俺はその日、占い学の授業で同じ寮の同級生、ディアナ・バルデスとペアを組むことになった。
なぜそういうことになったのかというと、占い学を受講しているグリフィンドールの男子生徒は奇数人数であるため、毎回必ず誰かひとりは余ってどこかのペアに押し込まれるのだが、たまたまその日余ってしまったのが自分だったこと、そしてディアナの親友で同じく占い学を取っているクララが病欠したこととが重なり、同じ寮のよしみもあって自然とペアを組むに至ったというわけだ。

だが正直、それまで話したことがあるかさえ怪しいほどの関係だった。グリフィンドールの五年生は全部で三十ニ人、単純に考えて自分以外に三十一人の人間がいるということである。一年の大半を同じ塔で過ごすいわば第二の家族のようなものだが、だからといってそのすべての生徒と『家族』になれているかと言われれば、当然答えはノーだ。名前くらいはもちろん把握しているが、例えば彼女の好きなものをひとつだけ挙げよと聞かれても何ひとつ出てこない。その程度の    

(……いや)

ワット・リンドホルムは水晶玉と教科書とを今にも泣き出しそうな顔で交互に覗き込んでいる真向かいの女子生徒を堂々と見つめながら、胸中で否定した。ひとつだけ知っている。彼女の、(きっと)好きなもの。

「何か見えたか?」
「え、あ、うーん……ワットって、指、きれいなんだね」

一瞬、どきりとしてしまったことを隠すつもりはない。俯いたディアナの睫毛は意外と長かった。

Divination Love 1

ワット・リンドホルム

「また振られたの?」

クララの家族は音楽一家で、彼女も幼い頃からピアノやフルートを演奏している。音楽のない生活なんて考えられないと、ホグワーツにもフルートを持参して空き教室やときどき校庭でも練習をしていることがあった。その日、彼女は四階の空き教室で窓を開け放して慣れた曲目を吹いていた。

「……またって。またって言わないでよ、まだ三回目でしょう」
「三回も振られたらじゅうぶんでしょう。まだ無駄な抵抗を続けるつもり?」
「だってー」

あんなことを言ってウィルフレドと別れた以上、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
窓枠に浅く腰かけたクララはこちらに向けていた上半身を、嘆息混じりにくるりと反転させる。そしてフルートの口に軽く唇を当てて調整しなおしてから、呆れた様子で言ってきた。

「ディアナって、損なところで負けず嫌いよね。いいじゃない、バックスなんか諦めて他の男を探しなさいよ」
「それじゃダメなの! だったらウィルフレドのほうがマシ」
「だったらウィルフレドと縒りを戻せばいいだけのことでしょう」
「絶対にイヤ! あんなやつ、絶対に見返してやるんだから!!」
「ハイハイ、好きにしたら? 当日になってパートナーいないって泣いても知らないから」

そして無慈悲にもあっさりとフルートの練習に戻っていった。名前は知らないが、彼女がよく吹いている曲だ。滑らかで、優しくて。それが今のディアナにはどこか悲しい曲調に思え、彼女は振り切るように教室を出て行った。
「ディアナ、具合でも悪いのか?」

談話室に戻る気分でもなかったし、外に出る気分でもなかったので、何とはなしに立ち寄った図書館の窓際でぐったりと机に突っ伏していると、突然声をかけられてディアナは飛び起きた。ワットはこちらのその反応にかえって面食らったようで、数冊の本を抱え込んだまま大きく目を開いて何度か瞬いてみせる。ディアナは恥ずかしくなって慌てて視線を逸らしながら聞いた。

「ご、ごめん、びっくりして。ワット、何してるの?」
「ああ、変身術の課題、明日までだっただろ? みんなでやろうってことになって、イアンと資料を探しに。お前はこんなところで寝てる余裕なんかあるのか?」
「変身術? あ、あれは昨日終わらせちゃった。呪文学はまだだけど」
「えっ! 終わってんの? マジか……ディアナ、実は真面目だったんだな」
「『実は』? ワットが知らないだけで、わたし、課題はできるときにちゃんとやってるんだから。昔からです、『実は』じゃありません」

少しムキになって答えると、ワットは一瞬きょとんとしたあと可笑しそうに笑い、本を片手に抱きなおして空いた右手で唐突に彼女の頭を撫でた。恋人以外の男の子にそんなことをされたのは初めてだったので若干どきっとはしたものの、まるで子供扱いだったのでディアナはその手を払い除けて唇をへの字に結ぶ。それでもまだカラカラと笑っているワットを睨みつけ、いじけたように聞いた。

