殲滅戦のあと、ヒューズは軍法会議所への異動願いを提出した。もともと頭の切れるやつだったこともあり、希望はすぐに叶えられた。昇進も順調、数年後には念願の娘さえ授かった。 腹が立つほどに、親馬鹿で、愛妻家。腹が立つほどに、仲間思いで、前向き。 いつも離れたところから、非力なわたしを支えてくれていた。 「わたしの下について助力すると言っていたやつがわたしより上に行ってどうするんだ。馬鹿者が」 まだまだ、これからだというのに。 交わした約束は、まだ。 馬鹿が。馬鹿者が。 わたしはまだ、何事も為し得てはいないというのに。 「急に思い立ったように資料室に行くと出て行きましてね」 ヒューズの部下という大尉に話を聞きながら、地下の奥まった一室へ足を運ぶ。 その扉の前にはすでに、別の軍人が待機していた。 「お待ちしておりました、マスタング大佐。軍法会議所の・です」 「ヒューズ中……准将の副官を務めていた少尉です」 「ああ、聞いている。ここでやつと話をしたそうだな」 若い女だった。ホークアイとほぼ同年齢か、もしくは若干、下だろう。葬送の際に見かけた黒い縁取りの軍服に、控えめな化粧。あのときと同じように、鋭く、冷静なたたずまいだった。 「はい。ほんの、二、三分ほどでしたが」 「何を話した。あいつは何か、言っていなかったか」 「いいえ、何も。何か調べていたようでしたが、わたしには話してくださいませんでした」 「副官の君にも話せないと?」 「はい。そうおっしゃいました」 恨むでもない、僻むでもない。ただ淡々と、事実だけを述べるように。 「ここで何者かと争ったようだが」 「ええ、おそらく」 暗がりの室内をのぞいて答えるフォッカーの後ろに、は自然な動作で引き下がった。そちらに視線を戻しながら、ロイはもう一度だけ、ヒューズの副官だというその女性に問いかけた。 「ここを離れるとき、誰か不審な者を見なかったか」 「いいえ、誰も」 新たな発見を期待していたわけではない。すでに憲兵が聴取済みだろう。 だがロイは、人知れず嘆息して瞼を伏せた。 「どう思う、少尉。俺はあのクソジジイが踏み台にしてきた軍関係者の仕業だと踏んでるんだが」 「何か根拠が?」 「俺が部下ならあんな汚ねえ野郎ぶっ殺したいからな」 「中佐、冗談になりません。事実、パークス大佐は殺害されたわけですから」 今朝上がってきたばかりの報告書を繰りながら、は聞こえよがしに嘆息する。まったく同じものはデスクに片肘をついた上官の手元にもあった。 めんどくさそうに顔をしかめ、それを適当に脇に退けながら、ヒューズ。 「大方飲みすぎた帰りに暴漢にでも遭ったんだろ。お気の毒になー」 「中佐。よく読んでください。内臓の破損状態が異常です。通常の殴打程度でこんな事態にはなりえません。そもそも大佐は、国家資格を有する錬金術師ですよ?」 「だから、飲んでたんだろ。いくら国家錬金術師っつっても泥酔すればただの肉玉だ」 「肉玉……」 まったく、この人は。口が悪いというか、裏表がないというか。執務室の面子は全員出払っていたが、無意識に周囲へ視線を移しながらは慎重に言い返した。 「中央司令部の佐官が、しかも、国家錬金術師が! 殺されたんですよ……憲兵だけで収拾がつく話じゃありません。じきこちらにも通達が来るはずです」 「めんどくせーなー。どーせ上の連中だって野郎が死んでホッとしてることだろうよ。さっさとホシあげて厄介事は終わらせてぇもんだ」 「そうなればいいですけど」 肩をすくめ、は憲兵司令部から届いた書面の、その下に重ねていた別の束を上にした。 「中佐。今回の件に関係があるかは分かりませんが、ひとつ、気になる事件が」 「ん?」 「昨年十二月十二日、南部のモンクリフでひとりの退役軍人が変死体で発見されました。憲兵は長く被害者と揉めていたアパートの隣人を逮捕、依然として被告は容疑を否認しています」 「それがどうした?」 「被害者の死因ですが、内臓破裂によるショック死。パークス大佐と同じように、臓器の破損状態が明らかに普通でなかったとのことです」 ヒューズは一瞬ぴくりと眉尻を動かしたが、すぐにかぶりを振って軽くあしらう仕草を見せた。 