ヒューズが死んだ。 もちろん、こんな仕事だ、いつ命を落とすとも知れない。だが、中央は比較的、治安も良い。あいつは頭の回転の早さを活かし、軍法会議所でデスクワークをメインにこなしていた。 それが、こんなにも、突然。 ほんの、一、二分前まで、あいつは確かに生きていたはずなのに。 なぜ、こんなことに。 すでに憲兵から説明は受けていたが、ロイはその足で直接、軍法会議所へと向かった。ヒューズの部下という大尉に改めて話を聞きながら、地下の一室へと案内される。 資料室の前に待機していたのは、葬儀にも参列していた若い女軍人だ。彼女のことを、書類上ではあるがロイは以前から知っていた。 「お待ちしておりました、マスタング大佐。軍法会議所の・です」 「ヒューズ中……准将の副官を務めていた少尉です」 「ああ、聞いている。ここでやつと話をしたそうだな」 彼女はあくまで、淡々と受け答えをした。軍服を着た状態で、取り乱せとは言わない。だが、これが上官を失ったばかりの女の態度か。非常に、気分が悪かった。 一通りの説明をフォッカーから受けたあと、ロイは資料室のドアを閉めてふたりを振り返った。 「大尉、少し外してくれないか。少尉に話がある」 「……は。分かりました。先に執務室に戻ります」 「すまんな」 軽く一礼をして、大柄なフォッカーが元来た道を引き返していく。その背中が完全に見えなくなってから、ようやくロイはへと向きなおった。彼女は変わらず、冷静な眼差しのままだった。 「事件の夜のことでなくていい。あいつから何か聞いていないか?」 「何か、といいますと? わたしはあの人の補佐官です。職務上、重要な話を聞くことも当然あります」 いちいち、物言いが癪に障る。吐き出しかけた言葉を飲み込んで、ロイはなんとか静かに切り返した。 「何でもいい。犯人の手がかりになりうる……どんな些細なことでもいい。心当たりがあれば話してくれ」 「憲兵にも同じことを聞かれましたが、分かりません。ここ最近何か調べ物をしていたことはわたしも気付いていましたが、そのことに関して一切話そうとはなさいませんでした。 お役に立てず、申し訳ありません」 ただひたすらに事務的な、表情、声色。ロイは正面からその黒目をじっと覗き込んだ。それでも彼女は、何ひとつ、揺らぎはしなかった。 「……そうか。ならいい。時間を取らせたな」 「いえ。上までお送りします」 一歩先をゆくの背中を見つめながら、ロイは胸中で繰り返す。なぜ、なぜだ、ヒューズ? ずっとひとりでやって来たお前が、今になってなぜこんな小娘を補佐官にした? 今回のことと、何か関係があるんじゃないのか? 浮かんできたのは、先日イーストシティで久々に再会したときのことだった。 「そういえば、副官をつけたんだって?」 「ん? あー、聞いたのか。何ヶ月か前かな、なかなか良くやってくれてるよ」 何でもないことのようにさらりと言ってのけるヒューズに、そうだ、やはりどこか面白くないものを感じたことを、覚えている。 「どういう風の吹き回しだ? おまけに卒業したばかりのひよっ子だそうじゃないか」 「なんだ、調べたのか? んなこと俺に直接聞きゃぁいいのによ」 呆れたように笑うヒューズの横顔。もう、二度と、見ることもない。 「ひよっ子っつってももう二年目だ。卒業してすぐのリザちゃん起用したお前に言えることじゃねーと思うが」 「それとこれとは 「ま、今度ゆっくり紹介してやるよ。これがなかなか面白い女でな」 「少佐の一番弟子という話なら……」 「そういうことじゃねえよ。まー、それもあるか。確かにな」 ひとりで勝手に納得して、可笑しそうに忍び笑いして。非常に、面白くなかった。 だがひとしきり笑ったあと、こちらに向きなおったヒューズの顔は、それまでと違いキレのあるものに変わっていた。