最短記録を更新したグリフィンドール対ハッフルパフ戦の後。セブルスは外が薄暗くなってから禁じられた森にクィリナスを呼び出した。
試合終了直前耳元を掠めたのは、間違いない。失神光線だった。さり気なくクィリナスを監視していたセブルスは彼が確かに呪文を唱えるのを見たという。ダンブルドアの目と鼻の先だというのに自棄でも起こしたのかそんな大胆な行動に出たクィリナスに、もういい加減に釘をさしておくべきだという意見で一致したからだ。共犯者と思われる人物は全く動きを見せず、2人ともその件に関しては一先ず置いておくことにした。
「あくまで白を切ろうとしていたが、あの調子では近いうちに尻尾を出すだろう。あとはしばらく様子を見るべきだな」
そう、と短く返しては肩を解すように強く撫でた。審判は思った以上に身体を動かした。このままでは後日襲ってくるであろう筋肉痛が恐ろしい。
「いっ…いたたたたた!ちょ、もうちょっと優しく…」
2日後(この時間差が憎い)全身をひどい筋肉痛にやられたはベッドでセブルスのマッサージを受けながら甲高い悲鳴をあげた。目尻にじわりと涙を浮かべ、セブルスの指先に与えられる痛みに布団を握ることで耐える。
「我慢しろ。それともこの後長々と筋肉痛に苛まれたいのか」
「…いや」
「だったら我慢しろ」
「でもせめてもうちょ…いっ!」
ツボらしき部分を親指でぐいと押され、言葉の続きは悲鳴へと変わる。
セブルスが根気良く続けてくれたマッサージのお陰で痛みはすっかりと引いたが、にはいくつか気になることがあった。
開幕戦でセブルスのマントに火をつけたのは誰なのか。そしてここ数週間でクィリナスはますますやつれ、青白くなっていった。それはなぜなのか。賢者の石になかなか近づけないでいるクィリナスをどこからか帝王が罰しているのだろうか。まさか、とは身震いした。
闇の帝王が側にいるのなら、3年もあのお方の下にいた自分やセブルスが気付かないはずがない。帝王はどこか遠くにいる。大体ダンブルドアの目の届く範囲に闇の帝王が潜んでいるなんて、そんなことは。
復活祭の前には嫌というほど宿題を出してやった。休暇明けの採点のことを考えるとうんざりするが、可愛げもない生徒たちの不満げな顔は自分を落ち着かせてくれる。自分がどれほど愛情というものから程遠いところに生きているのか、実感できるから。
愛なんて要らない。あるのはただ、使命だけ。
休暇中、はセブルスの傷が無事に治ったことを伝えるためにハグリッドの小屋を訪れた。ファングは学生時代からいつだって尻尾を振って彼女を嬉しそうに出迎えてくれる。彼は私の犯した罪を知らない。はファングの首元を掻きながらハグリッドに勧められるまま木の椅子に腰掛けた。
「そうか。そりゃあ良かった」
ハグリッドは大きなティーポットに熱い湯を注ぎ、ロックケーキを皿に乗せながら言った。
「ええ、ありがとう。でもハグリッド、自分のペット≠フことくらいもう少し詳しく知っておくべきね」
「あ、あー…すまんかったな」
「いいのよ、彼の傷も治ったんだから。セブルスも三頭犬に近付くならもう少し慎重にすべきだったでしょうしね」
ミルクティーを口に運びながらが苦笑いすると、彼女の向かいに座ったハグリッドは突然思い出したように口を開いた。
「ああ、そうだ…お前さんに言っとこうと思っとったんだ。その…ハリーたちのことなんだが」
一瞬ぴたりと動きを止め、それを誤魔化すようにカップをテーブルに戻す。はファングの大きな身体を両手で抱え込むように撫でながらハグリッドにその先を促した。
「あの子がどうかしたの?ハリーたちって?」
「あー、俺はな、もちろんそんなことあるわけねえって言ってやったんだが…」
ハグリッドはお得意のモゴモゴを挟み、ロックケーキをボリボリと齧りながら言った。
「だがな…ハリーとロンとハーマイオニーは、お前さんとスネイプが例のもん≠盗もうとしてると疑ってるみてえなんだ」
この小屋で唯一まともに食べられそうなクッキーに手を伸ばしたは眉を顰めてハグリッドを見返した。
「…は?どういうこと?」
伸ばした手をそのまま膝の上に戻し、は首を傾げてみせる。ハグリッドはゴホンと一つ咳払いしてきまり悪そうに続けた。
「奴さん、どこで知ったか知らねえがフラッフィーのことを知ってた。あいつが何か≠護ってることも、スネイプがあいつに噛まれたことも。そんで奴さんたちはスネイプとお前さんが例のもん≠狙っとると思い込んどるんだ」
「…は?」
あまりに突然のことで、はポカンと口を開けて呆然とハグリッドの顔を見つめた。私とセブルスが、賢者の石を盗もうとしている?お門違いもいいところだ。さらにハグリッドはこんなことまで彼女に告げた。