「それだけのことで、その退役軍人とパークスの事件が関連してるって? いくら否認してるっつっても容疑者は逮捕されたわけだろ?」 「もうひとつ、気になる点があります。その退役軍人 告げると、上官の目の色が変わった。何かを思案するように、しばしこちらから視線を外し、そしてゆっくりと引きつった笑みを浮かべながら、言ってくる。 「なるほど、二つの共通点か。それだけで決め付けるのは早計だが、調べてみる価値はありそうだな」 「南部の件、さらに資料を集めても?」 「いいだろう、任せた。軍属時代にパークスのジジイと何か繋がりがあったかもしれねぇ。ま、これでまったく関係ねぇそこらへんのしょーもないやつが逮捕されたら笑うけどな」 それが、ヒューズの正式な補佐官に任じられたが、最初に取り掛かった仕事だった。 ヒューズの下に就いてすでに数年が経つバジョットやフォッカーを差し置いて、と、一部からは不満の声もあがった。だが彼ら自身がを評価していたし、何より信頼する上官の決定とあって、やがては批判も薄らいでいった。彼らに恥じないためにも、自らが認めた上官のためにも。は必死になって働いた。誰よりも、マース・ヒューズという軍人の役に立ちたかった。 信じていいと。この国に来て、母を、大切な人を、失って。たったひとりでがむしゃらに走り続けてきた自分に、初めて。信じて頼れと、言ってくれた人だから。 あの日、あのとき、あの人が引き金を引いたのは。わたしの、せいだから。 何があってもこの人を守ろう。父がそうしてきたように。ユーシャンが、そうしているであろうように。 そして、母を、大切なあの人を。奪い、ばらばらにしてきたこの国を必ず。 この人の下ならば、それを叶えることができる。 「お前が見ててくれ」 彼はあの切れ長な瞳で、戸惑うの眼をまっすぐに見据え、言った。 「イシュヴァールを直接知ってるお前が、見ててくれ。二度とあんな戦場を生まなくていいように。俺はここからあいつを支える。あいつが大総統の地位に就くまで、中央からあいつを支える。 俺の片腕になってくれ、少尉。何年かかっても、必ずこの国を変えてみせる」 あなたを守ると、心に誓ったのに。 「お、少尉。なかなか腕上げたんじゃない?」 「嫌味ですか?」 「失礼だな。純粋に褒めてるのに」 「スタートがひどすぎたと、そういうことですね。分かりました、精進します」 「素直じゃないな……」 やれやれと息をついて、軽装の上官が離れていく。 そちらを見送ることもなく、は引き続き、手にした拳銃をかまえた。自分のレーンの遥か彼方、小さな的をしっかりと捉える。 射撃場に、一発の銃声が響いた。 「銃は使わないのではなかったのか?」 「使わないからといって鍛錬を怠っていては軍則に反します」 「なるほど。さすがは会議所勤務だな」 振り向くまでもなく、軍の射撃場に現れたのは憲兵司令部のダグラスだった。いつものように数人の部下を連れ、物々しく胸を反らして言ってくる。 「書類では士官学校時代の銃器成績はDとあったが、この数ヶ月はトレーニングに励んでいたようだな。何か心境の変化でも?」 「半年前、中……准将の副官に任じられました。職務を全うするためには当然のことです、それが何か」 「つまりは今の腕であれば的確に准将の急所を撃ち抜くことも可能だった、と」 「いい加減にしてください。弾数は確認されたでしょう、わたしはこの二年、補充したことさえないんですよ」 「二年も使用していない拳銃のトレーニングを、この半年の間に何かに憑かれたように始めた、と」 「お帰りください。気が散ります。一刻も惜しいもので」 「言葉には気をつけたまえよ、少尉。君の過去などいくらでも調べられるのだぞ」 単なる脅し文句だ。凶悪な錬金術師である『スカー』よりも、軍属のを捕えることのほうが彼らにとっては何倍も容易い。ここのところ何の手柄もあげられていない憲兵が、功を焦って彼女ばかりを訪ねてくるのも仕方のないことではあった。 だがは、ひんやりと背中を流れた冷たい汗に、一瞬、身震いした。 それを知ってか知らでか、にやりと口元を歪めて、ダグラス。 「邪魔をしたな。また来る」 二度と来るな。 彼らが去ったあと、再びかまえた拳銃で撃ち据えた先は、備わった的の中でさえなかった。 |