「それで      そのマントはどうしたの?」

 地下の研究室まで戻り、剥ぎ取ったマントをソファに勢いよく投げつけたセブルスに問い掛ける。彼はその上にどさりと腰を下ろし、低い声で怒鳴りつけた。

「知らんと言っているだろう!俺の方が訊きたい」

「私に八つ当たりしないでよ!」

 声を荒げてから、心を落ち着けようと何度か深呼吸を繰り返す。小さく咳払いし、は自分の椅子に腰掛けた。

「でもこれで…不動の事実になってしまったわけね。クィリナスが闇の世界に心を売ってしまっていると」

「そんなことは既に明白だ」

「だから、八つ当たりしないでって言ってるでしょう!」

 は握り締めた拳を机に叩きつけ、セブルスに負けないくらい険悪な顔つきで彼を睨み付けた。セブルスから視線を外し、何とか気持ちを落ち着かせてから徐に口を開く。

「…一体、どういうこと。ハリーの箒はクィリナスの仕業で間違いないとして…セブルスのマントが燃えたのは?まさか共犯者がいるっていうこと?」

 極限まで目を細めたセブルスが、組み合わせた膝の上に肘をついて低く唸る。

「…分からん。だがもしもそうだとすれば厄介だな。あの男の他に、帝王に魂を売った人間が…考えたくもない」

「もしもそれが正しければ一刻も早く手を打たないと。私たちはクィリナスしか把握できていないから裏をかかれる可能性が」

「…分かっている。当分は他の教員にも目を光らせる必要があるな。だがあの程度の魔法ならば子供でも扱える。単なる生徒の悪戯であることを望むばかりだ」

 そう言いながらも忌々しげに舌打ちするセブルスに、は「そうね」と呟いてぷつりと糸でも切れたかのように机に突っ伏した。まさか本当にハリーがあんな危険な目に遭おうとは思ってもいなかった。甘かった。これからはますますハリーから目を離さないようにしなければ。今日のうちはさすがにもう何事も起こるまいが。

「とうとう彼は本気でハリーを殺そうと考え始めたようです」

 とセブルスの報告を受けたダンブルドアは険しい表情をして、目の前で組み合わせた指先をじっと見つめていた。だがしかし、結局彼の出した結論はしばらく様子を見る≠セった。

 眉根を寄せたは一歩前へと踏み出して声を荒げる。

「これまで十分に様子を見てきました!これ以上待つ必要は…ハリーが危険に晒されても良いと仰るんですか!」

。やめろ」

「でも!」

 後ろからセブルスに腕を掴まれ、はますます苛立ちを深く眉間に刻む。だがダンブルドアもまた青い瞳の奥で微かに苛立つ気配を見せた。

「わしがハリーの身を案じておらぬとでも思うのかね。何のために君たちにハリーの監視を頼んでおると思うのじゃ。二度とそのようなことは口にして欲しくない」

「………」

 は次の言葉をぐっと飲み込み、いきり立った肩を力なく落とした。同時に、セブルスの手もそっと放される。

「…申し訳ありません」

 項垂れるに、ダンブルドアも幾分表情を和らげた。

「セブルス、。2人には引き続きハリーの監視を続けて欲しい。あの子から目を離してはならぬ」

「分かりました」

 はすぐさま了承の言葉を返し、セブルスはやや沈黙を挟んでから小さく頷いた。

 ダンブルドアが何を考えているのか、泳がせるにしても限度があるだろうとは納得がいかなかったが、セブルスに諭されて大人しくハリーの監視の強化にあたった。さらに他の教職員の動向にも目を光らせ、どちらかが研究室で仕事をしている時にはもう一人が城内の見回りを厳しく行うという時間が増えた。だがクィリナス以外には特に不審な人物は全く浮かび上がらず、共犯者がいるとすればそれは一体誰なのか、頭を悩ませているうちにクリスマス休暇まで残すところあと数日となった。

「可哀相に。家に帰ってくるなと言われてクリスマスなのにホグワーツに残る奴がいるんだってね」

 スリザリンとグリフィンドールの授業中、聞こえよがしにドラコがクラッブとゴイルに話しかけているのが聞こえた。どうやら標的らしいハリーは完全に彼らを無視してカサゴの粉末を計っている。

