言われてみたら、なんでわざわざ絡んだ? 顔は、確かにちょっと好みだけれど。わざわざ憎まれ口を叩くほどのことではなかったはずだ。
布団に横たわって、電気を消し、閉じたまぶたの奥であの顔がちらつく。

寝覚めが悪い。

鉄朗は大きく息を吐いて、足に絡まったブランケットをぞんざいに蹴り飛ばした。
梟谷のマネージャー、雪絵に頼まれて、は駐輪場手前の洗い場に来ていた。空になったボトルを洗い、新しい飲料をつくる。慣れた作業だった。数も少ないし、すぐ終わる。
それなのに。

「この間はごめんね」

突然背後から現れた長身の影が、の手からボトルを取り上げて当然のように洗いはじめた。

「なんのことですか? 気にしてないです」
「気にしてんじゃん。ごめんね、気分悪くさせちゃったみたいで」
「なんなんですか自意識過剰ですか? 気にしてないって言ってますよね。てか、それ言うためにわざわざついてきたんですか? 暇なんですか?」

ここは体育館から若干の距離がある。用もないのに部員たちがぶらつくような場所ではない。
黒尾は何か言いかけたが、思い直したようだった。足元のかごから別のボトルを取り出して、手際よく洗っていく。 音駒はマネージャーがいないから、自分たちでやるのが常なのだろう。

「バレー、まじで好きなんだな」

音駒の主将は突然、そんなことを言ってきた。不意をつかれてボトルを落としたを見もせずに、続ける。

「見ててすげえ楽しそうだ。こないだの取り消すよ。さんは、そのまんまでいい。もちろんもっと女の子らしくてもいーけどな。あとロング! 俺の趣味」

何を言い出すのだろう。この人は。女の子らしさとか、ロングがいいとか。そんなのどうでもいい。どうでもいい、けれど。

「あなたの趣味とか興味ないですし」

つっけんどんに言い返しながら、は意図的に顔を逸らす。黒尾の表情はまったく見えなかったけれど、以前ほどの嫌悪感が消えていることに気づいた。
それはきっと、彼の声音に、横顔に。中学時代のあのエースの先輩を、重ねていたから。

(わたし、たぶん先輩のことが好きだったんだ)

それなのに、こわい先輩のせいにして、その気持ちをなかったことにした。
女だから、面倒事に巻き込まれたと、自分の性さえ否定した。
バレーだけを純粋なものに仕立て上げて、恋愛を、自分の中の女を、汚らわしい、疎ましいものとして排除した。

それでも好きだと、認める勇気がなかったために。

ボトルを放り込んだかごは、黒尾が持つと言って聞かなかった。手持無沙汰になったはその少し後ろを歩きながら、赤いユニフォームに包まれた、長身の背中を見つめる。
中学のバレー部ユニフォームは黒だった。先輩も、こんなに背が高かったわけじゃない。髪は明るいブラウンだったし、こんなふうに長くてツンツンしていなかった。 似ても似つかないし、どうしてこの男を見て、先輩を思い出したのかは分からない。 ただ自分の中に確かにあったはずの、淡い気持ちがよみがえってきて、なんだか急に気恥ずかしくなった。
(18.07.25)