「そんでクィディッチの時にハリーの箒に呪文をかけたのもスネイプだと思っとるんだ。いくらスネイプでも…まさかそんなことしねえだろう、なあ?」
は思い切り顔を顰めて声を荒げた。
「当たり前でしょう!馬鹿馬鹿しい!これだから子供の思い込みは…。セブルスが本当にあの子を狙ってるならあの子はとっくの昔に死んでるわ!クィディッチの時だってセブルスは反対呪文であの子を護ってたのよ…それを!」
ちょうどその時、脳裏にあの日のことが思い出される。ああ、どうして今まで気付かなかったんだろう。目の色を変えてスタンドの間を駆け抜けていったグレンジャー。彼女の手に握られたガラス瓶。セブルスのマントに火をつけたのはグレンジャーか。憤りと同時に安堵が押し寄せてきた。良かった、あれはクィリナスの共犯者の仕業ではなかったんだ。
「…教えてくれてありがとう。役に立ったわ」
深く息をついて軽く首を振ったは残りの紅茶を飲み干して早々に席を立とうとした。それを慌てた様子でハグリッドが止める。
「なあ、お前さん。そろそろハリーに教えてやってもいいんじゃねえか?ジェームズとリリーと…お前さんの、関係を。そうしねえと奴さんはずっとお前さんを疑ったままだ」
踏み出した足を止め、は壮絶な表情を浮かべて振り向く。彼女の顔色を窺ったファングが不安げに鳴いた。彼女の目を見たハグリッドは思わず息を飲む。
はこの小屋では滅多に見せないような冷ややかな視線を彼に向けた。
「冗談でしょう。そんなことをして誰が救われるというの。私が彼の両親を死なせたと知って…一体誰が」
「…!そんなことを言っても何も始まらねえ!このままじゃお前さんもハリーも 」
「お茶をご馳走様、ハグリッド。今日はこれで失礼するわ」
彼の叫びを強い口調で遮り、はファングの頭を撫でてから大股でハグリッドの小屋を去った。賢者の石のことを知り過ぎたハリーたちの誤った推測に、ハグリッドの言葉。それらがグルグルと頭の中を駆け巡り、胸の奥が苛々と焼け付く。子供というものは自分が絶対的に正しいのだと思い込む。その思い込みが自身を追い詰めるのだと知らずに。それは自分が痛いほどによく分かっている。
だがからの報告を受けたセブルスは愉しむように口角を上げて目を細めた。
「俺が奴の命を狙っていると?随分と真っ当な℃vい込みだな」
「笑い事じゃないわ。馬鹿馬鹿しいにも程がある」
眉根を寄せて切り返したに、セブルスはソファの上で満足げに鼻を鳴らす。
「奴らがクィレルに目をつけるよりはましだと思うが。開幕戦での小火騒ぎの原因もはっきりした。十分な収穫だ。馬鹿げた子供の妄想など放っておけばいい」
ただ、教師に火をつけたことへの償いはしっかりとしてもらうが≠ニ付け加えたセブルスには小さく肩を竦めた。
休暇明け、その言葉を実践するようにセブルスは今まで以上に大量の課題を出した。授業中のハリー攻撃もどんどんとエスカレートし(火をつけたのはあくまでグレンジャーだが、教科書を全て暗記している彼女に質問を投げかけたところでそんなものは償いにも何にもならないとセブルスももよく分かっている)、ハリーたちの2人を見る目もますます怪しげなものになっていく。は気付かないフリをして冷たくハリーやウィーズリーの調合にケチをつけ、グレンジャーのまともな魔法薬を褒めることも極端に減らした。これにはドラコは大喜びだった。
その夜、とセブルスは大量の課題の採点に追われていた。週末は他の教員が夜間の見回りを行うことも多い。溜まった採点を一気に済ませてしまおうと2人はその日の巡回はマクゴナガルに任せることにした。
研究室の扉が興奮気味に叩かれたのは零時過ぎのことで、不審そうに眉を顰めたセブルスが羽根ペンを置いて内側からドアを開ける。そこに立っていたのはタータンチェックのガウンを着てヘアネットを被ったマクゴナガル、彼女に耳を掴まれ顔を歪めたドラコだった。
「マクゴナガル先生。これは一体」
「夜分に失礼ですが、スネイプ先生。お宅の寮のマルフォイがこんな時間にうろついていたものでお連れしました。スリザリンからは既に20点減点してあります。近いうちにこちらから罰則も与えるつもりです。構いませんね」
憤慨した様子のマクゴナガルが矢継ぎ早に口を開き、ドラコは耳を掴まれたまま縋るような目でセブルスを見つめたが、セブルスはあっさりと言い返した。
「もちろんです。それがあなたの権限ですから。後のことはこちらに任せて下さって結構です」
「ええ、きつく指導して頂きませんと。では私はこれで、失礼します」
鼻の穴を膨らませたマクゴナガルはドラコをセブルスに押し付けてバタンとドアを閉めた。セブルスは呆れたように息をつき、もまた羽根ペンを置いて椅子の上でドラコの方に向き直る。ドラコは屈辱的な顔をしつつも何も言わずに俯いていた。
