハリーの顔を窺うように見つめ、ハリーは脂汗を浮かべながら不自然にこちらから目を逸らした。目を合わせねば心の奥を覗き見ることは出来ないが彼らが隠し事をしているのは明白だ。ハリーは俯いたまま、恐る恐るといった風に言った。
「僕たちとても疲れていたので、早くベッドに行きたかったものですから」
「へえ、夕食も食べずに?」
セブルスの後を継ぐようにしてもまた嘲るように唇を歪めてみせる。傍で暮らすうちにすっかり似た者同士になってしまったと可笑しそうに笑いながら、セブルスはさらに続けた。
「ゴーストのパーティで生きた人間に相応しい食べ物が出るとは思えんがね」
「ぼ、僕たちお腹は減っていませんでした」
言った途端、ウィーズリーの胃袋がゴロゴロと鳴った。セブルスはじわりと唇に勝ち誇ったような笑みを浮かべながら告げる。
「校長、ポッターが真っ正直に話しているとは思えませんな。全てを正直に話してくれる気になるまで、彼の権利を一部取り上げるのが宜しいかと存じます。我輩としては、彼が告白するまでグリフィンドールのクィディッチ・チームから外すのが適当かと思いますが」
「そうお思いですか、セブルス」
マクゴナガルがすかさず切り返した。
「私にはこの子がクィディッチをするのを止める理由が見当たりませんね。この猫は箒の柄で頭を打たれたわけでもありません。ポッターが悪いことをしたという証拠は何一つないのですよ」
「そうですよ、スネイプ教授」
が同調すると、セブルスは満足げな笑みを僅かに翳らせて眉を顰める。だが彼の黒い瞳を一瞥してからはすぐさまダンブルドアに顔を向けて厳しく言った。
「ですが、校長。城内で、猫といえども石にされたのです。これは由々しき事態だと思います。時間が時間ですから目撃者はいません。恐らく、そこにいる3人以外には」
が真っ直ぐに立てた人差し指で指し示すと、ハリーやウィーズリーは真っ青になって「僕たち何も見ていません!」と叫んだ。腕を下ろし、は全く意に介さず言葉を続ける。
「ですから、校長。疑うわけではありませんが唯一現場に居合わせた彼らからはもっと詳しく事情を聞くべきです。彼らが本当のことを語らないのであれば無理にでも話して貰うしかありませんね」
意図を理解してセブルスはまたほくそ笑む。だがダンブルドアはその青い瞳に影を落として小さく首を振ってみせた。
「そういった姿勢は感心せんのう。、セブルス、疑わしきは罰せずじゃ」
これにはセブルスはひどく憤慨し、も唇を引き結んでダンブルドアを睨む。だがもっとひどかったのは言わずもがなフィルチで、彼の目は飛び出さんばかりに見開かれたし声は怒りに裏返って聞き取りにくかったほどだ。
「私の猫が石にされたんだ!刑罰を受けさせなけりゃ収まらん!」
「アーガス、ミセス・ノリスは治してあげられますぞ。スプラウト先生が最近やっとマンドレイクを手に入れられてな。十分に成長したらすぐに彼女を蘇生させる薬を作らせましょう」
「私がそれをお作りしましょう!」
しばらく大人しくなっていたと思ったロックハートが意気揚々と言った。
「何百回作ったか分からないくらいですよ!マンドレイク回復薬なんて眠っていたって作れます!」
「お伺いしますが、この学校では我輩と助教授が魔法薬の教師のはずだが」
セブルスが冷ややかに言い放つと、萎れた風船のようにロックハートが小さくなっていった。気まずい沈黙が流れ、ダンブルドアがグリフィンドールの2年生を寮に帰す。それからロックハートに部屋を貸してくれてありがとうと告げ、ミセス・ノリスを連れて彼のオフィスを出た。フィルチは猫を自分のもとで預かると言い張ったが、ここは自分に任せて欲しいと言ったダンブルドアに、やっとのことで折れて帰っていった。
そのままダンブルドアの部屋へと入ったマクゴナガル、セブルス、は彼の机を囲むように出された椅子に腰掛けて机上の猫を見つめる。ぴくりとも動かない、まるで剥製のようだった。突き落としたりして悪かったと今更呟いてみたところでそんなものには意味がないのだろう。ある種の悪友のようにも感じられて、早く元に戻してあげたいと思うのも事実だ。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、ダンブルドアの小さな吐息だった。