「ドラコ、手元が留守になっているわよ」

先生、これからユニコーンの尾を加えるところです」

 がニコリと微笑みながら軽く注意を促すと、ドラコは嬉しそうに振り返って右手に掴んだ材料を示した。彼は特別視している相手に構われることがとても心地良いらしいので、授業中にはよく声をかけるように気を遣っていた。その光景をグリフィンドール生たちは不愉快に感じているということも分かってはいたが。彼女の振る舞いもセブルスの態度も、どちらもマルフォイ家に媚を売ろうとしているものにしか見えないだろうから。

 だがとセブルスが決定的に異なっている点は、彼女はよほど優秀な生徒ならばそれがたとえグリフィンドール生であっても少なからず評価するということだった。

「いくら何でもあれだけの成績の学生を評価しないとなると、私の教師としての評判に傷がつくわ。悔しければ彼女を超えられるように勉強することね」

 以前グレンジャーに対する評価を不満に思ったドラコが授業後わざわざのもとを訪ねてきたことがあった。彼女の答えにドラコは不貞腐れた様子だったが、それでもあの気分屋でまだまだ子供の彼が素直に「分かりました」と言って去っていったところを見ると、ルシウスやナルシッサはよほどを高く評価して息子に話して聞かせているらしい。不都合はないが、あまりいい気分にはならない。ドラコがハリーと仲良くするのに失敗したことには少なからずホッとしているが。

「ハリーはクリスマス休暇をホグワーツで過ごすようね」

「そのようだな」

 彼が帰省してくれれば監視に割く時間は随分と減らせると期待していたはがっくりと肩を落とした。

 彼女は毎年クリスマスやハロウィンには大広間の飾り付けを手伝っていた。ハグリッドが運んでくる12本の樅の木の配置を決め、柊や宿木を綱のように編んで壁に張り付ける。クリスマス休暇に入る前日、はマクゴナガルやフリットウィックと一緒に残り少ないクリスマスツリーの飾り付けに精を出した。

「これで全部ですね」

 全ての飾り付けを終えたのは夕食の直前だった。マクゴナガルはふうと息をつき、フリットウィックは広間中の陽気な飾り付けを一度に視界に収めようとして後ろ向きにちょこちょこと歩き、近くの椅子にぶつかって物の見事に転倒した。

「最近は全く異常なし?」

「ええ。みんな大人しくしてるみたい」

 休暇に入って2日目の夜、巡回中にグリフィンドール塔へ立ち寄ったに太った婦人はパチリとウィンクしてみせた。











 クリスマスのご馳走に浮かれているのは生徒ばかりでなく、婦人用の三角帽子を被ったダンブルドア、クラッカーから出てきたジョークの紙を読み上げて彼を喜ばせるフリットウィック、ワインに酔い痴れたハグリッドにほろ酔いのマクゴナガル。だがとセブルスだけはいつものように無表情に食事を口に運び、陽気に騒ぐ生徒たちを冷ややかに眺めていた。

先生、一杯いかかですか」

 隣で既に出来上がっているらしいシニストラが顔を真っ赤にしてワイングラスをの手に押し付けてくる。毎年お祝い騒ぎになるとこの調子が続くので、はいい加減うんざりしていた。セブルスはまだいい。向こう隣のクィリナスは酔いどれて酒を勧めてきたりしないのだから。

「ああ…先生、私はアルコールはダメだと、何度も申し上げたはずですが?」

「そんな野暮なこと仰らないで!ほらほら、ぐーっと…」

「ぶっ」

 ワインがなみなみと注がれたグラスを突然口元に押し当てられて、はその中に思い切り息を噴き出した。落とさないように何とかそのグラスを掴みながら、口から零れる液体を手の甲で拭う。シニストラは能天気にケラケラと笑った。ああ、今すぐ殴ってやりたい。