自然と背筋が伸びた。 「肝心なのはそこじゃなくてな。書類にゃ載らねえ大事なことだ。ま、そう焦るな。今度ゆっくりオフにでも話してやるからよ。楽しみにとっとけ」 今日は仕事で来ているからと。こうして雑談する暇がありながら。 あのとき無理にでも、聞き出しておけばよかったのだ。 彼女はこうしてはっきりと、拒絶の態度を見せているではないか。 「戻りました、大尉」 執務室のドアを叩き、フォッカーに敬礼の姿勢をとったはすぐに後ろに下がって一礼した。 「それでは、わたしは職務に戻ります」 「ああ、あとで」 フォッカーが言うと、すぐさま踵を返して去っていく。彼女の執務室はここのはずだが、別の場所でやり残したことがあるのだろう。 隠しもせずにロイは嘆息してみせた。 「上官を亡くしたばかりだというのに気丈だな」 「……ええ。知らせを受けたとき、この部屋で涙も見せなかったのは彼女くらいですね」 ますます、気分が悪くなった。公の場でこれ見よがしに泣けと言っているのではない。だが、彼女がひとりで泣いている姿は想像さえできなかった。 軍人として、もしかしたら彼女は優秀なのかもしれない。 だとしても、あいつの親友として、わたしは。 「ですが、一番こたえているのは彼女だと思いますよ」 「……は?」 「お聞き及びか分かりませんが、以前ヒューズ准将が担当した事件の関係者が、准将を狙った事件がありましてね。そのとき少尉はひとりで犯人に接触し、危うく殺されるところでした。すんでのところで追いついた准将が犯人を射殺したんです」 「………」 知らなかった。あいつはそんなことを、なにも。 「憲兵は正当防衛を認めましたし、准将も報告書数枚で済みました。ですが少尉はそのことをとても気に病んでいましてね。自分の判断ミスと力不足だと。 准将は准将で、狙われていたのは自分だったのに部下を危険に晒したと気にされていました。その一件のあとです、准将が彼女を副官に推薦したのは」 そんな経緯があったのか。だとすれば合点がいく。負い目を感じたヒューズが、彼女を副官に取り立てたのだ。 だがそれはどう考えてもあいつの責任ではない。ひとりで何とかできると思ったの傲慢さが招いたことだ。むしろ生きているだけで感謝しなければなるまい。 こちらの胸中など知る由もなく、フォッカーは懐古するように目を細めた。 「それからの少尉は見違えるようでしたね。もともと頭は回るほうでしたが、准将と二人三脚といった体で。正直、我々には立ち入れない世界でしたよ。 例の一件があったせいでしょうね、苦手分野の銃にも力を入れるようになって。きっとこれから、どんどん活躍していってくれるはずだったんですが」 「彼女が本当に優秀ならば、あいつがいようがいまいが何とでもなるだろう」 「……そうですね」 フォッカーに当たっても仕方がない。だがどうしても、言葉に棘を含めることはやめられなかった。 「邪魔をしたな。すまない、参考になったよ」 「表までお送りします」 「いや、ここでいい。君も職務に戻りたまえ」 「……はい。分かりました。道中、お気をつけて」 執務室の前で大尉とわかれ、ひとり、通路を歩く。あとで犯行現場にも立ち寄らねばなるまい。すべてをこの目に焼き付けて、帰る。決してこのままにはしておくものか。 途中、先ほどのが他の軍人と話しているところを見かけた。だが声をかけることはせず、そのまま立ち去る。どうせ何も得られやしない。彼女は何も、知らないのだから。 中央司令部を離れながら、声には出さずに、問いかける。 なあ、ヒューズ。どうしてだ。なぜ今になってあんな小娘をそばに置いた? お前は何ひとつ、負い目を感じる必要などないのに。 書類に載ることはない、彼女の重要な秘密とは何だ? なあ、教えてくれ、ヒューズ。 |