焔の錬金術師、ロイ・マスタングが、マース・ヒューズ殺害事件について調べている。 シェスカ・ホイールストンを尋問して聞き出したのは、つまりそういうことだった。通常、正式な申請がなければ書庫を会議所外の人間に開放することは禁じられているが、あまりに必死な様子だったので受け入れてしまったと。 自分も、親友が殺されたとしたらじっとはしていられないだろうと思ったから、と。 「分かった、分かったわ。相手が大佐じゃあなたも逆らえなかったでしょうしね」 「あの……ほんとに、すみません……」 「いいわよ、むしろ災難だったわね。でも何で大佐は閲覧申請出さなかったのかしら? 佐官クラスならそれくらい許可が下りると思うけど」 「さあ……でも、絶対に上には知られたくないんだって、おっしゃってました」 確かに、管轄外の事件に首を突っ込んでいると知られるのは、得策ではないだろう。だがマスタングがヒューズの親友であったことは周知の事実だ。今さら隠し立てするようなことでもなかろうと思うが。 「大佐がどんなことを調べてたか、分かる?」 「ええと……そうですね、わたしが聞かれたのは、中央刑務所の死刑者リスト、上層部で起こった過去の事件例、国家錬金術師の事件例、あと、第五研究所に関する書類……ですかね」 「……ヒューズ准将の事件を、調べていたのよね?」 「はい、そう聞いてます、けど……」 シェスカはそう言ったが、自信はなさそうだった。それはそうだろう。彼女が列挙したのは、一見ヒューズには無関係な事例の数々に思えた。だが資料に関する彼女の記憶にほぼ間違いはない。 は礼を言って、途中の階段でシェスカと別れた。 いつでも閲覧可能の膨大な資料があるという点で、軍法会議所勤務であることはそれだけでも単純に利点だろう。だがその焦点を絞れなければ有効に活用できるはずがない。は今日から、先ほどシェスカに教えられた事例の資料についても参照しようと心に決めた。 きっと思いは同じなのだ。わたしも、マスタングも。 けれど。 だからどうしたというのか。わたしとマスタングとは、赤の他人でしかない。 あの人がいなくなった今、きっとこの先、交わることもない。 焔の錬金術師がキング・ブラッドレイを追い落とそうが、そんなことはわたしには関係がないのだ。 また、守ることができなかった。 初めては、父との約束。そして二度目は、己との約束を。 だからせめて、真相にたどり着くまでは。 何か殺気のようなものを感じて、咄嗟には振り向いた。だが会議所の廊下を行き来する中にそれらしい人影は見当たらず、速まる鼓動を押さえて頭を振る。ここのところ、しばしば感じる気配ではあった。 (……つけられてる? 司令部の中で?) 足早に執務室へと戻りながら、反芻する。中央刑務所の死刑者リスト、上層部で起こった過去の事件例、国家錬金術師の事件例、第五研究所に関する書類。いずれも国軍、取り分け、上層部に関係している。 アームストロングは、わざわざこちらの帰りを見計らって警告に訪れた。ちょっとやそっとのことで動じたりしないヒューズが、あの夜はひどく狼狽していた。 そして大総統府への通信を思いなおしたように中断し、あえて外に出て東方司令部に連絡をとろうとした。 もしかしたら。上層部絡みの何か大きな事件に気付き、そのために消されたのかもしれない。 だとしたら。 (……わたしひとりの命で足りるか) 命を懸ける必要などないと。アームストロングはそう、言ったけれど。 母を亡くしたとき、わたしは故郷を失った。 やっとこの国で、生きる意味を見出したと思ったのに。 あの人に救われた命は、もう、こうすることでしか活かせない。 あの人のために、散ることができるのならば。 だからわたしは、こうするより他に進む道がないのだ。 一日に必要な職務を終え、書庫に閉じこもるとき、の手元にはいつも大判の地図があった。最期の夜、上官の手にもこれと同じものがあったからだ。他の資料はすぐに隠されたので分からないが、少なくともこの書庫にあるものには違いない。 そして手がかりは、リオールの暴動。 (東部、暴動、宗教家、鋼の錬金術師エドワード・エルリック……) いくつかのキーワードに沿って、過去の事件例をあさっていく。だが如何せん、資料の数が多すぎた。今回入手したマスタングの情報を併せれば、より範囲を絞っていけるだろう。 とはいえ。 (第五研究所は軍の錬金術研究施設……責任者は鉄血の錬金術師、バスク・グラン准将……そこに隣接する中央刑務所……国家錬金術師……東部の暴動と、何の関係が……) 繋がるようでいて、繋がらない。どちらにせよ、錬金術がネックとなっていることは疑いがないようだ。門外漢の自分にできることは限られる。脳裏にふたりの国家錬金術師が浮かんだが、はかぶりを振ってその考えを打ち消した。アームストロングは手を引けと言っていたじゃないか。そしてマスタングに頼ることは、できない。わたしは彼のことを何も知らない。 それでいて、彼の情報を当てにしようとしている。 (矛盾してるわね、まったく) 自嘲気味に笑いながら、国家錬金術師の事件例を再度洗いなおしていく。この半年、幾度となく繰り返した作業ではあったが。 ヘイデン・パークス大佐の殺害に端を発した一連の国家錬金術師殺人事件は、蓋を開けてみれば実に単純な事件だった。 被害者の共通点、過去の経歴、戦歴、思想、私的怨恨、様々な観点から調査を進めたが、結局のところ動機はただひとつ。彼らが、国家錬金術師であるから。 『スカー』。誰もその名を知らない、滅ぼされたイシュヴァールの民。 錬金術の使い手。 背筋をぞっと悪寒が走った。 かの地でそれを研究していたひとを、知っているから。 (イシュヴァラ神に背くとは思わない。わたしは世界の大いなる流れを知り、正しい知識を得たいんだ。わたしにシンのことをもっと教えてくれないか?) 不安で不安でたまらなかった。あのとき、そばに彼の穏やかな眼差しがなければ、きっとわたしは。 生きていてほしい。生きてさえいてくれればいい。 けれど。もしも彼が、『スカー』だったとしたら。 国軍の人間として。あの人の副官として。わたしは『正しい』判断を下す自信がない。 (出会えてよかったよ、) イシュヴァールを発つ最後の日、差し出された彼の右腕には見たこともない美しい紋様が描かれていた。 「少尉、大変です!」 「なによ、そんなに慌てて」 「先ほど憲兵司令部から連絡が入って……ヒューズ准将殺害の重要参考人を捕えたとのことです!」 資料室で作業をしていたは、息を切らせて飛び込んできた部下の報告に思わず手元の書類を取り落とした。辺りに散らばるのも構わず、叩きつけるように問いかける。 「いっ……一体、どこの誰を!」 「そ、それが……どうも、本部の少尉らしくて……アームストロング少佐の部下だそうです、先ほど連行されたと聞きました……」 アームストロングの部下。少尉。思いついたのは、ひとりしかいなかった。 「そんな、馬鹿なこと!」 「あ、ちょっ、少尉!」 ばら撒いた資料もそのままに、部屋を飛び出して駆ける。行き交う軍人たちが訝しげに振り向く。 けれど。 じっとなど、していられなかった。 |