「…。この猫が、殺されたのではないと分かったのは?」
「昔、その猫の眼と同じような症状を…見たことがあります。それで、もしかしてと思ったんです。確証はありませんでした」
「なるほど。それではセブルス、君も気付いておったと?」
「…はい。確証は、ありませんでしたが」
マクゴナガルの眼は真っ直ぐに猫を見て、彼女も石のように動かない。彼女はきっとこの中で、本物の闇の魔術に触れたことのない唯一の人物だろう。それでもダンブルドアが信頼している片腕のような存在だ。
「この城の中で、そういった呪いが発動するような何か心当たりでもあるかね」
「…いいえ。まったく」
は俯き、セブルスも首を振る。そんなものがこの城内に、あってたまるものか。あんなおぞましい闇の呪いが。彼女がローブの上から左腕をきつく握り締めるのに気付いたが、ダンブルドアは何も言わなかった。
「『秘密の部屋』の、ことは?」
躊躇いがちに訊いたダンブルドアの言葉に、マクゴナガルはぱっと顔を上げてとセブルスはゆっくりと眼球だけを動かす。青ざめ、似つかわしくもなくガタガタ震えながらマクゴナガルがそっと口を開いた。
「ああ…思い出すだけで恐ろしいことです…アルバス、まさか、まさか本当に秘密の部屋がまた開かれたなんて、まさかそんなことが…」
「…セブルス、。君たちは『秘密の部屋』のことを知っておるかね」
は一瞬躊躇したが、セブルスはほとんど間を置かずに「噂は、聞いたことがあります」と答え、もつられるようにして「私もです」と軽く頷いてみせた。うむ、と言ってダンブルドアは机の上で祈るように両手を組み合わせてそれをじっと見つめる。
「スリザリンの遺した秘密の部屋は、50年前確かに開かれた。それを知る者は極めて少ない。故に単なる模倣犯とは想像し辛いが…反証もない。言えることはまだ何も、ない。じゃが、の言う通りこれはまことに由々しき事態じゃ。また君たちには余計な負担をかけることになろうが、しばらくは城内を見回って欲しい。頼めるかね」
もちろんですと言ったマクゴナガルの肩はまだ震えている。セブルスも静かに頷き、促すようにダンブルドアの眼がを捉える。
顔を上げたは、背筋をおぞましげに這い回る寒気に思わず顔を顰めながらそっと言った。
「…本当に『スリザリンの継承者』がいるとすればそれは、やはり彼の血を引く人間ということですか」
ダンブルドアは一瞬淀むように瞬いたが、僅かに目を細めて「いるとすれば…のう」と呟くように答えた。
『秘密の部屋』の話は聞いたことがあった。それも、帝王自身の口からだ。彼は自分の輝かしい所業を近しい支持者にはしばしば語る癖があった。とセブルスもそのうちの一人だ。秘密の部屋を開いたのが自分だとは明言しなかったが、それを開けたとする人物を自らが捕らえたのだということ、本当の犯人と怪物は永遠に囚われることはないだろうということを誇らしげに言ってみせたものだ。
そして帝王は、満足げにを見てほくそ笑んだ。
「お前なら、秘密の部屋を開けることが出来たかもしれないな」
それは彼女がスリザリンの血を引く最後の人間だからだ。きっとこの血が部屋への鍵になるのだろう。だがホグワーツに戻ってきてからがその部屋を思うことはなかった。関心すらもなかった。
それがこんな形で生々しく蘇るなんて。
「…ない、有り得ないわ、そんな」
ワイングラスを両手で握り締めたは呪詛のように何度も呟いたが、傍らのソファに腰掛けるセブルスは何も言わない。それでも構わず言葉を続ける。聞かせるためのそれではない、自分のためのものだからだ。
「有り得ない…私は部屋を開けていない…どこにあるかも分からない…そうよ、私が開けてないんだから開かれたはずがない…秘密の部屋は、開いてなんかいない…」
それなのにもしも本当に『秘密の部屋』が開かれたのだとしたらそれは間違いなく。
自分の脳裏に浮かんだ考えを掻き消すように強く首を振って、はグラスに残るワインをぐいと一気に飲み干した。秘密の部屋は決して、開いたりなんかしていない。