「……なによ。わたしが真面目だとそんなにおかしいの?」
「べつに。そーだな、俺、ディアナのことあんまり知らないから。だから拗ねて唇尖らせてるディアナの顔がそんなにエロイとは思ってなかった、ちょっと驚いただけ」

エ、エロイって?! 面と向かってそんなことを言われるとは思ってもいなかったので、ディアナは真っ赤になりながら反射的に後方に身を引いた。

「へ、変なこと言わないでよ。何でそういうこと恥ずかしげもなく言えるの?」

精一杯の皮肉を込めて言ったのに、ワットは気にした様子もなくやはりさらりと答えてくる。

「そう思ったから。思ってることはちゃんと口にしたほうがいーんだぞ、ディアナ? 言わないと人生損するからな」
「……口は災いの元って言葉、知らないの?」
「言わないで後悔するなら言って後悔したいの、俺は。それが災いっていうんだったら望むところだ、平穏無事な日常よりずっといいだろ?」
「わたし、平穏無事な日常のほうがいい」
「あ。ほら、またそういうエロイ顔をする」
「エロくない! ワットの頭がおかしいの、早く行ってよ、イアンが待ってるんでしょう」

虫でも払うようにパタパタと手を振ると、ワットは「あ、そうだった」などと軽く言い残して去っていった。それだけのことでディアナはどっと疲れたような気がして、再び机に上半身を横たえる。けれども心地良い疲労だった。ウィルフレドは付き合っているときでさえ、可愛いとかきれいとか、そういう言葉を何ひとつかけてくれなかった。女として愛されているのか分からなかったのだ。ワットだって別に、そういうことを言ってくれたわけじゃないけど。
    女としては、ひょっとして見てくれてるのかな、なんて。

エロイと言われて多少なりとも喜んでいるなんて、自分はなんて馬鹿なんだろうと思いながらもディアナは込み上げてくる笑みを手のひらの奥に隠した。正直、ワットはモテる。そこまで顔がいいというわけではないが(ごめん)、笑顔はとても爽やかだし、シリウスほどひとりの女の子に入れ込んでいるわけでもなく、ジェームズほど自意識過剰ということもなく、ごくごく普通の    だが男女共にあけっぴろげな性格でそれなりに好感度は高い。ディアナも去年占い学の授業でたまたまペアになって以来ときどき彼と話をするようになったが、気さくで話しやすい男の子だった。同じ寮の同級生。そういう意味では好きだった。それ以上の意味ではなくとも。

(なんか、頑張れる気がしてきた)

たとえワットの「エロイ」発言でも、女としての自信を失いかけていた彼女にとっては貴重な言葉だった。それに、ワットならばそれを爽やかな笑顔でさらりと言ってのけるせいか、さほど厭らしさがないのだ。
彼女はウィルフレドとの破局の原因にもなったハッフルパフの同級生に、四度目のアタックを決行することにした。そしてまたしても振られ、遂に五度目には半径五ヤード以内に近付くなと捨て台詞まで吐かれる羽目になってしまったのである。これにはクララのみならず他の友人たちも閉口し、彼女の肩を持ってくれる者は誰ひとりとしていなかった。見かねたが「ウィルフレド、まだ相手決まってないみたいだから一緒に行けば?」と言ったが、そんな屈辱に耐えるくらいならとディアナはクリスマス休暇を実家で過ごすことを決めた。
試験までニ週間を切ったある深夜のこと、ディアナはひとりの談話室で白いマグカップとじっと向き合っていた。先ほどまではリリーやも粘っていたのだが、何しろふたりは頑張り屋の上に優秀である。無言呪文でカップを正確な位置に移動させるという自らに課した課題を終え、先に女子寮に帰ってしまった。
いいなあ、リリーもも。もちろん、ふたりが努力していることはわたしだって知っているけれど。でもわたしだって、これでも頑張ってるのに。リリーは美人だし、は可愛いし。天はニ物を与え賜うたよ、ほんとに。
    いけない。こんなこと考えてるから、カップが動かないんだ。もっと集中しないと。姿現しの試験だって、二回も失敗してるし。あれこれ心配事を思い出していると、突然背後から呼びかけられディアナは飛び上がった。

