「いいか……起こすなよ!!!」

充血した目の色を変えて、霧隠が五号車から戻ってきた。京都駅までは全員、新幹線で移動する。 駆り出された祓魔師と訓練生はほぼ四号車に固まっていたが、一年生は出発後、三十分と経たないうちに喧嘩を始めたので、霧隠が連帯責任として空いていた五号車に囀石と一緒に押し込めたのだ。
が、それからまた十分と経たないうちに、五号車から激しく言い争う声が聞こえてきた。

「あいつら……ちったぁ静かにできないのか」

睡眠不足と機嫌の悪さを隠しもしない霧隠が、只ならぬ形相でふらふらと立ち上がる。サタンの息子ともあって祓魔師の誰もがノータッチを決め込む中、後方に座っていたは挙手しながら前へ進み出た。

「隊長、わたしが行きます」
「あっそ。ふんじゃ、先生、頼んだ」

霧隠はどうでもよさそうに答え、そのままどさりと座席に座り込んであっという間に夢の世界へと戻っていく。その切り替えの速さに若干の苛立ちを感じつつ、は五号車に足を向けた。

「せ、先生」

実践銃火器の授業を受け持つ二年の訓練生が、不安げな顔つきで呼び止める。
は立ち止まり、同じような表情をしている二年生らを見渡して微笑んでみせた。

「大丈夫よ。これまでも、何もなかったんだから」
「でも……この間の火事だって」
「ヴァチカンの監視だってついてるし、あんまりわたしを舐めないでほしいわね?」

腰に巻いたスカーフの下から一瞬だけ自動拳銃を覗かせると、竜騎士志望の日比谷はびくりと身を強張らせたあと「ですよねー」と引きつった愛想笑いをして、すごすごと引き下がった。
そして開いた五号車の扉の向こうには、青い炎が燃え上がっていた。
ぞっと身震いすると同時、胸中で悪態をつく。

(あの、ばか!)

今度炎を出したら、確実に処刑だというのに。こんなところ、もし宇田川に見られたら。
すぐさま五号車に滑り込んでドアを閉めるの目の前で、神木の白狐が座席に燃え移った炎を鎮火した。

ひとまず胸を撫で下ろすの存在にはまったく気付かない様子で、燐と勝呂がまた口論を始める。腰の聖水に伸ばしかけた手でイライラとこめかみを掻きながら、はしばらく様子を見ることにした。

「十六年前、うちの寺の門徒がその炎で死んだ。その青い炎は人を殺せるんや! 俺のじいさんも志摩のじいさんも、一番上の兄貴も、子猫丸のおとんも……寺の門徒は俺にとって家族と同じ、家族がえらい目に遭うてて……どうやって信用せぇゆうんや!!」

十六年前の青い夜。あれは、ちょうどクリスマスの晩だった。
あのときだってそうだ。わたしが駄々をこねて、モスクワまでついていったから。
わたしが何も知らなければもしかしたら、こんな結末にはならなかったかもしれないのに。

勝呂の胸倉をつかんだ燐は、悲痛な面持ちでしばし口を噤んでいたが。

「それは……大変だったよな……でも、だったら何だ! それは俺とは関係ねぇ!!」
「………… そうやったな……お前はサタンを倒すんやったよな……!?」
「そうだ……だから一緒にすんな」

絞り出した燐の身体から、再び青い炎が揺らめいて立ち昇る。がすかさず飛び出そうとした矢先、今にも泣き出しそうな形相の三輪が悲鳴をあげながら燐の袖を掴んだ。
ギブスのついた左腕をも懸命に伸ばす三輪の背中に、いつもの穏やかさは欠片もない。

「やめて! 坊から離れて!」

きっと、失うことが怖いのだろう。
すべてを奪われたあの炎に、再びひとりにされることがとてつもなく恐ろしい。
サタンの炎は、すでに治まっていた。

「坊も……僕らを家族と言うてくれはるなら……勝手はやめてください、お願いです……坊にもしものことがあったら、僕ら、寺に顔向けでけへん……」

こんな思いをしてもなお、彼が生きている意味はなに?
いつまでもつきまとう。こうなることが分かっていてもなお、彼を生かした理由はなに?
教えてよ、藤本    あなたは本当に、サタンの仔が『人として』生きられると思ったの?
重苦しい沈黙が支配する中、と志摩が荷物棚から転がり落ちる囀石に気付くのはほぼ同時だった。

瞬時にホルダーから引き抜いたマカロフで銃弾を三度撃ち込む。サイレンサーをつけているとはいえ、完全に銃声を抑えることはできない。が、使い魔を召喚する余裕はなかった。
一斉に振り向いた訓練生たちを、一喝する。

「いい加減にしなさい! こんなことが続くようなら全員今すぐ引き返してもらうわよ!」

そして引き金に指をかけたままの拳銃を持ち上げ、目を見開く奥村燐へと照準を合わせた。

「奥村、あんた自分の立場が分かってるの? 今度その炎を出したら確実に殺されるわよ。自分が常に監視されてる身だってことを忘れないで、あなたのために命を懸けてきた人たちのことを忘れないで。こんなつまらないことで捧げていいような命なの?」

