とにかく勝手なことを一方的にペラペラとよく喋る男だ。口を開きすぎると必ず襤褸が出るもので、だからこそ自分も外の世界では頑なに口を閉ざしてきた。
「これはこれは先生!体調を崩されたとお聞きしていたものでこれから是非とも伺おうと思っていたところなのですよ!疲労によく効く薬草が手に入りましてね。とても貴重なものなのですがあなたのようにチャーミングな御婦人のためならば今ここで使ってしまっても惜しくはないと!何、気に病む必要などありませんよ!私のちょっとした人脈を辿ればあのような薬草などいつでも手に入りますからね!是非ともこれからそれでお薬でも調合して差し上げようかと!」
新学期がまたいつものようにじわじわとしかし確実に迫り、とセブルスは重い腰を上げて2週間ほど前ホグワーツに戻ってきていた。やることは来る年も来る年も変わらないというのに、気苦労は減るばかりかハリー・ポッターやドラコ・マルフォイの進級でますます厄介な日常が続くに違いない。おまけにこれだけ手の掛かる教師を雇うなんて、ダンブルドアは一体何を考えているのか!
「一体誰にそのようなことをお聞きになられたんですか?ご覧の通り私はいたって健康ですが」
魔法薬学の教員にとって、薬草学や魔法生物飼育学の教授との連携は不可欠だ。もちろん城の外から業者に頼んで入手する材料も多いが、ホグワーツ内で済ませられるならその方が安くつく。特に薬草はかなりの種類をホグワーツの温室でも栽培しているのではスプラウトの協力を得るためによく2階の彼女のオフィスへと足を運ぶのだが、3階に部屋を宛がわれたはずのロックハートとなぜかこうしてしばしば遭遇するのだった。タイミングを合わせられているのではないかと何度も訝ったが、確かめる術はないしそのつもりすらもない。この男を避ける方法を私は持っていないのだ。
ライラック色のローブにライラック色の帽子を絶妙な角度で被ったロックハートは輝く白い歯を見せて笑ったが、は隠しもせずに顔を顰めて少し後ろに引きながら相手を見た。どんな表情を見せても向こうは全て自分の都合のいいように解釈するのでこちらが何をしたところで彼を遠ざけることはできない。それならば素直な反応をした方が自分にとっては随分と気楽なものだ。夏季休暇が明ければ嫌でも再び閉心術を活かす日々が続いていくのだから。
「先ほどハグリッドの小屋を訪ねましてね。彼が禁じられた森の巡回を任されていると伺ったもので困ったことがあればいつでも私が力になりましょうと申し出てきたところなのですよ。何しろひっそりと静まり返った山奥の村で人々を長年苦しめてきた狼男を素手で仕留めた私ですからね!ああ、決してそんな自慢話をしたいわけではありませんよ!敢えてそのようなことを語らなくとも私の数々の業績は既に世間の知るところとなっていますからね!もちろん先生もご存知だとは思いますが」
「…ええ、そのようですね」
「そうでしょうね!そうでしょう!その時に彼があなたのことを少し話していましたのでね。あなたがどうやらお身体を悪くしたようなので見舞いに行かなければならない、とか。ですからそれならば私が効果的な薬を煎じて差し上げようと言うと彼も納得したようでしたよ!」
「…あー、…そう、ですか」
はずしりと胃が重くなるように感じて、先ほどスプラウトから預かった書類を腹の上に押さえつけた。売られたからといってハグリッドを責めるわけにはいくまい。本当にいささか気分が悪くなってきたことを思うとロックハートはある意味確かに大抵の人間とは異なっていると、感心とは程遠いところでぼんやりと思った。ただ生理的に受け付けないというだけかもしれないが。そういう人間はどこにでも少なからずいるものだ。
「おや、やはり疲れていらっしゃる御様子で。これから急いで薬を調合いたしましょうか!何、私の手にかかればものの数分で完成ですよ。ご心配なさらずに先生は一足先にお帰りになられては。出来上がり次第すぐにお届けしますよ」
爽やかに笑ってウィンクしてみせたロックハートに、はやっと良識を取り戻して瞼を半分ほど伏せながらもじとりと彼を見てあくまで冷静に言う。
「お気遣いには感謝します、ロックハート教授。ですが曲がりなりにも私も魔法薬学の教師ですからね。その程度のことは自分で済ませられると自負しておりますが」
ロックハートに対してセブルスは極めて辛辣だが、それに比べるとの口振りなど随分と穏やかなものだ。彼はまた白い歯を見せて高らかに笑いながら、「何も助教授≠ナあるあなたより私の方が薬学に秀でているなんて主張したいわけではありませんよ!たまたま旅の途中に有り合わせの薬草で強力な解毒剤を作ったことがあるというだけのことですから」などとふざけたことを言って軽やかに去っていった。
バンシーを強力な魅惑呪文で破っただの、狼男を素手で倒しただの、有り合わせの薬草で解毒剤を作っただの。あの男が本当にそんなことをやってのけたというのなら私は真冬の湖に飛び込んで大イカと一夜を過ごしてやるわ。
喉の奥で吐き捨てるようにして呟き、は足早に地下へと戻っていった。どうやらセブルスの言う通り、あの男は本当に素晴らしい友人≠ェいるだけで自分には何の能力もないようだ。いや、あのルックスと笑顔、輝く白い歯で頭の悪い女を引っ掛ける力だけは十分だが。そんなもので闇の魔術とは戦えやしない。人狼が本当にロックハートを噛み殺していなくて残念だと肺で嘲ってみせたが、は胸が不快に焼け付くのを感じて思わず階段の途中で足を止めた。