「こんな時間に城内をうろつくなど…感心できたことではないな。何をしていたのかね」
ドラコだけに向ける特有の声音を使ってセブルスが問い掛けると、ようやく顔を上げたドラコが子供らしい拗ねた目付きで呟いた。
「先生…僕、ポッターを捕まえてやろうと思ったんです。ハリー・ポッターが…ドラゴンを連れて天文台の塔に来るんです!だから、僕…」
ドラコの言葉にとセブルスはさっと顔を見合わせ、揃って眉根を寄せる。セブルスはすぐにドラコに向き直り「どういうことかね」とさらに訊き返した。
「僕、見たんです!あいつの…ハグリッドの小屋でドラゴンの卵が孵るところを!それをポッターたちがウィーズリーの兄さんに頼んで今夜塔の上で引き取ってもらうんだって…だから僕、あいつらを捕まえてやろうって!」
興奮した様子でまくし立てるドラコに、とセブルスはまた目を合わせる。ドラゴン?確かにハグリッドはドラゴンが飼いたいと私の学生時代から言っていたけれど、ドラゴン飼育は違法だと聞いた。第一そんなものが簡単に手に入るはずもない。けれど開心術を使うまでもなく、ドラコが嘘をついているようにも見えなかった。
「ドラゴンの卵というものはそう易々と手に入るものではない。ハグリッドがそういった野獣を好む性質だということはさすがの我輩も知っているが、あの男がドラゴンの卵を入手できたとは考えにくい」
セブルスが諭すように告げるとドラコは幾分もショックを受けたような顔をしたが、それでも彼は必死に自分の正しさを訴えようとしていた。
「でも、僕は確かに見たんです!ウィーズリーの右手が腫れあがってるのだってドラゴンに噛まれたからです!間違いありません!」
顔を顰めて閉口しているセブルスをチラリと一瞥してから、椅子の上で前方に身を乗り出したはドラコに呼びかけた。
「ねえ、ドラコ。何かそれを証明できるものでもあるのかしら。もちろんドラゴンそのものを確保できればあなたの主張が正しいと明確になるわ。でもきっと…現場を押さえるのは難しい。他に何か証拠になりそうなものがあるのなら、私たちに見せてもらえないかしら」
は透明マントのことを思い浮かべた。あのマントがある限りは残念ながらハリーを見つけ出すことはできないだろう。ドラコはしばらく必死に考え込んでいるようだったが、やがてパッと顔を明るくしてこう言った。
「手紙!手紙があります!ウィーズリーの兄さんがウィーズリーに宛てた手紙を僕が持っています!」
セブルスはピクリと眉を上げ、は僅かに口角を上げる。彼女は椅子から立ち上がり、腰を折ってドラコの顔を覗き込みながら言った。
「それじゃあ、明日でいいわ。その手紙をここに持ってきてもらえないかしら。あとは私たちが善処するようにするから」
はいと嬉しそうに答えたドラコに、セブルスが静かに告げる。
「だがドラコ、残念ながら君が就寝時間を過ぎて城内をうろついていたという事実は変わらん。マクゴナガルは君から減点する権限も君に罰則を与える権限も持っている。我々がそれを変えることはできん。彼女の課す罰則は甘んじて受け入れるように」
今度はドラコは項垂れて「…はい」と囁くように言った。
は机の上の羊皮紙をざっと片付け、ドラコの肩を軽く叩いてから研究室のドアに手をかけた。
「じゃあ私は一応塔の様子を見てくるわね。でもドラコ、あまり期待はしないように」
一応、という物言いにドラコは少しだけムッとしたようだったが、大人しく頭を下げて「お願いします」と言う。はセブルスにそっと目配せして研究室を出た。
まったく、どれだけ人に心配をかければ済むのだ、あの子は。クィディッチの一件、真夜中の外出。自分がどれだけ嫌われようが疎まれようがそんなことは構わないが、命を危険に晒すような真似だけはして欲しくない。帝王の息のかかった人間が住むこの城を真夜中に歩き回ることがどれだけ危険か。
天文台の塔に辿り着いたはその天辺から顔を出して夜の闇を見渡したが何も変わったところはなかった。もしドラコの言っていたことが本当だとしても全てはとっくに終わってしまっているのだ。は溜め息雑じりに急な螺旋階段を下りた。
階段を下り切ったところで、少し離れたところに小柄な人影を発見する。
「 そこにいるのは誰」
低く唸るように呼びかけると、ヒッと甲高い悲鳴があがった。
「あ、あ、あの、僕…!」
明かりを灯した杖を掲げて近付く。パジャマ姿のまま震え上がってその場に立ち尽くすのはネビルだった。
「ロングボトム!こんな時間に一体何をしているの!」
「あ、す、すみません…僕…」
今にも泣き出しそうな顔をしてネビルは「僕、僕…」と意味もなく繰り返している。は容赦なくネビルの首根っこを摘み上げ、悲鳴をあげる彼を引きずってマクゴナガルのオフィスへと真っ直ぐに突き進んでいった。