「ぎゃあ!」
「『ぎゃあ』? 変な声出すなよ。そこは普通『きゃあ』だろ?」

如何せん、ディアナは人より心臓が小さいようである。予想もしなかったところから何らかのアクションを起こされると、人一倍驚いて飛び退いてしまう。彼女はソファの上にぺたりと倒れ込んだまま、後ろから覗くパジャマ姿の青年を穴が開くほど凝視していた。

「お、脅かさないでよ」
「だったら寮のほうに背中向けるなよ。後ろから近付くしかないだろ」

言って、ワットは彼女の脇を通り過ぎてシンクへと向かった。寮生がそれぞれのグラスやカップを置いている棚からブルーのマグカップを取り出して、備え付けのココアを入れる。

「ディアナもココアでいいか?」
「え? あ、わたし要らない。こんな時間に飲んだら、太る……」
「はあ? 女は余計なこと気にしすぎなんだよ。ちょっとは太れよ、不健康」
「不健康!? ね、ねえ、わたしって不健康……?」

ダイエットというほどではないけれど、多少は気にしている。それを不健康と言われてしまうと、正直へこむ。だがワットは結局カップをひとつだけ持ってこちらに戻ってきた。

「不健康ってのは言いすぎだけど。でもお前、足とか細すぎ。そりゃ細い足が好きって奴もいるだろうけど、俺はもうちょっと幅があってもいいと思うけど」

さらりとそう言ったワットはこんなにもソファがあるというのになぜかディアナのすぐ隣に腰かけ、躊躇うことなく彼女の足をじっと見下ろした。まだ着替えていないディアナはスカートだったので、別段いつもより短いわけでもないのに急に恥ずかしくなって、近くにあったクッションで慌てて少し覗いた太股だけは隠す。ワットはそのことについて取り立てて何も言わず、平然とした様子でココアを飲んでディアナの空っぽのマグカップを見た。

「無言呪文の練習? ちゃんと定位置に動かせたか?」
「……動かせてないから練習してるんでしょう」
「そりゃそーだ。俺もなかなかうまくいかなくてさ。何度かシリウスに見てもらったんだけど、お前は集中力が足りないってグチグチ言われるだけで大して役に立たないでやんの。優秀な学生が優秀な教師になれるわけじゃないって良い例だな、あいつは」

ワットはシリウスと仲が良い。シリウスとジェームズがまるで兄弟のように慕い合っているのは周知の事実だが、だからといって他に親しい友人がいないわけではない。ワットはその中でシリウスにとってかなり近い位置にいるのだということを、ディアナは最近になって初めて知った。ワットと一番仲が良いのは同室のヒューとラルフだが。
ディアナはまるで親の仇のようにマグカップを睨みつけ、恨めしげに聞いた。

「……何でそこ座ったの」
「うん? だって敢えて一人分空けるのもイヤじゃない?」
「そうじゃなくて。なにも……隣じゃなくても。談話室こんなに広いのに、そんな近くに座られたら落ち着かない」

実際、恋人でもない男の子とこんなに近くで話すのは初めてな気がした。真夜中の談話室。ふたり、きりで。意識しないとでも思っているのだろうか。そんなに    何とも、思っていないのだろうか。
ワットは相変わらずケロリとした顔でココアを飲みながら言ってくる。

「俺、向かいに座るの苦手なんだよ」
「……なにそれ。よく分かんない」
「うーん……なんつったらいいかな。正面に座ると、間にテーブル挟むだろ。その距離感とか、あと……なんか『相対してる』って感じで好きになれなくてさ。まあ、普段はあんまりこんなこと言わないけど。そんなにイヤなら離れるよ」

彼は何の気なしにそう言っただけなのだろうが、それが心なしか突き放されたように聞こえてディアナはそっぽを向きながらぶっきらぼうに答えた。

「いいよ、そのまんまで。それより、しばらく起きてるんだったら……無言呪文の練習、ちょっと付き合って」

マグカップから唇を離したワットは横目で特有の笑顔を見せながら気楽に言ってのけた。

「いーよ。見ててやるから」
「うまくいかねーな!」

深夜の一時を回った頃、杖を放り出してソファの上に仰向けに横たわったのはワットのほうだった。彼のマグはすでに空っぽで机の上にぴくりともせずに立っている。ディアナは今夜のうちに移動の無言呪文を仕上げるということはとうの昔に諦め、温めたミルクを飲みながらそんな彼の隣に浅く座りなおした。