わたしだって好きでユリの息子を殺したいわけじゃない!
生きていけるのなら。この世界で生きることを、もしも許されるのなら。

先生……ひょっとして、何か知ってはるんですか」
「うん?」

恐る恐る聞いてきた勝呂に、眉根を寄せながら詳細を促す。

「奥村……先生は、こいつが何の目的で育てられたんか、それは分からへん言うてました。でも先生は……ひょっとして何か、知ってはるんですか」

奥村燐の、育てられた理由。
視線だけを俯かせて、は思案した。が、思い出されたのは、熱を失った藤本の眼差しだけだ。

(候補生の分際で    

そして自嘲気味に笑いながら、ささやくように答えを返した。

「たかだか平祓魔師の分際で、そんな重大な決定について情報を与えられるわけがないでしょう」

誰もが無言でを見つめる。が、視界に映る奥村燐の瞳だけは、他の者とは何かが違うような気がした。
思わず銃口を下げて、聞き返す。

「なによ」

向けられたことのない切なげな眼差しに、内心で戸惑う。燐はしばらくして躊躇いがちに口をひらきかけたが、ちょうどそのとき京都到着間近を知らせる車内アナウンスが流れた。
素早くマカロフを隠し、一年生に指示する。

「さっさと荷物を取って他の祓魔師たちと合流して。損傷した座席についてはわたしから霧隠隊長に事情を説明して処理を頼んでおく。急いで」

すると勝呂たちは荷物を置いている四号車に早足で戻っていき、は床に残された囀石を即座に始末した。が、振り向き様、車両の接合部にまだ燐が留まっていることに気付いて投げやりに言う。

「何してるの。さっさと行って」
「……先生、ひょっとしてほんとに、」

何を言われるのかまったく見当がつかず首を捻るの目の前で、四号車から伸びてきた手がまるで猫でも扱うように奥村燐の首根っこを掴み上げた。

「おい! んなとこ突っ立ってねぇでさっさと降りる準備!」
「う、うっせぇブス邪魔すんな!」

カチンと目の色を変えた霧隠が、力任せに燐を四号車に投げ捨てる。そして焼け焦げた座席シートを見渡して、やれやれと嘆息した。

「あいつ、またやっちまったな」
「ですが、神木の機転で広がらないうちに」
「トーゼンだ。そもそもあいつらが揉めなきゃこんなことにはなってねぇんだからな」
「……揉めるなというほうが無理では?」

同期が突然サタンの息子だなどと聞かされて。
おまけに青い炎まで見せられたら。
横目にこちらを見やった霧隠が、つまらなさそうに鼻を鳴らす。

「あんたもさっさと降りな。あとのことはあたしが何とかしとく」
「……はい。よろしくお願いします」

新幹線の停車時間はそう長くない。
小さく一礼して、もまた駆け足で四号車へと戻った。
バベル
Что у трезвого на уме, то у пьяного на языке
の指示で、旅館の仲居さんから渡された新しいタオルを山のように運ばされていた。
俺が顔を見せると、東京の医工騎士全員    を除く全員があからさまに冷や冷やした顔をするので、部屋には入らず手前の廊下に黙って積み上げて。
だがそれも、何往復かするとすぐに終わってしまった。洗い物がそうそう出るわけでもないし。

もう一度に仕事がないか聞こうかと思ったが、やめた。は奥の離れで重度の魔瘴者を手当てしている。さっき覗きに行ったが、その眼があまりに真剣でとても声をかけられそうになかった。

先生、あんまり奥村くんにうろうろされたら……)
(今はそれどころじゃないでしょう。それとも、山上先生が雑用から何まで全部こなしてくださいますか?)

俺に仕事を与えたにひそひそと耳打ちする山上さんを、はそう言って容赦なく切り捨てた。
やっぱり、    

『りーんー! みんなばたばたしてるけど、りんはいいのかー?』
「……仕事がないんだよ。俺だって働きてーよ、くそっ」

自分だけが暇を持て余しているなんて、いやだ。余計なことばかり考えてしまうから。
頭の上で、それこそばたばたと動くクロの脚が頭を何度も叩いてその度にイラッとする。
燐は暴れるクロを抱き抱えて縁側にどさりと腰を下ろした。

「なあ、クロ」
『んー? りん、なんだー?』
「親父が惚れてた人ってさ……ほんとに『』って名前だったんだよな」
『んー! しろうさけのむといつも「」ってないてた!』

初めて聞いたときは驚いた。というより、突拍子もない話でとても信じられそうになかった。大体、年が全然違うし? 同じ名前ってだけで、俺の知らないちっとも関係ない人なのかも。
でも、最近ふと思うんだ。親父の惚れてた『』って、俺も知ってるあのなのかもしれないって。

ときどき、の俺を見る眼が    ただそれだけじゃ、ないような気がして。

(自分が常に監視されてる身だってことを忘れないで、『あなたのために』命を懸けてきた人たちのことを忘れないで)

親父は俺のために死んだ。だとしたらだって、当然俺のことを憎んでる。
怖い。本当のことを知るのが、怖くてたまらない。自分の知らないところで、俺はからも大事な人を奪った    かもしれない。それはサタンではなく、紛れもなく自分の責任だった。
それでも、話がしてみたいと思うのは。
写真素材(c)mizutama
(11.10.19)
Что у трезвого на уме, то у пьяного на языке
(素面の頭の中にあるものは、酔っ払いの舌の上にある)
BGMは「酒と泪と/男と女」でよろしくお願いします。