リーマスの顔が、瞬いた瞼の裏を過ぎったのだ。そのシルエットは学生時代のままだったが、暗い瞳は色のない光をたたえて静かにを見ている。学生時代のそれではない。その眼は自分への不審だけを物語っていた。
それは大抵、突然やって来る。だが今日はきっと、いや間違いなく自分のせいだ。彼の気も知らずに、安易なことを考えてしまった。誰かを噛んでしまったら、と、最も恐れていたのは彼自身だというのに。私はそれを、知っているはずだったのに。
今でもしばしば、彼を思い出す。けれどその資格すらも既に失ってしまったに違いないと、は書類を握る指先にぐっと空しい力をこめて2段飛ばしで階段を下りていった。
ハグリッドの苛立たしげな声を、は咳払いと靴底で木の床を擦る音に被せて遮る。文句を言いたいのは自分であって、ハグリッドにそれを許すつもりはない。だが彼は殊更大きな声をあげて吼えるように言った。いちいちそんなことをしなくとも耳を塞ぎたくなるほどその声はしっかりとの耳に届いているというのにだ。お互いに頑ななところがあった。
「まったく、先が思いやられるこった!」
開け放したハグリッドの小屋の窓から夏の陽射しと一緒にうんざりするくらいの熱気が舞い込んでくる。ハグリッドは魔法で淹れた紅茶の冷たいものを出してくれたが、こちらに背を向けてそれを準備している間に彼が大きな身体に隠すようにしてこっそりと花模様の傘を振るのを見た。
「まったく、厄介なもんを抱えこんじまったもんだ」
「だから私に押し付けたっていうの?」
恨みがましく睨み付けたに、ばつの悪い顔でハグリッドがさり気なく目を逸らす。尤も、彼のさり気なさ≠ヘ傍目には大抵ぎこちなさが滲むだけでとても隠し切れてはいるとは言えないのだが。
「お前さんならうまく対応してくれると思ったんだ、なあ?」
「まあ、わけの分からない人間を扱う自信はあなたよりはありますけど」
「そう怒るなや、。あれは弾みってもんだ。誰にでもそんなもんの一つや二つあるだろう?」
「一つや、二つ…ね。間違ってはいないでしょうね」
一つや二つどころかあなたは年中弾み≠セらけだものね、と皮肉ったがティーカップから視線を上げると、ハグリッドは真っ青になってその黒い瞳に涙すら浮かべた。
「も、もう、何も言うなや…俺が、俺が悪かったんだから…俺が、俺が…」
はカップを置き、膝に前脚を乗せて甘えるように鳴くファングの頭を掻きながらハグリッドを見返す。そんなつもりで言ったわけでは、ないのに。ハグリッドはどこからか水玉模様の汚れたハンカチを取り出して涙や鼻水を必死になって拭い始めた。彼を宥めるには随分と時間がかかった。
ハグリッドは三頭犬の黙らせ方をうまく化けたクィリナスに教えてしまったことを未だに後ろめたく思っていた。ジェームズとリリーの最愛の息子が、自分のうっかり≠ナ死に掛けたのだ。だが護ってやれなかったのは自分たちも同じことで、は彼にそのことをできるだけ思い出させまいと努めてはいたが、日常的な皮肉すら全て自分の落ち度へ結び付けようとするハグリッドには辟易していた。
「今更そんなことを言ったって、仕方ないでしょう?これからのことを考えたら?ご馳走様」
半分も飲まないうちには物憂げに席を立った。汗で額に張り付いた前髪を脇に退け、ハグリッドが先ほどベッドに放り投げた書類を指差して言う。
「私のところに金曜までよ。オッケー?」
「あ、ああ…分かった、分かっとる…そんじゃ、すまんかったな」
ハンカチから顔を上げてぐずぐずとそう言い、ハグリッドもまたを見送るために立ち上がる。寂しそうにクーンと鳴いたファングの頭をポンと叩いたの背に、彼は思い出したように声をかけた。
「なあ、」
振り向いたの黒い瞳が訝しげに瞬く。その瞼の形は、母親のそれによく似ている。誰もがこうして、思い出の人々の面影を残す。だがと違うのは、彼女の眼は随分と罪の意識を帯びているところだ。そしてそれは誰がどれだけ何かを言ったところで決して拭えるものではない。は、親友を死に追いやったのだと永遠に自らを責め続けるだろう。
「まだ、ハリーと仲良くやってこうとは思わねえのか?」
憤りではなかった。ふう、と、疲れた風に息を吐いたは、閉じた瞼をゆっくりと押し上げて彼を見る。
「…あの子と親しくなるには、私は…あの子の両親との間に、あまりに 色んなことが、ありすぎた」
自分が締め付けられるよりももっとずっと彼女は苦しんでいるのだろうと、ハグリッドは学生時代の彼らのことを思った。はきっとジェームズとリリーの親友だったし、彼女がブラックと付き合っているという話はジェームズを通じて彼のところへも舞い込んできた。はのためと信じ、最愛の彼らを捨てて死喰い人になった。そしてそれが偽りで繋ぎとめられているものだと知った時にはもう、遅すぎたのだ。きっとは、親友を死に追いやったと永遠に自らを責め続けるに違いない。
彼女はほんの一瞬だけ、寂しそうに笑った。
数日前ロックハートに押し付けられたサイン入りの本の山を思い、は城へのそう長くはない道のりの上で溜め息を吐く。そういえば深呼吸をする余裕すらもなかったと他人事のように思い出したが、結局そうすることもなく樫の扉を押し開けて玄関ホールに入った。肩の力を抜くには、自分はまだ何も終わらせることができていない。