「今日はもう遅いし、このへんにしよう? 明日起きられなかったら困るでしょう。一限、変身術なのに」
「悔しいな、何で思うように動いてくれないんだろうな。姿現しの試験だって近いのに。ディアナも再試験だろ?」

あ、そっか。ワットも再試験だっけ。ディアナはうんと小さく頷いて、マグの内側に僅かに波打つ白い表面を見た。温めたので少しだけ膜が張っている。クララはこれが嫌いで飲む前に必ず取り除くが、ディアナは案外この膜が好きだった。唇とかに張り付くのは嫌だけど、うまく口に入れたら中で広げたり丸めたりするのが楽しい。そうしてしばらく舌の上で遊んでいる間に、ワットは組んだ両手を頭の上までぐっと伸ばして大きく欠伸を漏らした。

「あーあ、何でだろうな。右手くらい置いてけぼりだからって何が悪いんだよ。あとで取りに行けばいい話だろ。何でうまくいかないんだろーな、まったく……」

そして聞こえよがしにため息を吐いたそのとき、ディアナは咄嗟に腕を伸ばして横たわるワットの口を塞いだ。彼はひどく驚いたようで、彼女の手首を掴みながらその下でもごもごと上擦った声をあげる。大きな硬い手のひらで掴まれて、一瞬どきりとしてしまったが、ディアナは彼の唇から手を離さなかった。

「な、な、なに?」
「喋っちゃダメ! すぐに飲み込んで」
「な、なにを?」
「ため息ついたら、そこから幸せが逃げてくから。吐いちゃったら、すぐに飲み込んで」

何を言っているのだコイツは、という顔をしていた。それでも、ディアナは幼い頃から母親に聞かされていたその話を純粋に信じていた。ホグワーツでも仲の良い友人たちは、思わず彼女の前で嘆息してしまうと、ハッとした様子ですぐに口を押さえて飲み込む。それは逃げた幸福を取り戻そうとしてというよりは、彼女の執拗な説教に辟易してといえるだろう。
それでもよかった。大事な人たちには、幸せを逃してほしくなかった。自分の幸せも、逃したくはなかった。

ワットはまだ少し当惑した様子だったが、それでもこちらの頑固さに根負けしたのか、彼女の手の下で逃げそうになった『幸せ』をおとなしく飲み込んだ。ディアナはほっとして彼の唇から手を離そうとしたが    今度はワットが、掴んだ彼女の手首を放そうとしない。
わけが分からず、ディアナはミルクを零さないように注意しながら控えめに彼の顔を覗き込んだ。

「な、なに? 飲み込んだらもう大丈夫だよ。だから……放して?」
「なんか、いいにおいだな」

手が? そんなわけ、ないじゃない。そう言おうとしても、うまく声が出なかった。身体中が熱くなって、心臓がばくばくして。それなのに、彼はいつもの爽やかな笑みでこちらを見返すばかりで、自分だけが緊張しているこの状況がとてつもなく嫌だった。だが多少ムキになって腕を引こうとすると、思いの外あっさりと拘束を解かれてそれはそれでかえって腹が立つ。

「あれ、ディアナ、怒った?」
「怒ってない! わたし、寝る」

叩きつけるように怒鳴り、ディアナはまだカップに半分以上ミルクが残っている状態で立ち上がった。シンクに向かう途中で一息に飲み、さっと水洗いして定位置に戻す。すぐ後ろから追いかけてきたワットは自分のマグをひとまず流しに置き、ディアナを後ろから抱きすくめるような形でシンクに両手をついた。身体中から熱が噴き出した。

「ディアナ。こっち向いて?」

耳のすぐ後ろで、そっと囁かれて。どうしよう、胸が焼け付く。何で、急にそんなに    優しい声で、呼ぶの。
頑なにシンクを見つめて動かない彼女の肩を、ワットが柔らかく掴んで振り向かせた。至近距離で覗き込まれて、脈打つ鼓動がさらに激しく皮膚を蝕んでいく。彼のこんなにも真剣な表情をディアナは見たことがなかったので、怖くなって反射的にぎゅうときつく目を閉じてしまった。

    ワットの唇は、甘いココアの香りがした。溶けてしまいそうだった。
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(09.12.26)

マデリンとディアナが若干かぶる。細かい設定を決めていないオリキャラは動かすときに気を遣います。