先生、今日はクリスマスじゃ。羽目を外して楽しんでもよかろう。スネイプ先生にクィレル先生もじゃ。ほれほれ」

 アルコールに全く手をつけない3人の教師に向けてクスクスと笑いながら、立ち上がったダンブルドアがまずクィリナスのグラスにワインを注ぐ。クィリナスはワイングラスを震える両手で掴みながら「きょ、きょきょ、恐縮です…」と呟いた。セブルスも大人しくダンブルドアに勧められるがままにワインを口に含む。

 結局地下の研究室に戻った頃には、はすっかり酔い潰れていた。

「…シニストラ…殺す」

「結局のところあれだけのアルコールを飲んだのはお前の意思だろう。自業自得だな。今日は先に休め」

 ソファに倒れ込んだの傍らに腰掛けたセブルスが素っ気無く告げる。下戸のはグラス一杯でまともに歩くこともできなくなったのに、セブルスはダンブルドアの勧めで何倍も飲んだにも関わらず(何倍かも把握できないほどに彼女は思考停止した)しっかりと彼女を支えてここまで戻ってきた。

「…でも、今夜も巡回が…」

 例のクィディッチの一件以来、夜間巡回は2人一緒に行うようにしていた。今夜もセブルスと手分けして城内を回ることになっていたのに。だからアルコールも遠慮したのに。普段はそうでもないが、悪酔いしたシニストラは頂けない。座席替えをして欲しいと何度願ったことか。かといって誰の隣がいいという具体的な望みはないが。

 鼻で笑い、セブルスの冷えた手のひらがの頬を撫でる。熱を帯びた彼女にはそれは随分と心地良かった。

「馬鹿者。ろくに歩けもしないお前に何ができる。今夜は先に寝ていろ。俺が一人で行く」

「…ごめん」

 しゅんと項垂れるの頭を軽く叩き、セブルスは彼女を寝室まで運んだ。ベッドに横になったが眠りにつくまでは数分とかからず、セブルスはその額に軽く唇を落としてから夜の巡回へと出かける。

 壁の隠れ道から飛び出してきたフィルチが明かりの消えたランプを嬉しそうに突き出してきたのは、その晩のこと。

「先生、誰かが夜中に歩き回っていたら、直接先生にお知らせするんでしたよねぇ。誰かが図書館に、しかも閲覧禁止の棚にいました」

 セブルスはフィルチからそのランプを受け取り、まだ温かいことを確認して目を細める。

「閲覧禁止の棚?それならまだ遠くまではいくまい。捕まえられる」

 それからセブルスはフィルチと手分けして辺りを隈なく捜索したが、それらしい痕跡すら見つけることができなかった。

 翌日彼からその情報を聞き出したは、二日酔いの残る身体を無理やり起こして昼間からグリフィンドール塔へと向かおうとした。

「待て」

 呼び止められて、は初めて自分が寝巻き姿のままだったことに気付く。研究室を飛び出そうとしていたはセブルスに無理やりソファに座らされた。

「まだ酔いが抜けていないだろう。これを飲んで、着替えてからにしろ」

 そう言ったセブルスは朝のうちに準備してくれていたらしい薬を彼女に手渡す。はありがとうと言ってその酔い覚ましを一口で飲んだ。いつ飲んでも苦いが、甘くして欲しいという彼女の願いが聞き入れられたことはない。

「それでは効果が半減する」

 唇を尖らせて、さっさと着替えたは太った婦人の肖像を訪ねた。誰かが昨夜寮を抜け出さなかったかとの問いに、彼女は戸惑った様子で言った。

「あー…そのこと?報告しようかどうしようか、迷ったんだけどね…」

「何?何か気になることでもあった?」

 まだ頭の隅に残る痛みと戦いながら、婦人にその先を促す。

「あー、あのね…実は夜中に、誰かが出て行ったのよね」

 オドオドと口を開いた婦人に、は眉を顰めて訊き返した。

「誰が?どうして伝えてくれなかったの?夜中に寮を出入りする生徒がいたら私かセブルスに伝えるようにって言ってあったでしょう?いい、これは重要なことなの」

 一語一句噛み締めるように囁いたに、婦人はまだ悩ましげな表情をしている。その様子に、は首を傾げてみせた。

「何かあるの?」

「…あー、実はね。誰かが出て行ったのは確かだけど…でも、ちっとも姿が見えなかったの。だから…何なのかよく分からなくて」

「姿が見えなかった?」

 どきりと、心臓が跳ね上がる。記憶が一気に学生時代まで遡った。銀ねず色の、液体のような布。満月の夜、いつも4人で入った…。

 ちょうどその時婦人の肖像が開いて、中から2人の少年が姿を現した。

「…あ」

 驚愕に目を見開いたハリーとウィーズリーが、その場に立ち尽くしたまま呆然とを凝視している。やっとのことで口を開いたのはウィーズリーだった。

「あ、あー…こ、こんなところでどうしたんですか」

「ええ、レディと少し世間話をね」

 言葉尻だけは丁寧に、は冷ややかに返した。怪訝そうに眉根を寄せた2人は、ほんの少しだけ頭を下げてさっと彼女の脇を通り抜けていく。

 ハリーが傍らを過ぎた時、は彼にだけ聞こえるように低く囁いた。

     これ以上夜中に城内をうろつくのなら、次は容赦しないわよ」

 びくりと身を強張らせたハリーが、足を止めて恐る恐るを振り返る。彼女は思い切り冷え切った一瞥を彼に与えてから、閉じられた婦人の肖像にニコリと微笑みかけた。

「そういうことだから、婦人、これからは少しでも不審に思うことがあれば私かスネイプ教授まで。お願いね」

「え、ええ。分かったわ」

 太った婦人が頷くのを確認して、はさっと踵を返した。ぱくりと口を開いたまま動けないでいるウィーズリー、硬直したハリーの脇を通り抜け、真っ直ぐに校長室へと向かう。

 透明マントをあの子が持っているなんて      ダンブルドアの仕業に違いない。私たちがどれだけ監視を厳しくしても、彼自身が大人しくしていないのならそれも意味がないじゃないか。

「先生!一体どういうおつもりですか!ジェームズの透明マントをあの子に渡したでしょう?あの子はジェームズの息子です、あんなものを持っていれば彼が無謀な行動に出るなんて容易に想像できることじゃないですか!どうしてそれを助長するようなことをなさるんですか!命を狙われたばかりだというのに…真夜中にほろほろと出かけられては護れるものも護れなくなります!」

 怒鳴り込んだを、穏やかに笑んだダンブルドアはやんわりと宥めた。

「落ち着かぬか、。何のことか、わしにはさっぱり分からぬ」

「先生、私があのマントのことを知っているとご存知でしょう!彼はマグルの世界で育ちましたし、透明マント自体が魔法界でも非常に珍しいものだと聞いています。彼がそんなものを持っているなんて…ジェームズのものをあなたがあの子に渡したとしか考えられません!」

「さてさて、わしは学生時代に君が着ておったあの素敵なマントの在り処など知らぬ。先生、確かシニストラ先生と何か約束があったのでは?」

「先生、いい加減に      え?」

 素早く切り返そうとしたは、ダンブルドアの最後の言葉に思わず上擦った声をあげた。

「私が、シニストラ先生と約束を?」

「覚えておらぬのかね?昨晩アルコールの助けもあって随分と盛り上がり、あなたとシニストラ先生が確かそのような約束をしておったように思うが」

 まったく、記憶にない。だがあれだけ酔い潰れてしまったのだから、ダンブルドアが言うのならそうなのだろう。これ以上この話題を続けたくないというダンブルドアの意図も汲み取り、は大人しく校長室を去った。

 だが胸の内のモヤモヤはどうしても消えない。あの子を護って欲しいというのに、護りづらい状況を作っているのはダンブルドアだ。一体私たちに、どうしろと。

      いや。

 彼を護りたいのは、私自身だ。彼を護らねばという義務を負っているのは、セブルスだ。

 あの子の身を危険に晒してもいいなんてダンブルドアが思うはずもない。ならば私たちは、自分にできることを全力でやるのみ。

 ふうと肺の底から長い息を吐き出して、は爪先を天文学の研究室へと向けた。